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『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』['32] | |||||
監督 小津安二郎 | |||||
いま五十代半ばの僕を産んだ母親がまだ生まれてもいない時代の作品だ。山田洋次監督の『小さいおうち』['13]を観たとき、平成育ちの健史(妻夫木聡)が、戦前の当時の状況は違っていたはずだと“史実”を教えようとするたびにタキ(倍賞千恵子)が異議を唱えていた姿が強く残っていて、BSプレミアムの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」で録画してあったものを今頃になって観た。タキが奉公に上がった年よりさらに五年くらい前の昭和7年の日本の風物が、生き生きとした映像によって捉えられていた。 小学校の教室に「爆弾三勇士」と記した書が掛けられている傍らで、テニスに興じつつ、ホームビデオならぬ8ミリ映画を楽しみ、運転手付の車で出勤する会社役員の専務(坂本武)一家のブルジョア生活や専務に取り入って課長になり、専務の住まいの近くの郊外に庭付きの家を構えたと噂されているサラリーマンの一家の様子が映し出されていた。物語の軸になっているのは、その課長一家の親子、夫婦関係を捉えた家族模様で、加えてそこに当時の子供同士の親和と疎外のデリケートな人間関係が活写されていたわけだが、サイレントならではの映像の動きと物の描出で魅せる画面の豊かさに、大いに感心させられた。 僕にとっては同時代の漫画と言える赤塚不二夫のイヤミの「シェー!」を髣髴させるポーズや「オナカヲコワシテヰマスカラ、ナニモヤラナイデ下サイ」などという張り紙を背につけられて遊んでいる子供の姿に笑いながら観ていたのだが、父親(斎藤達雄)が会社で、家では見せない滑稽なヘン顔や動作で剽軽を売っている姿を、父親の勤める会社の専務の息子である級友の太郎(加藤清一)や他の級友とともに、息子たちが8ミリ映画で思い掛けなくも観る場に同席する羽目になっていた顛末には、専務が芸者衆に脂下がっている図を妻に見られてバツが悪そうにしていた様子とは比較にならないものがあって、痛烈だった。 「偉くなる」ということの社会的意味が八十年前の戦前日本と今とでどのくらい違うかと言えば、せいぜいで次男(突貫小僧)の目指すものとして挙げられた“中将”が今はなくなっていることくらいではないかという気がした。「どういふ譯で太郎ちゃんのお父ちゃんにあんなに頭を下げるの?」との長男(菅原秀雄)からの憤りに満ちた問い掛けは、サラリーマンの悲哀などという言葉では片付けられないくらい、父親にとっては痛烈極まりないものだったに違いあるまい。斎藤達雄が抜群にいい演技をしていたように思う。 父親が妻(吉川満子)に漏らした「この問題はこれからの子供には死ぬまで一生ついてまわるんだ」との台詞字幕を観ながら、戦前戦後でも、この点に関しては何ら変わるところがないように感じられたところが鮮烈だった。思えば僕は、就職活動時期に、それが嫌で民間企業の会社訪問をしなかった覚えがある。ゼミの教授や先輩のコネ、会社訪問といったものを要しないところしか受けなかった。幸いにして今まで、さしたる苦労も味わわないままに三人の子供たちが独立し、いちばんの役目は全うし終えたように感じているが、改めてその幸運に思いを馳せた。 ワーク・ライフ・バランスやクオリティ・オブ・ライフといった言葉が流通し始めたのは、僕が五十代に入ってからのような気がするが、そういう意味では、僕は時代を先取りしていたのかもしれないなどと思った。だがそれは一重に幸運の賜物であって、職場でも家庭でもさしたる咎めを被らずにけっこう好き勝手な道楽生活を続けて来られたことが、そう易々と再現されるものではなかろうという自覚があるためか、つい先ごろ大学のゼミ友とサークルの後輩がたまたま知り合った際に、思わぬ共通の知人として名が挙がった僕の不埒さを二人であげつらって大いに盛り上がったと知らされたことに思い当たるところがあるゆえか、僕は、多くの人が口にするような若い時分に戻って人生をやり直したいなどと思ったことがついぞない。友人から“積極杜撰”と冷やかされていた若い頃の行状を繰り返して、今より苦難の少ない人生が待っているとは到底思えない。 本作の冒頭、郊外の家に引っ越すトラックの車輪が泥濘に嵌り空転を続けて難儀する場面が映し出されるが、そこから抜け出すことは不可能ではなくとも、なかなか大変だ。焦ってふかせばふかすほど空転がひどくなり、溝が深くなる。かといって車輪を回さずに抜け出す術はないわけで、工夫を要した技術と運が作用するわけだ。はなから泥濘なぞに嵌らないまま往来を抜け、行き着けることの幸いは“無事これ名馬”との言にあるとおりだとつくづく思う。 | |||||
by ヤマ '14. 4.13. BSプレミアム | |||||
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