『天国と地獄』['63]
『赤ひげ』['65]
監督 黒澤明


 居室の消灯をして42型テレビでブルーレイディスク観賞をすると、思いのほか生活空間色を消すことができると判ってDVDで観ることへの抵抗感が薄れてきていたところに、黒澤映画ファンの先輩に次から次へと勧められ、遂に本作もスクリーン初見を飛ばすことにした。黒い潮』('54)や『謀殺・下山事件』('81)を書いた菊島隆三が脚本のみならず製作にも名を連ねている黒澤作品二本を続けて観て、黒澤作品の社会派色を打ち出しは主に菊島が担っていたのだろうという気がした。また、二週間前に観た蜘蛛巣城でも思ったことだが、物語ること以上に、場面を際立たせ印象づける力というものを黒澤が重視していることとその卓抜さに感じ入った。スピルバーグが帰依するのは、まさしくさもあらんというところだ。

 その点では、とりわけ『天国と地獄』は、さすが名にし負う黒澤の名作の誉れ高き作品だと思った。143分もあるのに、いささかも弛まない緊迫感に恐れ入った。どう展開していくか、ずっと気がかりで見入っていた。

 そのことからすれば、最後の顛末では、竹内(山崎努)の動機に得心できない弱みが残ってしまった気もする。その場面では、これがアルモドバル監督のトーク・トゥ・ハー』について談義をしたとき話題にもなった“面会室のガラス越しの映り込み”かと、嬉しくなったのだが、その映り込みに感じられたニュアンスには、随分と違いがあったように思う。アルモドバル作品では、像が重なることによる同体化が伝えられ、黒澤作品では、対面者が並んで映り込むことでガラスの存在を意識させ、それによって二人の間にある“見えない壁ないし隔たり”というものを伝えているような気がした。

 研修医として庶民の通う病院に勤務し、明晰な頭脳も持ちながら、貧富の違いという社会矛盾に憤っての感情的な怨念の暴発によって犯行に及んだというのでは、如何にも社会派作品的な図式のように感じるし、頭脳に自信のある者による完全犯罪シミュレーションの確認実験というのも思ったが、妙にすっきりしなかった。くだんの先輩によれば、今どきの凶悪犯罪に理解しがたい動機によるものが目立ってきていることの先取りがされていたのだとのことで、いかにもファンらしい支持説だと感心した。

 僕が最後の顛末に釈然としないものを感じたのは、もしかすると、竹内は権藤(三船敏郎)が貧しい青年だった十代の時分に棄てざるを得なかった女性との間に生まれた存在さえも知らないままの隠し子だったりするのではないかなどと見込んでいたからかもしれない。何らかの因縁があると思っていたのに、結局は二人の間では希薄なままに終わったことに拍子抜けしたのだろう。

 場面的には、青木運転手(佐田豊)が無事戻ってきた息子進一に、手がかりとなる記憶はないかと詰め寄る場面に感じ入った。権藤のキャラクター造形が、その葛藤部分も含めてなかなか魅力的だったように思う。また、ナショナル・シューズの重役連を嫌う部長刑事ボースンを演じた石山健二郎もなかなか良かった。


 貧しき庶民を診療する見習い医師が凶悪犯だった『天国と地獄』に続く『赤ひげ』は、まるで前作を意識したかのように、これまた貧しき庶民のための診療所の見習い医師が登場する作品だった。

 小石川養生所の新出所長(三船敏郎)が、オランダ医学を学んだ長崎帰りの見習い医師 保本(加山雄三)に、医療問題の解決に向けては、貧困と無知の克服こそが本当は一番必要なのだと説く、菊島らしい社会派色の強さの窺える前半よりも、原作の山本周五郎的な人情物語色のほうが強くなってくる感じのあった後半が僕としては、好もしかった。

 おとよの病とその回復を演じた二木てるみが素晴らしく、養生所の賄い婦たちが長坊(頭師佳孝)の生存を願って井戸から大地の底に向かってその名を呼ぶ場面や、師の薫陶を受けて保本が養生所に残る決意を改めて伝える最後の場面が爽やかだった。

 全編通じて、少々言葉での説明が多すぎる運びを感じたが、さすがに見せる力は一流で、世界の黒澤と呼ばれる作り手のモノクロ作の集大成とされるだけの画面と演出だったように思う。その点では、前半の香川京子の場面もなかなか凄味があった。香川京子がまるで京マチ子のようで驚かされた。

 今更ながらのことではあるが、黒澤作品を観ていると、劇映画に必要なのはドキュメンタリー的なリアリティによる映像や展開ではなく、やはり劇映画なればこその“劇的”なヴィジョンなのだと思わされる。リアルそのものではないからこそ強く印象づけられる生々しさをどこまで造形できるかが、創造者としてのアイデアと技量の発揮しどころだったのだろう。




推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs201505.htm#tengoku-jigoku
by ヤマ

'13. 1. 9. & 1.12. DVD観賞



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