『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』(Independence Day:Resurgence)
監督 ローランド・エメリッヒ

 二十年前の『インデペンデンス・デイ』は、マイベストテンへの選出こそ見送っているものの、僕のなかではかなりの高評価で、大統領(ビル・プルマン)自ら最前線に立つ気概というかアメリカン・スピリットに、大いにカタルシスを覚えた記憶がある。その続編たる本作は、だが、そこのところの継承については、ホイットモア元大統領本人の再登場まで果たす形で踏襲されているにもかかわらず、僕のほうの変化なのか「相変わらずアメリカ人は好戦的というか、ファイトが好きだなぁ」と妙に冷ややかに観る感じのほうが強くなっていた。

 変化として最も興味深かったのは、オデッセイ以上に、アメリカの大作ハリウッド映画でのパートナーが今や中国になっていて、かつて日本が占めていた位置とすっかり入れ替わっているところだった。映画という大衆娯楽装置というものは、こういう時代的なところを確実に映し出すところが本当に面白いと思う。

 それで言えば、アメリカの中国指向というのは、多分ハリウッドに限った話ではないような気がしてならない。ネトウヨに限らず、中国と揉めたときのために日米同盟の強化をなどと言ってる人たちは、最近のアメリカ映画などをそう観てもいないから、いまだに50年代的な同盟幻想に浸っているのだろうが、もう軍事同盟で戦争抑止などということが通用する時代ではなくなっているという気がする。

 だからこそ安倍政権はアメリカのほうから、やれ韓国と揉めるな、中国を刺激するなと言われたりしているわけだ。エスカレートさせる一方だった日韓関係についても、今年になってアメリカの要請を受けて、政府間レベルでは慰安婦問題について和解を確認することでアメリカの顔を立てていた。だが、日韓の双方であれだけ内政向きに政治利用して煽っていたから、そう簡単には収まらない難儀になっているようだ。

 妙な威勢のよさに乗せられて国政の行方を預けるとろくなことにならないのは、EU離脱に係るイギリスでの先頃の国民投票結果の招いている混乱に観るまでもなく、古今東西の常なのだが、わが国も含めて一向に改まらないばかりか、近ごろは世界規模で反知性主義が蔓延してしまって民度の劣化が著しいように感じられてならない。人々が本を読まなくなったこと、政治体制の別なく「金がすべて」の世の中になってきていること、そのツケというかしっぺ返しがとんでもない形で現れることが僕の子や孫の時代に起こらないよう願ってきたけれども、最近は子や孫の時代と言ってられなくなったような怖さを感じている。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-814c.html
by ヤマ

'16. 7.14. TOHOシネマズ6



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