『江戸川乱歩の陰獣』['77]
監督 加藤 泰

 五年くらい前に原作を再読したときには気付かなかったように思うけれども、映画版の本作を観て、小山田六郎(大友柳太朗)の屋敷の構えから運転手青木(尾藤イサオ)の配置といい、そして何よりもヒロインの名が静子(香山美子)であることといい、団鬼六の『花と蛇の遠山静子は、この小山田静子から来たものかもしれないと思った。

 原作にも僅かに出てくる囲碁ネタを改変して、映画ではヘレン(田口久美)と六郎が対局し、パシッパシッと高らかに打つ石音を執拗に響かせた後、鞭打ちの音に被せつつ、ロンドン滞在中にヘレンから教わった性的嗜好の話をするという場面にしていたのが、可笑しかった。しかも終盤の場面に効いてくる伏線にもなっていたわけだが、迂闊にもそのことに思いが及ばず、最後に全てを読み取った寒川(あおい輝彦)に向かって着物を脱いで乳房を晒しながら「ぶって、ぶって」と迫る静子をしっかと抱き留めはしながらも応えることなく、裸の静子を残して寒川が階段を下りていく際に口笛を吹き始めたときに、「なんだよ、『あしたのジョー』かよ~」と思わず脱力してしまった。「こういうことをするから邦画は安く見られちゃうんだ」などと思った途端、口笛に鞭のしなる音がヒューっと被さってきて、そう来るのかと感心させられた。まんまとしてやられたわけで、何だか痛快だった。

 それはともかく、香山美子が同じ静でも銭形平次の女房お静のときとは凡そ繋がらない女性像を熱演していて、大いに感服した。原作小説でわたしは生まれて初めて、女というものの情熱の激しさを、すさまじさを、しみじみと味わった。ある時は、静子とわたしとは、幼い子どもにかえって、古ぼけた化け物屋敷のように広い家の中を、猟犬のように舌を出して、ハッハッと肩で息をしながら、もつれ合って駆けまわった。わたしがつかもうとすると、彼女はイルカみたいに身をくねらせて、巧みにわたしの手の中を走った。グッタリと死んだように折りかさなって倒れてしまうまで、わたしたちは息をかぎりに走りまわった。
 …だが、ある日、静子がシャクヤクの大きな花束の中に隠して、例の小山田氏常用の外国製乗馬むちを持ってきたときには、わたしはなんだかこわくさえなった。彼女はそれをわたしの手に握らせて、小山田氏のように彼女のはだかの肉体を打擲せよと迫るのだ。
 …彼女の願いをしりぞけかねて、わたしがそのむちを彼女のなよやかな肉体に加えたとき、その青白い皮膚の表面に、にわかにふくれ上がってくる毒々しいみみずばれを見たとき、ゾッとしたことには、わたしはある不可思議な愉悦さえ覚えたからである。
(春陽文庫P89)なにか訳のわからぬことを気違いみたいに口走ったが、「さア、ぶって! ぶって!」と叫びながら、上半身を波のようにくねらせるのであった。(同P108)と描出されていたとおりの静子を、なかなか妖しく好演していたように思う。

 そして、原作以上に“過激さに対する亢進性”といったものを偲ばせるとともに、“バーチャル”などという言葉が今のように人口に膾炙する前から、仮想世界を現実世界に持ち込んで、寒川に挑戦しないではいられなくなる感覚というものに対する問題意識を明確にしていて、娯楽性も含め、いろいろな点で感心させられる脚本だったような気がする。

 カメラアングルや構図にもあっさり撮っている場面のほうが少ないくらいの凝りようを見せながらも、先月観た同じ加藤泰の『宮本武蔵』['73]のような“やりすぎ感満載の「一に絵柄、二に場面」”という二つを描くことだけに耽っている怪作ではなくて、バランスの取れた快作だった。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/4718747171558162/
by ヤマ

'11. 6.11. あたご劇場



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