『殺されたスチュワーデス 白か黒か』['59]
監督 猪俣勝人


 ドイツ/フランス/中国合作のジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~は、配給が怖気づいて買い付けなかった映画だとのことだったが、半世紀以上前に撮られた本作は、原作・脚色・監督を担った猪俣勝人によると、撮影中からカソリックの妨害を受け、封切り間もなく、突如、一方的に配給を打ち切られた作品のようだ。

 どういう圧力が働いたのか、その後の名画座等での上映は、毛利記者(田宮二郎)のまとめた『日本の暗室』と題する記事の内容として描いてあった、修道司による信者女性との情交場面や殺害場面などをすべてカットして27分も短縮した95分版だったようだが、今回アメリカのコレクターからリースしたフィルムが幻の完全版だったとのことで、実に貴重な上映会になったとの前説が主催者からあった。

 映画上映に併せて設けられていた講演が、十年前に北海道新聞で北海道警の裏金問題の調査報道をデスクとして指揮した高田昌幸氏(現高知新聞社社会部副部長)による“権力と報道”についてのもので、映画作品以上に興味深いものだった。

 というのも、映画作品のほうは、半世紀以上過ぎた今の時代からすると、聖職者にあるまじき行状としてのインパクトが弱まり、もはや一般人の不倫とも変わらないくらい既に宗教的権威が失墜しているように感じるので、カットされていない完全版を観ても、当時ほどの衝撃はなくなっている気がしたからだ。

 要は、不倫相手に結婚を求められ、会社や奥さんにばらすと迫られて窮地に立った不良中年による発作的殺人と変わらない物語の基本構造のほうが、宗教問題やカソリック権力の介入問題よりも強くなっている印象で、映画そのものよりも映画作品の見舞われた顛末のほうが数段インパクトがあった。

 そういう意味では、本作から6年経った'65年作品の日本列島(監督 熊井啓)のほうが治外法権的な権力の介入問題が前面に出ていたように思うが、'50年代には、そこまで率直には踏み込めなかったのだろう。

by ヤマ

'14.12.14. 龍馬の生まれたまち記念館



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