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“福島の今は ~プロメテウスの罠取材で知った福島の人々~” | |||||
朝日新聞記者 依光隆明さん講演会
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一年近く前に記した「全国映連第44回 映画大学 in 今治」のレポートに綴ったように、僕は、一昨年あたりから激化した朝日新聞バッシングについて、「かねがね根っこは、朝日新聞がいつまでも「プロメテウスの罠」の調査報道を止めないことに苛立った原発利権勢力が、朝日叩きをしたくて仕掛けたことではないかと見ている。そして、朝日新聞を叩くという目的からすれば、かねてよりネトウヨたちがその姻戚関係などから執拗に攻撃していた植村記者をターゲットにすることがネタ的効用が高いとみて、彼が吉田証言に関する記事は書いていないのも承知の上で、慰安婦問題における誤報とからめて週刊誌に記事掲載をさせるように仕組んだように感じてい」たものだから、その取材班の前キャップで、今は編集委員になっている記者が何を語るか、聞きたくて楽しみにしていたものだ。 しかも、依光記者は、地元の高知新聞で社会部長や経済部長を歴任して移籍した記者で、植村記者のほうは、『桐島、部活やめるってよ』の映画日誌に記した高校での「生徒会活動の後輩」だ。ついでに記せば、その朝日叩きに執拗なほど熱心な元「週刊新潮」デスクの門田隆将も高校の二年後輩だから、奇遇にしても出来過ぎている気がして仕方がない。 そんななかで、依光記者が語った「福島の事故から何を学べばいいのか」は、「1.あのときなにが起きたのか」「2.報道を考えてみる」「3.住民の今」との項目で構成されていたが、やはり「3.住民の今」が最も響いてきた。本当に、さまざまなファクターで以ていやらしいほど巧妙に分断されていることが窺えて、遣り場のない澱のような憤懣が残った。 そして、「2.報道を考えてみる」のなかで話していた“新聞の危機”以上に、会場からの質問に対して答えていた「報道の自由に関して、直接的な圧力は、少なくとも自分は一度も受けたことがない。」と断言しつつ、要点は「自主規制」だとの弁だった。組織としてのものの手前に起こる記者個人のなかでの葛藤を、とりわけ問題視していたように思う。「2.報道を考えてみる」のなかでは、記者個人の問題には言及していなかったけれども、そこで語られていた、タフなウオッチドッグを育てるのは読者の支持だというのは、記者個人に対して及ぶことなのだろうと思った。 講演会チラシ http://blue.ap.teacup.com/kochikenroren2/img/1457769355.png | |||||
by ヤマ '16. 4.10. 人権啓発センター6Fホール | |||||
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