『関の彌太ッぺ』['63]
監督 山下耕作


 この映画が大好きだという知人から託されたDVDにて鑑賞。実に正統派股旅ものという感じで、何より絵柄が美しくて大いに感心した。そして、その美しさに見合うようにして美化されていた彌太ッぺ(中村錦之助)の純な心根にも感心した。

 女の子の最強年齢はイン・アメリカ/三つの小さな願いごとのときのエマ・ボルジャーのような五、六歳であって、お小夜(上木三津子)の十一歳ではないと僕は思うが、彌太郎の場合、妹お糸と離れ離れになったときの歳がそれなら、それは仕方なかろうというものだ。

 ラストシークエンスの一つ前の、二十一歳に成長したお小夜(十朱幸代)が彌太ッぺこそ恩人と気づく場面で「娑婆にゃあ悲しいこと、辛ぇことが一杯ある。だが、忘れぬこった、忘れて日が暮れりゃあ明日がくる。」と錦之助が語ったセリフが気になって、十年前の場面でのセリフを確認したら、「娑婆にゃあ悲しいこと、辛ぇことが一杯ある。だが、忘れるこった、忘れて日が暮れりゃあ明日がくる。」となっていて「忘れぬこった」と「忘れるこった」の違いに唸らされた。アクシデントなのか意図したことなのか知らないが、僕としては、敢えて違えていたのだと解したく思った。

 十年前に少女に言った言葉は、“今”の時点での父親との別れなればこそ、「(父親と別れた今の悲しさ辛さを)忘れるこった」であり、見目麗しく成長した若娘に対して十年後に言った言葉は、今後も長らく生きていくはずの小夜に対し「(これからの人生、悲しく辛い出来事に見舞われるかもしれないが)忘れぬこった」と、生き延びていくうえでの知恵として諭していたという違いがあって然るべきだと思ったのだ。「忘れぬこった」との諭しになっているからこそ、飯岡組との決戦に単身で臨む己が死への覚悟が表れるような気がする。

 こういうチェックができるのは、DVDならではのメリットだと思いつつ、件の知人に伝えたら、「何度も見ていますが、全然気がつきませんでした。多分、誰も、この点は指摘されていないと思います。」との返信が届いたので、やおら気になって改めて観直してみたら、僕が「忘れぬこった」と聴いたセリフは「忘れるこった」なのかもしれないようにも思えた。繰り返し聴いてみたが、どちらにも聞こうと思えば聞こえるような気がした。十年前の場面でのセリフは明瞭に「忘れるこった」だったのだが、ひどく曖昧だったのだ。だが、十年後のほうの場面ではその前のセリフの流れからも、やはり「忘れぬこった」と聴くほうが味わいがあるような気がしている。

 件の知人は、このセリフとラストショットの長回しが何よりもお気に入りだそうで、ローポジションのキャメラで彌太郎の草鞋を締めた足元から捉えた一本道を踏みしめながら三度笠を宙に舞いあげ、飯岡組に真っ直ぐ向かっていく姿に痺れているようだ。また、言うようにこのセリフは本作の肝心を握っており、このセリフの場面に続くラストシーンの絵が見事に決まっていたのと同様に、十年前のセリフの場面の後の茜空に続く彌太郎と小夜が夜の澤井屋を訪ねる場面の絵柄も見事だったように思う。画面の右隅を大きな木の黒い影による近景が占め、その木の向こうに覗かせる澤井屋の店構えを二人が訪ね歩いてくる横には後ろ向きに馬の尻が据えられていた宿場の通りの図は、まさに歌川広重の浮世絵を偲ばせるような気がした。
by ヤマ

'12.10. 4. DVD



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>