『リスボンに誘われて』(Night Train To Lisbon)
監督 ビレ・アウグスト


 人の生の数奇というものについて、ある種の感慨をもたらしてくれる味わい深さがあった。これだけの豪華キャストを実にさりげなく据わりよく映画に息づかせるのは、さすがの手並みで、僕にとってはペレ['87]に次いで記憶に残る作品になった。

 独裁政権下の'70年代のポルトガルで革命の大義に命を懸けて政治活動に従事している若者たちにおいて、決定的な場面を左右しているのが女性の存在であって、彼女にまつわる嫉妬や負い目、秘めたる熱情といった感情だったりするのは、いかにも普遍的なことで、先ごろ観たばかりの猿の惑星:新世紀(ライジング)にも感じたような納得感があった。エステファニア('70年代:メラニー・ロラン、現代:レナ・オーリン)の心変わりに翻弄されたジョルジェ('70年代:アウグスト・ディール、現代:ブルーノ・ガンツ)やアマデウ(ジャック・ヒューストン)のみならず、ジョアンにしても、彼女なればこそ口を割らなかったに違いないのだ。そのうえでは、エステファニアにファムファタルの魅力が立ち上っていなければならないのだが、直感的で思い切りのいい柔らかな奔放さをメラニーが見事に演じていたような気がする。変わりなく脱ぎ惜しみしないのも立派で、大いに感心した。

 不慮とも言えない死の訪れで早逝したらしき医師アマデウの遺した『言葉の金細工師』に記されていたように、総ての偶然は必然なのだから、当事者たちもがそのすべての顛末を知らぬままに40年が過ぎて、たまたまスイスの高校教師ライムント(ジェレミー・アイアンズ)が、自殺未遂の若い女性の残した赤いレインコートからアマデウというポルトガル人のことを知り、リスボンに向かうことになったり、たまたま自転車との衝突事故で眼鏡を壊したことで出会ったマリアナ(マルティナ・ゲデック)の伯父が、アマデウとともに政治活動に携わり、モーツァルトを流麗に弾きこなす指を潰されてしまったジョアン(現代:トム・コートネイ)だったりするのは、ライムントが負っている人生の必然ということなのだろう。

 ジョアンやジョルジェ、アマデウの妹アドリアーナ(現代:シャーロット・ランプリング)、そしてメンデス(政治警察PIDEの指揮官)の孫といった人たちが知ることのなかった因縁をほどくのがライムントの人生の役割だったようにも映る作品だったが、ジョアンたちはもちろんのこと、ライムントと比べても数奇とは言えない我々の人生も、振り返れば思わぬ偶然性に左右されて今があるような気がしてならない。

 5年前に「退屈な男」との言葉を妻から突き付けられた熟年離婚に傷ついているライムントが、'70年代を苛烈に生きたアマデウたちを“活力みなぎる痛烈な人生”と讃え、自らの生を「この数日を除き“退屈な人生”だった」と零していたことに対して、「あなたは退屈な男なんかじゃない」と言っていたマリアナの「そこ(あなたが退屈だと思っている人生)に戻って行くのが嫌なら、ただ残ればいい」との声掛けがなかなか味わい深かった。そして、参列した弔問客の誰一人涙しない葬儀だったと孫娘が零していたメンデスの人物造形に奥行きがあって暗示的だったように思う。

 それにしても、シャーロット・ランプリングやブルーノ・ガンツ、クリストファー・リーまでもが印象深い役柄で登場しており、長年の映画愛好者としては、嬉しい限りだった。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1933599307
推薦テクスト:「お洒落にシニアライフ」より
http://noix.blog.jp/archives/1012113620.html
推薦テクスト:「映画感想*観ているうちが花なのよやめたらそれまでよ」より
http://kutsushitaeiga.wordpress.com/2014/09/15/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AB%E8%AA%98%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6/
by ヤマ

'14.12. 7. あたご劇場



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