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『クレイジー・ハート』(Crazy Heart) | |||||
監督 スコット・クーパー | |||||
大事には至らなかったのだから結果的には些細なことのように思えても、どうにも取り返しのつかないことが人生にはあるということをきちんと踏まえた結末にしてあるところに好感を覚えた。ありがちなハッピーエンドとは違うハッピーエンドがいい。 酒にだらしないバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)に、4歳の息子を預けてしまった迂闊への自責の強さを偲ばせるジーン(マギー・ギレンホール)の人物造形に納得感があって、幼い息子に何時間もの不安と怯えを与えてしまったことは、楽しいパン作りや気球に乗って別世界を見るような体験による昂揚を息子に与えてくれていたことで、結果オーライ的に水に流せることではなかったというわけだ。母親というものは、そういうものなのだろうとつくづく思った。幼子持ちのシングルマザーの“男や仕事を求める部分”と“そのことに負い目を感じている部分”の葛藤をマギー・ギレンホールが的確に窺わせていたように思う。 少し不安を覚えながらも折角の申し出を断るのも気が引けて息子にリスクを与えてしまった自分の“バッドへのほだされよう”が彼女には耐えがたかったのだろう。それはまさしく本気で彼女がバッドに惹かれていたことの証であるだけに、息子への済まなさが倍加するわけで、何とも苦しかったのだと思う。非常に確かなリアリティを感じた。 同様に強いリアリティをさりげなく忍ばせていたのが、ブレイクがそそくさと胸ポケットに入っているメモを取り出していた場面だったように思う。旅興行の小さなライブのなかでは未だ人気の衰えぬ年配層のファンに囲まれている57歳の彼が同年輩と思しき女性ファンから積極的に一夜のアバンチュールを持ちかけられてコールナンバーを渡されつつも、二十歳くらい若いジーンとの二度目の取材インタビューのほうを優先させ、そうしながらも、あわよくばの当てが外れると手堅い線にもすぐさま手出しをせずにいられないわけだ。概ね男というのは、そういうものなのであって、そこに不純も不実もなく何の屈託もないとしたものだが、仮にそのあたりが露になってもジーンが平気でいられるのかと言えば、そうとも限らないような気がするのは、子持ちとはいえ彼女がまだ三十代だからということでもなさそうに思った。 だが、ジーンの知らないそういう場面を目撃しても尚どころか、それ以上に、酒浸りのメタボでよれよれになりながらも現役感を失わないブレイクの姿と歌に、とても味があるように観客の目に映ってきていた気がする。ジェフ・ブリッジスの堂々たる貫録で、若造に醸し出せるものでは到底ないように思う。そして、結果の如何ではなく“水には流せない出来事”に対して決然と彼女自身の結論を出したうえで、その件を契機に断酒会に入って酒を断ち、異名のバッドを捨て、本名のオースティンに戻った彼に対するジーンのスタンスの取り方もまた、小娘にはない大人ぶりで、とても素敵だった。 16ケ月後の再会場面で彼女の見せていた絶妙の加減での親和性には、おそらく他方での安定要素が作用していたと思われるが、そうだとしても、それでもって彼を遠ざけるどころか望むなら息子にも会わせようとする心の開き方は、僅か一年余り程度の近しさを思うと、やはりなかなかのものだという気がする。安定要素を添えたシチュエイションにも確かな現実感が備わっていて見事だった。 こういうリアリティを細々と重ねているからこそ、物語に嘘臭くない味わいと説得力が宿り、ハッピーエンドが絵空事に映ってこないわけで、決して際立つ何かがあるわけではないけれども、大人の心に沁みてくる佳作だったような気がする。 推薦テクスト: 「チネチッタ高知」より http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/214 推薦テクスト:「TAOさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1525278276&owner_id=3700229 推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1675684687&owner_id=4991935 推薦テクスト:「Happy ?」より http://plaza.rakuten.co.jp/mirai/diary/201110280000/ | |||||
by ヤマ '11. 6.12. 美術館ホール | |||||
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