『ブラック・スキャンダル』(Black Mass)
監督 スコット・クーパー


 近頃、ろくな番組しかやらなくなったTOHOシネマズ高知に、“映画の日”に何を観に行こうかとプログラムを観て目についた作品だ。チラシも予告も見かけなかったように思うが、僕の目と足が遠のいていただけのことだろうか。

 それはともかく、ジョニー・デップが真面目に役者をやると、やはり流石だなと感心した。思わずゾッとするような、実に不快な、仲間内からも“根っからの犯罪者”と評されていたジミー・バルジャーを見事に体現していたように思う。

 そして、それ以上に天晴れだったのは、権力側にいて野心に見合わぬ器しか持たない小者ぶりをイラつくほどの実在感で演じていたジョエル・エドガートンのような気がした。強者に対して見せる小心さに満ちた気遣いやら所作とは対照的な傲然とした強面や強がりが哀れなほどだったが、この手の輩は、どんな組織にも数多いるのだろう。彼の演じたFBI捜査官ジョン・コノリーが、幼馴染の伝手でジミーに密告屋の話を功名心から持ち掛けていなかったら、また、幼い息子の死がなかったら、ジミーの悪辣もあそこまでエスカレートし、のさばることはなかったのだろうか?

 それにしても、「え? ジミーだって?」と思わずミスティック・リバー['04]で、ショーン・ペンが演じていたジミーのことを思い出した。もしかすると、『ミスティック・リバー』は、この事件がヒントになって書かれた小説だったのかもしれないと思った。少なくとも、作り手の側には意識するところがあるからこそ、両作ともにケヴィン・ベーコンが出演する形になっていたのではなかろうか。

 また、ジョンが呪文のように口にし唱えていた“忠誠心”や“絆”という言葉が僕には耳についた。これらの言葉が実際に口に出され、その言葉の下に正当性の主張が見られるとき、十中八九は欺瞞でしかない。決して直接的な行動や態度と結び付けて口にすべき言葉ではないことを改めて思った。

 ところで、大悪党のジミー・バルジャーもさることながら、彼の実弟でボストンの政界に君臨しマサチューセッツ州議会上院議長を長年務めたとのビリー・バルジャーのほうが、僕はより興味深かったのだが、ベネディクト・カンバーバッチの演じたビリーは、本作ではあまり重要な位置を占めていなかったのが残念だ。兄ジミーとも、幼馴染のジョンとも、非常にデリケートな距離感で相対していたクレバーさは窺えたものの、あまりにエピソードが少なかった。

 そのように感じたりするのは、原題の“黒ミサ”を邦題では「黒いスキャンダル」としてあることで僕が勝手に、暗黒街とFBIにおけるスキャンダルのみならず政界をも捉えたものを求める気になっていたからなのかもしれない。政界と暗黒街が地続きであることは特に珍しくはないように思うけれども、昭和の時代の日本の党人派の政治家でも兄弟双方でここまで栄達した例というのはないのではないかという気がする。だから、余計に強く刺激されたようにも思う。

 ともあれ、ジミーにしてもジョンにしてもそうだが、上昇志向というか伸し上がり意欲の高い人物というのは、観ていてほとほと疲れると、前日に観たばかりのセッションでのフレッチャーとアンドリューの二人を併せて想起した。若い頃から「きみは上昇志向に欠ける」と評されてきた僕だから、余計にそう感じるのかもしれないなどとも思いながら…。

by ヤマ

'16. 2. 1. TOHOシネマズ3



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