『放射線を浴びた[X年後]』
監督 伊東英朗

 2015年の核不拡散条約再検討会議に向けてスイスのジュネーブで開かれている第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴えて24日に発表された共同声明に、日本政府が署名しなかったことが新聞で報じられた翌日に観た。おまけに、太平洋でのアメリカによる水爆実験で被曝した漁船の3分の1が僕の住む高知船籍だというのに、このことについて僕が充分な認識を持たないまま来ていたということが余計に刺激してくる部分があったように思う。

 新聞報道によれば、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という表現が日本の安全保障政策と一致しないとして、岸田文雄外相の指示で修正を求めたが、合意できなかったからということのようだ。

 世界の75カ国が賛同した共同声明に被曝国である日本の政府が署名をしなかったのは、ひとえにアメリカへの配慮なのだろう。1954年のビキニ環礁での、広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされる水爆実験で被曝した漁船員への手当てや補償には何ら向かうことなく、第五福龍丸の事件後、わずか7ヵ月後に200万ドル(7億2千万[当時])の“慰謝料”をアメリカから受け取ることで“完全解決”とし、以後太平洋での水爆実験に対して、いっさい口を出さないことを約す覚書の存在が公文書開示で明らかになったことを示していた本作でも、全く同じことが窺えていたように思う。

 アメリカは200万ドルを支払った後も核実験を続け、太平洋での核実験の総数は100発にも及ぶにも関わらず、覚書締結以降、日本政府は遠洋漁業への出漁にも日本での水揚げにも何らの規制を掛けることなく、放射能測定検査自体を1954年限りで止めてしまい、タブー化して封じてしまったようだ。しかも200万ドルは、下落した魚価や魚を遺棄させられたことで生じた損失補填として漁協を通じて船主に配分され、当の被曝した漁船員たちには届いていなかったようだ。いかにもの構図(もっとも200万ドルを単純に1隻あたりに割り戻すと72万円にしかならないのだから、全額を投じて漁船員に割り当てても一人数万円にしかならない計算になる。)である。そうして、福島原発事故でのメルトダウンによる放射能汚染で流通から排除された食品とは比較にならないレベルの高濃度汚染の魚を、日本政府は無規制のまま食卓に上らせていたらしい。アメリカを刺激したくなかったのだろう。

 確かに、第五福龍丸のことは知っていた僕も、それ以降のこのようなことは知らないままに来ていた。実験が続けられたことは知っていたが、あれだけの被曝事件があったのだから、以後は被曝者を出さないよう努める調整がされたのだろうとばかり思っていたが、とんでもないことだったようだ。目をつぶり口を閉ざしただけだったわけだ。国の権力者たちは我が身を守ることや栄達には汲々としても、自国民を守る気などハナからないことをここまで思い知らされると、さすがに唖然としてしまう。

 半世紀以上経って関係者の証言を追っている作り手に対し、もう八十代になっている未亡人の一人が、被曝した漁船員たちが悔しい思いをしながらも甘んじていたのは今の時代の人たちには理解できないことだろうが、当時は日本の戦後政府もヨチヨチ歩きの頃で、いっぱいしなければいけないことがあって、それどころじゃなかったろうと思う、というようなことを語っていたのが印象的だった。そうとでも解さなければ心の持って行き場がないのが痛ましい。

 だが、あれから半世紀以上経って新世紀になっても、基本的に政府のスタンスは何ら変わることなく、自国民への思いよりも常にアメリカの顔色を窺ってばかりいるわけだ。郵政民営化であれ、TPPであれ、強欲資本主義の米国ファンドの狙っているものが、ジャパンマネーの内部留保としての郵貯残高や年金・医療保険などの資金であることを承知のうえで、「一丁目一番地は規制緩和だ」などと甲高い声で調子に乗っている竹中平蔵のことを想起しながら、何だか腹が立って仕方がなかった。

 それにしても、アメリカというのは本当に“ならず者国家”だと、ノーム・チョムスキーなどの指摘を改めて思い出した。トルーマン大統領の開いた東西対立構造における核開発競争の罪深さは、本当に重たい。太平洋で度重なる核実験をし、遠く離れた自国本土にも死の灰が降って来ることを知りながら続けていた一番の目的が、本作で指摘されていた“首都ワシントンに投下された場合の被害想定をシミュレーションするためのデータ収集”だとは思えないが、そういうことは当然にして行なわれていただろう。

 本作で示されていた被曝漁船数は、1000隻近くに上っていたように思うが、その3分の1を占める高知船籍漁船の乗組員の3分の1が還暦まで生き長らえることがないままに、癌系統の病で死んでいき、通常の病とは異なる発病に晩年苦しんでいたようだ。それでも、被ばく手帳の交付すら政府から認められないのは、ヒロシマ・ナガサキ以外の被曝者を認めるわけにはいかない“国是”ならぬ“日本政府是”によることが透けて見えていた。何年も経ってからでないと見えてこないことへの思いが本作のタイトルに込められているように感じられた。安倍首相が繰り返す「誇りある日本を取り戻そう」とのスローガンが向けられるべき対象は軍備増強や靖国参拝などではなく、こういう対米姿勢からの脱却にこそあるような気がしてならない。

by ヤマ

'13. 4.27. 高知城ホール



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