『冬の小鳥』(A Brand New Life)
監督 ウニー・ルコント


 韓国映画でよく見ることのできる“女性の強さやコワさ”というものを、浅薄な是非の視線で眺められることを注意深く排して、実に率直に誠実に描き出している秀作だったような気がする。ジニ(キム・セロン)が悔しげに事故だと語っていた“安全ピンで赤ん坊に怪我をさせた出来事”をどのように受け止めるかで随分と見え方が異なってきそうに思われるが、僕は、彼女が言うような事故ではなく“殊更の悪意なき故意”によるものだったのではないかという気がした。

 それくらい孤児院でのジニの我の強さの描出が強烈だったわけだが、それを本当に、以上でも以下でもない率直さで誠実に描き出していたところが見事で、なかなかこうは描出できないという気がする。おそらく邦題はこの場面から採られたであろうと思われる“自分で自分を生き埋めにしていた場面”が何と言っても圧巻で、死のうとして土を被ったのに死ねないことに対してさえも、何だか腹を立てているようなジニの風情がなかなか強烈だった。少なからぬ作品数の映画を観てきている僕の記憶のなかでも、あれだけ意志的で、気丈さというものを全身で放出しながら自死に向かおうとしている幼い人物の描出というのは、今まで一度も観たことがなかったような気がする。

 そして、この苛烈さというものがジニの個性というよりも、ある種、韓国女性に通じるものなのかもしれないと思わされた点が興味深く、恐らくは、ジニが言うところの“安全ピン事故”に我が子が見舞われた際にはジニの継母からも強烈に発揮されたのではないかと推察された。

 そうでなければ、娘からあれだけ慕われ、孤児院に預ける前には新調した服と大きなケーキを買ってやりながら、受け渡しのタイミングを失うとケーキの大箱を抱えたまま、すごすごと帰りかけるような間の悪い男が、9歳の娘を捨てたりするとは思えない。ジニの父親(ソル・ギョング)が子捨ての酷薄さを元から持っているようにはとても思えないだけに、後妻からの強迫ぶりが偲ばれたのだが、そうだったとしても、再婚した妻から強く言われると、我が子の願いよりも妻の要求のほうに応えてしまうのが男なんだろうなとも思い、何だか侘しくなった。
 ほとんど台詞もなく顔すらろくに映し出さない形で父親の姿を描き出していた冒頭部分が非常に重要で、泥にまみれて汚れた靴を脱がせて丁寧に足を洗ってやっている場面をも念入りに設え、院長に向かって「父さんは決して嘘をついたりはしない」とジニに言わせていたのは、ジニの父親が酷薄さから娘を捨てたのではないことを示していたのだろう。そして、経済的な生活苦によるものだけなら、音信不通にしたり転居して行方不明にしたりはしないはずであることも物語っていたような気がする。

 そのうえで、ジニの継母にもジニにも殊更の悪意はなかったのだろうと思われる点がさらに重要だ。ジニの場合は、実母に替わって継母との暮らしになっている状況への怒りと義理の弟妹いずれかの存在への妬みを抑えられずに表出させたのだろうし、継母の場合は、しょせん安全ピン程度のことではあったにしても、その行為の空恐ろしさに震撼し、ひたすら我が子を守ろうとの一心でジニの追放を強く夫に迫ったのだろうという気がした。そういう意味では、二人ともに悪いとか悪くないとかではないわけで、言わば、強い感情で怒りに囚われる不幸にそのような形で見舞われるようなことが起こるのが人の人生であるという悲劇そのものを描いていたのだと思う。
 孤児院でのジニの手に負えなさの描出において痛切と憤りが沁み渡ってくるところが鮮やかで、決して“悪い子”として描かれていなかったのは、つまりはそういうことであって、作り手の視線は、ジニを追放した継母に対しても同様の視座を持っていたような気がする。そして、これだけの手に負えなさでもって強く向かってこられたら、ジニの父親ならずとも、やはり男はたじたじになるしかないのは仕方がないのかもしれないと思ったわけだ。

 キリスト教系の孤児院でいくら手厚くケアされても、孤児ではないのに孤児院に入れられた不条理へのジニの怒りには彼女自身が最も手を焼いていて、何とか失地回復できる日まで持ちこたえようとしている様子が実に痛々しく、遂には庭に葬った“冬の小鳥”さながらに自身を葬ろうとさえするに至ったわけだが、父親が迎えに来ずとも、ジニは雄雄しく再生する。孤児院で仲良くなったスッキ(パク・ドヨン)から渡米の夢に誘われても、断固として韓国を離れないと言っていたジニだったが、死ぬことも叶わない現実の容赦なさを思い知り、それにも腹を立てることで憑き物が落ちたようだった。そして、失ったものへの囚われ故に離れられなかった地と決別する覚悟を得たと思しき後の集合写真で見せていた笑顔が何とも素晴しかった。
 人生に向ける怒りにおいても、再生に臨んでの笑顔においても、その強さの程は、とうてい男が太刀打ちできるものではないことを年端もいかない少女の姿によって思い知らされたような気がする。さすがイ・チャンドンが惚れこんだ作品だけのことはある。大したものだ。




参照テクスト:mixi談義編集採録


推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1608667547&owner_id=3700229
推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1667626418&owner_id=4991935
by ヤマ

'11. 3.18. 喫茶メフィストフェレス3Fホール



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