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『365日のシンプルライフ』(Tavarataivas) | |||||
監督 ペトリ・ルーッカイネン
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県立文学館で映画を観るのは久しぶりだが、“北欧文学との出会い展”の企画展関連企画として、都会では、ちょっとした話題になっていた作品を、思いがけなくも観ることができた。こういう上映会を積極的にやってもらえると実にありがたい。 展示そのものにもこじんまりとした熱意の伝わってくる手作り感があって、関連企画の豊富さとともに、担当者の力の入れようが偲ばれる感じで好もしかった。僕が子どもの頃に読んだ覚えのある“長くつ下のピッピ”や“スプーンおばさん”が北欧ものだったのかと今更ながらに知り、親しんでたのは決してムーミンだけではなかったことに少々驚いた。また、僕がむかし我が子に買ってやった覚えのある絵本『つきのぼうや』を展示資料に見つけ、これも北欧だったのかと気づいた。帰宅後、書棚から取り出すと「イブ・スパング・オルセン さく・え」と確かに、それらしい名前が記されていた。 映画のほうは、アイデアの勝利といった作品だった。人とモノの関係について物思う人はたくさんいるし、ペトリの問題意識も何ら変哲のないものなのだが、実際に、自分の部屋をまるまる空っぽにして倉庫に移し、1日1善ならぬ1日1品で必要なものを部屋に戻し、その間、生活用品を何も買わない生活を1年間続けるなどという生活実験を実際にやってみたところがミソだ。最終的にリストアップされた365品目がエンドロールで流れていたのに、その全てには字幕が付かず、最初の10品ぐらいで終わったのが如何にも残念だった。 元々モノに対する執着心があまりなくて、服も装飾品もアイテム類もほとんど買うことがなく、ケータイもデジカメも持たず、CDもDVDもほとんど持っていない僕でも、購入物とも言いがたいような資料には随分と囲まれているから、他人事ではないのかもしれないが、あまり物を買う金もないので、幸か不幸か、購買物に埋もれて幸福感が得られないというような感覚には見舞われたことがない。流行や宣伝に乗せられることが嫌いな天の邪鬼なので、買わされるイメージが湧くとたちどころに気持ちが萎える。それはそれでまた、不健全というか偏屈なのかもしれないが、ペトリを観ていると、そういうことにも通じる部分のある厄介なナイーヴさが垣間見えて面白かった。 生活実験で課した一年のなかで予期せぬ恋人ができて、実験と恋愛との優先に悩む場面があったが、そんなことに悩む気持ちのほうが知れない気がした。だが、男の子のある種のタイプにはありがちなことだとも思う。なかなか顔出しがされなかった恋人の姿が最後になって出てくるが、思わぬ美貌に驚いた。画面に登場しなかったのが編集による作品上の演出なのか、はじめのうちは顔を写されること自体を拒まれたからなのか不明だが、なぜか何となく後者のような気がした。 また、上映前に解説ではなく企画趣旨として少しばかりのコメントが担当者から添えられていたのが好もしく、顔の見える上映企画になっているように感じられた。そのなかで、日本と違ってモノを大切にする北欧文化というフレーズが出てきたのが非常に興味深かった。まだ若い担当者と違って、五十路半ばの僕などは、まだモノの乏しかった時代を知っているから、『ALWAYS 三丁目の夕日』['05]の映画日誌にも「大人というのは妙に小器用で、物を作ったり直したりするのが上手くて、親切だけどちょっと恐い存在だったような気がする。また、大人も子供も、食べ物以外に物を買うことなど、滅多になかったように思う。だから、物作りや修理が上手だったのだろう。」などと綴っているのだが、担当者の女性の年齢だと、それは失われた日本どころか、北欧と異なって日本ではとなってしまうことが衝撃的だった。時代認識とか比較文化というものの難しさと面白さに改めて気付かせてくれたように思う。なかなか良い企画だった。 | |||||
by ヤマ '15. 3. 7. 県立文学館1Fホール | |||||
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