『渇き。』
監督 中島哲也


 のっけから「あ、タランティーノを意識してるなぁ」などと、アメリカから逆輸入された東映作品のような外連味を楽しんでいるうちはよかったのだが、次第にどうにも胸が悪くなってきた。役者にも演出にも力があるだけに、老体にはキツい作品だ。なかでも一番キツいのは、そのキツさに耐えてなお残る観甲斐のようなものがないことだったような気がする。ただひたすら疎外と悪意と狂気を描きたかったのだろうか。こういう代物をエンターテインメントとして楽しむ術を僕は持ち合わせていない。

 十年前の下妻物語['04]は、生理的嫌悪感を凌駕するだけの面白さがあったけれども、嫌われ松子の一生['06]も性に合わなかったし、『パコと魔法の絵本』['08]については手元のメモにものは試しと観てみたら、見事に沈没(笑)。近来、これほど乗れないままに観た映画は覚えがないくらいに外れた。と記してある。
 そのとき、なぜだろうと振り返ってみたところ、どうにも僕の目には、意表を突こうとする思惑のために奇を衒っているようにしか映ってこないばかりか、それを作り手が楽しんでいるというよりも、クリエイターとしてのスケベ心のほうが先立って感じられて、どんどん興が醒めてくる方向に作用したからではないかという気がしている。メモにはそれなりのキャストが、求められた怪演に熱を入れていたが、そこにはそれなりの力を感じながらも、凝りまくって熱入れて作っていることが却って脱力に繋がっていったのは、作り手との相性が余程悪いということなのだろう。笑いとエンジョイに係る自分とのセンスの違いが決定的だという気がする(苦笑)。なんかアホくさかったよ(とほほ)。と記してある。
 四年前の『告白』['10]に至っては「どっか~~ん。。。(とほほ) なんか趣味の悪い作品だったなー。」としか記してないが、原作のほうは滅法面白くて感想文にも映画化作品とは雲泥の差を感じる、卓抜した人間観と倫理感覚に溢れた小説だったように思う。と記してあるから、中島哲也監督とは、どうも相性が悪いようだ。

 描写のどぎつさが好悪の分れるところのように言われているようだが、僕が辟易としたのは描写の過激さのせいではなく、描いている悪意の下衆っぷりだったように思う。それを以て「これが現代日本なんだ」などと言われても、そこにあるのは風刺や批評ではなく、作り手の悪趣味感だけだったような気がしたのだろう。

 かつての東映のお下劣エンタは、役者や演出の力量が本作よりも遥かにチープで緩かったことが、却ってエンタメとして接しやすいものを造形していたのだと改めて思った。それを緩みのないテンションで造形されると、楽しむよりも嫌なものを観た気分になったように思う。

 それは、加奈子(小松菜奈)を生まれながらの悪魔として観るのではなく、多くの少女が思春期に迎える父親嫌悪の問題をパワフルな役者たちを使って悪趣味にカリカチュアライズして描いているように僕が受け止めたからかもしれない。娘というものがそちらのほうに向かってひた走ることについては、長じつつある同性の娘を捌け口にして、我知らず母親が妻としての自らの不満を吐き出すことで、抑制ではなく加担することによって加速化させるようなところがあるのではないかとかねてより思っている。そして、そこのところについても、同様の“悪趣味にカリカチュアライズして描く”視線というものが潜んでいるような気がした。

 そういう意味でも、子は親の鏡であり、いい迷惑というか哀れなものだ。加奈子の場合、父親(役所広司)への悪意が半端ではなく、いくら幼女期における愛情と憧れが強いほど反動が大きいにしても、また、父親の真の姿が「ぜぇ~んぶ判ってる」気になったときにゲスの極みだったにしても、あまりにもの悪意と壊れ方だったように思う。

 映画での加奈子は、中学時代に自殺という形で殺された同級生の死から変貌したように描かれていたような気がするが、父親嫌悪についても、その頃からだったのではなかろうか。床置きのウィスキーでダラしなく飲んだくれている父親を観ていた加奈子と、藤島の記憶のなかで明るくあどけなく微笑む妻子の姿との間には大きなギャップがあるが、それは必ずしも藤島の願望が作り上げた美化ゆえではなく、かつてそういう時期が実際にあったのだろう。

 ただ、ストレスフルな仕事ゆえ不在がちであるばかりか、家にいるときは呑んでばかりいることの多い藤島の夫婦仲は、加奈子が同級生の死を契機に壊れる前から冷えてしまい、それもあっての深酒だったような気がする。それでも、“ママは恋愛中でいない”ことで藤島が三年前の事件を起こすまでは、藤島とてあそこまで壊れてはおらず、先に派手に壊れたのは娘のほうなのだろう。そして、その下地を作っていたのが、冷えてきた夫婦仲のなかで、妻(黒沢あすか)が娘に夫の悪口をこぼさずにいられなかった状況なのだろうと思った。加奈子はその頃に親を見限り、同級生の死をきっかけに壊れ、そこから、壊れることに疾走し始め、バケモノになっていったような気がする。

 敢えて原作に当たってみたいとまでは思わなかったのだが、映画化作品を観て思いを巡らせた藤島家の崩壊の図は、このようなものだった。





推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928742656&owner_id=1095496
推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より
http://blog.goo.ne.jp/rainbow2408/e/743ec5dff5827d3b70f51309b0a381a5
by ヤマ

'14. 7. 3. TOHOシネマズ4



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