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『相性』を読んで | |||||
三浦友和 語り下ろし<小学館> | |||||
若いころ、山口百恵の『蒼い時』だったか、彼自身の著作だったかを読んでちょっと感心した覚えがあったのと「夫婦喧嘩をしたことがない」との弁を取り沙汰されていたことが記憶にあって、うちも三十年来、夫婦喧嘩というものをしていないので、ちょうど六歳上になる三浦友和の語り下ろしとの本書を手に取ってみた。彼が還暦直前のときの本だから、今の僕とは三歳差ということになる。 まえがきで「ロングインタビュー、語りおろしの本であるときちんと謳うことと、『RAILWAYS』['12]という映画のパブリシティの一環であるということを条件に」(P8)と記してあるのを見て、いかにもの生真面目というか一徹な感じが窺えて可笑しかったが、くだんの件については、「共に喧嘩で引きずる空気感が嫌いなのと、喧嘩をして初めて深くわかり合えるなどという説を、はなから信用していないからだと思う。」(P6)と書いていて、大いに共感した。 俳優以前の時期について「私には、目的がありませんでした。「いつかこうなってやる。だからがんばるんだ」というモチベーションがまったくない。…人生の目的が見つからないのには困りました。いつまでこの状態が続くのかまったくわからなかったし、抜け出すすべもない。やりたいこともない。先も見えない。…情けなくて、どうしようもない時代でした。」(P49)と述懐していたり、「私の場合、重大な決意があって行動に移したという事柄は、人生振り返ってもほとんどないようです。」(P153)などというある種の成行き任せというのは、進学先も就職先も自ら求めたわけではないところに落ち着いている僕自身の処世と頗る近く、「私は無宗教ですが、神様はいると信じているんです。」(P87)などという感覚にも親近感がある。 そんな三浦友和が「いまの自分があるのは、西河監督のおかげです。この映画出演がなかったら、自分の人生はいったいどんな方向に進んでいたか。」(P64)と語っている映画初出演作『伊豆の踊子』['74]を僕がきちんと観たのは、二年ほど前のことなのだが、彼がTBSドラマ『赤い疑惑』で最初の共演(P67)を果たし、ゴールデンコンビと謳われ、映画でも共演した山口百恵が奇跡の魂を実に説得力豊かに演じていて、大いに感心させられたものだ。もっともそのことは、少なからず想定していたのだが、思いがけずインパクトがあったのは、若くキリッとした三浦友和と中山仁だった。二人の相対する距離感の爽やかさが格別で、本作の清潔感を引き立てていたような気がした覚えがある。そして彼は、この映画の完成試写を一般客と一緒に観る体験をしたときに、初めて「いい俳優になりたい」と思う俳優としての自覚が生まれた(P66)のだそうだ。 「私は、純粋に映画ファンです。」(P146)と言い切り、「招待状が来ても試写会には行きません。必ず正規の料金を払って、一般のお客さんの中で見ます。関係者試写会での反応は、一般とまったく違うからです。映画という仕事に関わっているから、なおさらそう思うのかもしれないけれど、つくった人の思いをきちんと受け止めてあげたいと思うんです。それには映画館に行くしかない。映画は、観客として、あのサイズで、あのサウンドで、あの暗がりで見て、初めて理解できるものなんです。」(P147)と語る言葉には、単に『RAILWAYS』のパブリシティの一環として劇場誘客を促すのではない真摯な響きがあり、いまでは趣味の大きな一つになっていてDVDも含め年間100本ぐらい見ている(P148)というのも頷けるように感じられた。 そんな彼が、相米監督から役者としての自身の足りなさに気づかせてもらったと語る『台風クラブ』['85]のほうは、僕も公開時に観ている作品だ。当時の彼にすれば「もし忙しかったら、断っていた」(P122)映画らしいのだが、かつて極普通に「恐るべき」子供であったことを偲ばせつつ「十五年もすれば、俺のようになる」と言っていた中学教師梅宮を好演していたことを思い出した。 俳優以前から手を染めていた「音楽から足を洗おうと思ったきっかけは、忌野清志郎」(P76)で、「復活したRCを見て、よく理解できたんです。このまま音楽を続けることは、彼らに対して失礼だと思ったんです。音楽は趣味にしようと思いました。」(P77)といった弁に表れている彼らしい生真面目さが好もしかったが、それは、子育てについて語る部分にも如実に表れているような気がした。そして、共感を覚える部分が多かった。 いわく「子育てが上手くいくかいかないかは「偶然」でしょうね。親がいくらがんばったつもりでも、実は親の手の届かないところの影響のほうがずっと大きく、子供の人格や、その後の人生を左右していると思うからです。」(P101)、「いまの時代、子供たちがルールに反せば、親だけでなく、先生や学校も批難されます。子供を育てるには、難しい時代かもしれません。「小さなことが積み重なって、そのうち大罪に繋がるんです」などと言って、十把一絡げの考え方で子供たちを押さえ込んでいくことのほうが大罪だと、気付いていないんです。それか、ルールをつくって責任逃れをしているかのどっちかです。 先生だけじゃありません。親だってそう。ちょっとしたことで、学校に文句を言いに行ったり、…他の家に怒鳴り込んだりする。」(P114)、「私は子供に、「こんなふうになってほしい」と言い聞かせたことはありません。押し付けたこともありません。子供から相談を持ちかけられたら、それは応えないといけないと思っていますが、こちらからアクションは起こしません。 でも望むことはあります。それは「やさしい人」になってほしい、ということです。親切ぶったり、おせっかいしたりとか、そういうことじゃありません。「やさしい人」だと周囲から評価されろと言っているのでもありません。私が考える「やさしさ」は、他人のことを想像する力です。」(P116) この想像力というのが「子供だって追い込まれた状況になると、卑しい人間になってしまう。大人だったらなおさらです。現在の自分がこびへつらってなかったとしても、「こびへつらう」資質は、自分の中にあるということです。…人間の持っている感情―いい感情も嫌な感情も含めて、全部自分の中にあるということです。」(P134)と語っている部分だろう。確かに、バッシングやヘイトスピーチの惨状を持ち出すまでもなく、想像力の加速度的な貧弱さは、昨今の社会状況を観ていても顕著だし、僕が愛好する映画においても、例えば『一命』の日誌にも綴ったような説明過多や言葉や映像の過剰が目立ってきている。「自分たちが、…痛ましいニュースを目の前にした時に、真っ先にやることは、その人を批判することではなくて、「どうしてそうなってしまったんだろう」と考えることじゃないかと思う」(P136)と語る彼に共鳴する部分は多かった。 だからだろう、「例えば、毎日、豪華なディナーを食べ続けていたら、そのありがたさは薄れてしまう。料理がおいしかったことさえ忘れてしまう。だけど、ちょっと贅沢な外食が年に数回だったとしたら、きっと毎回、素直に「おいしいね」と言い合えると思うんです。家族にとって大事なことって、こういう些細なことの中にあるのかもしれませんね。…(マスコミに追われ続けた)私たち夫婦は、「自分たちにとって何がいちばん大事か」ということを考える癖がついていると思います。どうしたら心地よく暮らせるだろうか。何が大切だろうか。何が倖せなんだろうか。こういうことを、ある時期、お互いに凝縮して学ぶことができた。…私たちは、「大事なこと」を、ずっと身近なものの中に感じてきました。…当然、評価は気になります。でも、何を言われても、これは受け入れるしかありません。…私たち家族が、過激な報道に晒された時でも、それを乗り越えることができたのは、「大事なこと」がそこにはなかったからです。」(P158~159)との言葉に、マスコミに追われた経験がなくても同じように思えるのは。とりわけ前段部分は、ほぼ同じ言を自分がかつて口にしたことがあるだけに、とても興味深く感じた。 だが、僕には「パートナーのすべてを理解できるなんて思いませんし、100%理解し合える人間なんていません。でも、本当に相手の大事なことを理解できていないんだとしたら、それはやっぱり夫婦失格です。」(P180)とまでの断言はできないように思う。過激な報道に晒される中でとことん話し合うような経験を経ずに来ているからなのだろう。彼らにとっては、マイナス面ばかりではなかったということらしい、あの狂騒さえも。たいしたもんだと思う。 | |||||
by ヤマ '14.10.10. 小学館単行本 | |||||
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