『最強のふたり』(Intouchables)
監督 エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ


ヤマのMixi日記 2013年04月16日23:58

 相互に+αで与え合えるものを持っている掛け替えのない関係ってイイな、などと思いつつ、大富豪フィリップ(フランソワ・クリュゼ)の世界ではあれだけ快活に笑うドリス(オマール・シー)なのに、己がホームグラウンドではニコリともしなくなる落差の激しさが無言のうちに語っているものが、澱のように残る感じもあった。モデルの実在する作品として、生に描くことを敢えて避けた部分がたくさんあったような気がして仕方ない。

 とはいえ、何のサプライズもないはずのサプライズ・バースデー・パーティでの“ブギー・ワンダランド”の場面は良かったなぁ~。あの無頓着さは、やっぱ破格で、おいそれと真似できる芸当ではないぞ(笑)。

 また、髭をオモチャにして遊ぶときのギリギリ感の危うさは、地雷原を無造作に歩いているようで、なかなかスリリングだった。その関係のありようは「最強のふたり」というよりも「奇跡のふたり」という感じ。エンドロールで映ったワンショットの本人たちの姿にモヤモヤ~とした(笑)。

 いちばん可笑しかったのは、あんなのは俺にだって描けそうな気がするって言ったのが言葉だけでなく、実際に行動に移して、絵を描いてた場面。こりゃ本気で金になると思ってるよね~と、妻と二人で笑い合った。



コメント

2013年04月17日 08:29
(ケイケイさん)
 確かにリアルな生臭さを、一歩手前で描くのを辞めていましたね。
 でもそれが、幅広い層に受け入れられた要因かも?
 最大公約数の観客は、本当の事は避けて通りたいんですよ(笑)。


2013年04月17日 11:35
(ミノさん)
 私もそう思いますねえ。
 うまく生々しい現実は、観客の想像力に任せ、語らず・・というのが成功のコツなのかも。大人の観客は十分、痛い思いしてそこにいるので、ド本音なものなど見たくないのかも。。人の本音や生々しさって疲れますから。だからこの映画って、ファンタジーというか。
 終わって最後に本人出てきたとき「え?実話?」って本当に驚きましたもん。


2013年04月17日 21:09
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、ケイケイさん、

 実話っていう振りがされていなければ、僕も最高の人生の見つけ方のように素直に観られたのかも。それなりに楽しんで観はしたんですけどねー。

 映画日記に書いておいでの「以前の彼は関係ない。今の彼が大切なのだ」と。それは事故の前と今とでは、違う人間になってしまった彼にとって、意味の深い言葉というのは鋭いご指摘ですね。そのとおりだと思いました。最後には、就職面接に行った事務所の壁にかかっている絵を観て画家の名前を話題にし、髭が伸び放題の風貌に作家の名前を持ち出す青年にドリスがなっていましたね、過去の彼ではなく。

 ところで、フィリップがやおら「キミの生涯の仕事ではない」とドリスを解雇したのは何故だとご覧になりましたか?


 ◎ようこそ、ミノさん、

 時に、シリアスに身につまされるものやドンと重たいものの手応えに観賞の醍醐味を覚えるときもあれば、ストレス解消や癒しを求めるときもあり、何に物足りなさを感じ、何にウンザリするかは一概に言えませんよね。

 疲れてもなお人の本音や生々しさに迫りたい心境になる作品って、どういうときに欲するものなんでしょうかね? 若くてバイタリティのある時分には、そういうのをむしろ手応えとして観賞していたように思いますが、確かに歳かさを経て、かつて少々軽んじていたような作品の持つ侮れない味わいというものを楽しむようにはなった気はしています。

 ミノさんは、実話ってことが気にならずに観られて良かったですね。確かオープニングクレジットで知らされていたと思うんですが、観てて気にならなければ無問題ですもんねー。


2013年04月17日 23:39
(ケイケイさん)
 > ヤマさん

 平たく言えば、自分の介護は、男子一生の仕事ではないと思ったのだと。
 雇い主の潤沢なお金を使って、あれもこれもやっていますが、あくまで主従の従でしょう?
 彼に“主の人生”を送って貰いたいのだと思いました。
 言うなれば、友情ですかね?


2013年04月18日 07:29
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、ケイケイさん、

 ということは、彼の画才を育む気はなかったということですから、実は画才として認めていたわけでもなく、知人に1万1千ユーロで売りつけたのは金持ち同士の悪戯だったということですよね。
 僕もそのように解していたのですが、“主の人生”を送れということで突き放したというよりは「キミの生涯の仕事ではない」を口実に、彼を求め必要としている家族の元に送り返そうとしたのだと受け止めました。

 自分にとっても必要だから、ホントは放したくないのだけれども、自分の都合だけを押し付けられなくなっていたのは、やはり友情ゆえですから、結論的には同じなんですけどね。


2013年04月18日 10:09
(ケイケイさん)
> ヤマさん

ということは、彼の画才を育む気はなかったということですから、実は画才として認めていたわけでもなく、知人に1万1千ユーロで売りつけたのは金持ち同士の悪戯だったということですよね。

 去年の秋に観たので、そんな事全然忘れてました(笑)。
 私には重要な事ではなかったようで。
 このシーンは、お金持ちという種族に対しての皮肉ですかね?

僕もそのように解していたのですが、“主の人生”を送れということで突き放したというよりは「キミの生涯の仕事ではない」を口実に、彼を求め必要としている家族の元に送り返そうとしたのだと受け止めました。

 突き放すというより、自由になりなさい、ですかね?
 その選択には、もちろん家族の元に戻るもありですし。
 最初の頃こそ粗野だったドリスが、フィリップを介護する事で、礼節を学び知識を得たでしょう?
 それを人生に活かすには、自分の元は離れたほうが良いという苦渋の判断でしょうね。

 フィリップにも、対等な友人関係に成るという思考もあったでしょうが、いくらお金があっても、それには自信がなかったんでしょうね。だからドリスを思えば、解雇という極端な遮断になったのかも。ラストは恋愛と友情、両方得た事を表していたので、とても好きです。


2013年04月18日 20:36
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、ケイケイさん、

 金持ちに対する皮肉というよりは、利殖的な関心でしか藝術に対して臨まない者への当てこすりのようでした。まして彼は、ドリスを雇っていることに偏見の目を向けてきてましたしね。もっとも、それが特に厭味なものとしては描かれておらず、いずれもが彼らの階層における最も常識的な眼差しとして描かれていたので、ある意味“お金持ちという種族に対しての皮肉”となるのかもしれません。

 家族の元に送り返そうとしたのは、住み込みの生活から解き放つというのではなく、ちょうど彼を頼って、弟というか従弟というかの少年がフィリップの屋敷に逃げ込んできていたからだったように思います。

 養女に対して躾が必要だとの忠告を受けたフィリップが、今度はドリスに対して弟さんには躾が必要だと返していたのは、かの少年において今が最も重要なターニングポイントにあることをドリスの話から察したのではなかったのかという気がしています。

 「自分の元は離れたほうが良い」が彼の苦渋の判断だったというのは、同感ですね~。


2013年04月19日 22:24
(ミノさん)
 わたし、この映画、実は余り好きになれなかったのですが、どうにもお金の扱い方が好きになれなかったのかもしれないと絵画のくだりのお二人のやりとりで思い至りました。細かいとこ忘れてますが、あの抽象画を大金に換えたりのあたりのテイストがどうにも好きになれなかった記憶があります。

 「君の一生の仕事じゃない」というのは、自分の庇護の下でぬくぬくと生きていけるようにしてやることが、相手の可能性を試すチャンスを奪ってしまうと判断したからでしょうね。自分の仕事や可能性についてドリスは考えるチャンスをもたないまま人生を送っているようでしたし。

疲れてもなお人の本音や生々しさに迫りたい心境になる作品ってどういうときに欲するものなんでしょうかね?

 その作品の謳いたいテーマに必要な生々しさや本音ならば描かれるべきなんですが、人の苦労なりを表現する際には、かなりの洗練も必要であると思います。でないと、お金を出して、わざわざ大きなスクリーンで、苦労話ばかり展開するのを鑑賞させられる気分になりかねないというか。この作品は、全体に軽妙さが売りなので、あえてそのへんは、垣間見せるだけにして観客の想像力にお任せコースだったのかも・・

 なんだかんだ言って、おしゃれさが売りの映画に仕上がってる気がしましたね~。
 というか、富豪はどうしたって、富豪やな、というのが映画を見終わった後の私のすぐに浮かんだ感想です(爆)。


2013年04月20日 00:28
ヤマ(管理人)
 ◎ようこそ、ミノさん、

 お金の件で言えば、僕は自家用ジェットのほうに引いたかな? 何もここまで金持ちにしなくたっていいのに、と思いながら、でもまぁ、実話ベースなら、仕方ないか(苦笑)とか、ね。

 「相手の可能性を試すチャンスを奪ってしまうと判断」説は、ケイケイさんの説とも近い立場になりますね。でも、相手のためと言って、可能性や自由のために解雇というのは、実は僕、それこそ少々金持ちの驕りみたいな感じがします、絵画エピソード以上に。

 この作品の場合、その謳いあげようとしていたテーマに生々しさや本音が必要だったのかどうかは、一概には言えないことですよねー。オシャレさや軽妙が売りの作品というのにそれは似つかわしくないっていう判断ももちろん、あるんでしょうな、確かに。興行性を別にしてもね。
編集採録 by ヤマ

'13. 4.16. DVD観賞



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