『ザ・トライブ』(The Tribe)
監督 ミロスラヴ・スラボシュピツキー


 ボルボのトラックがずらりと並んでいたりしていたから、てっきりスウェーデン映画だと思っていたら、ウクライナの作品だった。実際の聾唖者によって手話以外はいっさい無言で演じられた長尺作品を観ながら、只ならぬ画面の迫力に圧倒された。まるで聾唖者の寄宿学校にカメラを実際に持ち込んだドキュメンタリーであるかのような生々しさを映し出しながらも、極めて技巧的な長廻しによる、ドキュメンタリー作品ではなかなか現出できない精緻で美しい画面展開に驚かされ、リアルとフィクショナルの境界に眩暈されるような思いとともに観入ってしまった。

 実際の聾唖者が演じればこそ頻出したであろう唸り声やくぐもりが不自然なまでに抑えられていたところには、強烈な演出意図が働いていたのだろうが、これによって果された“無言の醸し出す空気感”が実に鮮烈で、ある種、陰惨とも言える物語なのに、常にどこか透明感が漂っていたような気がする。他の作品では味わったことのない非常に斬新なタッチを感じたが、6才のボクが、大人になるまで。を観たときに覚えたような反則感がなくもないとも思った。

 ともあれ、かなり特異な運びの物語に確かな説得力を与えているのが、場面の持つ力であることは疑いようもなく、作り手の並々ならぬ力を感じた。同じ“トライブ(族)”をタイトルに掲げた邦画『TOKYO TRIBE』も力技という点では園子温作品だけあって、それなりのものはあったように思うが、いささか空転していてつまらなかった覚えがある。志向したものの質的差異を考慮しても、本作に及ぶところではなかったような気がする。

 ラストの大きな物音のなかで淡々と進む惨劇は圧巻だったが、音のない世界で』(監督 ニコラ・フィリベール)を観た覚えから、この場面こそ、前述の唸り声やくぐもりの抑制同様に実はフィクショナルな場面だったのかもしれないと思ったりした。そして、パリ20区、僕たちのクラス』(監督 ローラン・カンテ)が些かの反則感も呼び起こさない形でドキュメンタリーのようなフィクションを構築していたことの見事さに改めて思いが及んだ。とはいえ、本作が虚構性の明示を重ねれば重ねるほどに、それでも際立つドキュメンタリー感に、改めて自身の感じるリアルとフィクショナルの境界線の在り処を意識させられるわけで、そういう意味での問題提起において、非常に刺激的な作品であった。次作を是非とも観てみたいものだと思った。





推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20150429
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941576475&owner_id=3700229
by ヤマ

'15. 5.23. ユーロスペース



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