『ラヴレース』(Lovelace)
監督 ロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン


 僕がまだ名前を憶えている洋ピン女優のなかで一世代若いトレーシー・ローズを除くと、リンダ・ラヴレース、マリリン・チェンバース、アネット・ヘヴンは概ね同世代で、やはり'70年代がこのジャンルの最盛期だったということなのだろう。しかし、日本語で言う“濡れ場”にウェット感が乏しく、喘ぎと言うより咆哮と呼びたくなるような声だけえらく派手でなんだか体力勝負の肉弾戦のイメージがあって、しかもやたらとぞんざいなボカシやカットの多い洋ピンというジャンルそのものが、僕は好みではなかった。だから、リンダの『ディープ・スロート』['72]も、マリリンの『グリーン・ドア』['72]も未見なのだが、本作を観たあたご劇場で'81年に観たアネットのメイクラブ/テイク・オフ (Take Off)['78]は、強い印象を残している。AFAA(The Adult Film Association of America)アワードなどというものがあるのを知ったのもそのときだ。『ディープ・スロート』や『グリーン・ドア』はAFAAアワード以前の作品のようだが、『メイクラブ/テイク・オフ (Take Off) 』を観て、洋ピンを見直して以来、機会あればと思いつつ、今なお観るに至っていない。

 なかでも『ディープ・スロート』は、“喉の奥にクリトリスのある女”という当時の売り文句に笑って呆れた覚えがあって気になっていたので、'05年にドキュメンタリー映画『インサイド・ディープ・スロート』['04]が公開されたときには、『ディープ・スロート』本編以上に興味深く思った。しかし、高知では公開されず、どちらも未見のままだが、今回、劇映画化された本作を観る機会を得て、かのドキュメンタリーがリンダ・ラヴレース本人の死後に製作されたものだと初めて知った。

 興味深かったのは、映画のなかで『ディープ・スロート』から12年後にリンダ(アマンダ・セイフライド)が執筆していた自叙伝(『Out OF Bondage』['86]というもののようだ。)に対してポリグラフが掛けられていたことだった。おそらく『ディープ・スロート』周辺を巡っては、さまざまな人物からさまざまな言説が飛び交っていたのだろう。そのうえで感心したのは、本作では、ろくでなしのDV夫のチャック・トレイナー(ピーター・サースガード)が元々からのろくでなしというよりは、リンダの稼ぎに頼るようになるにつれ次第に壊れていったように映っていたことだった。

 その点からすれば、妻に出演させたポルノ映画の興収6億ドルという空前絶後の大ヒットで、おかしくなっていったのがチャック一人とは思えないし、リンダが収入のすべてを管理されていたというチャックの言うように、1,250ドルの出演料しか得てなくて、あのような生活を送るのは、妻に相場の6倍の値段で売春強要をしていたとしても到底無理だと思われるが、時代の寵児としてのメディアへの出演料だけでも破格の収入があったと考えられなくもないのかもしれない。だが、本作に描かれていたことが全てではない気がする。ポルノムービー業界におけるマフィアの影は、それなりに匂わせてはいたように思うものの、随分と薄められていたし、当時、巨根男優で名を馳せていたハリー・リームス(アダム・ブロディ)やスティル・カメラマンがやたらと好人物に描かれていたのも、本作はほぼ全面的にリンダの目に映った『ディープ・スロート』秘話すなわち自叙伝『Out OF Bondage』ということなのだろう。17日間が事実かどうかはともかく、そう永らく身を置くことはなかったとしているポルノムービーの世界が普通に業界然として描かれていたのも、それゆえなのだろう。

 作り手の立ち位置であるリンダの視座からの焦点は、まさにチャック&リンダ、そして、リンダ親子の関係性に向かっており、業界ものとして描き出そうとしていたわけではないように感じた。そのようなことからすれば、むしろ、リンダがどのようにしてラヴレースの名を捨て、ボアマンとしての生を取り戻し、地味な家庭を営むに至ったのかを観てみたい気がした。






推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1923117610&owner_id=1095496
推薦テクスト:「Jのたわごとブログ」より
http://tarori.exblog.jp/22705470/
by ヤマ

'14. 9.22. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>