『山猫』をめぐって | |
「映画通信」:(ケイケイさん) ヤマ(管理人) |
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ケイケイさんの掲示板にて
投稿日:2011年 3月 2日(水)22時54分 ヤマ(管理人) ケイケイさん、こんにちは。 もう六年も前の映画日記を引っ張り出して何ですが(笑)、アンジェリカについてのコメント、素晴しいですねー(感心)。流石の“年季が築いた風格”の書かせた言葉だと思いました。 (ケイケイさん) ヤマさん、おはようございます。お読みいただきありがとうございます。お褒めいただき、お礼の二乗です(笑)。何書いてたんやろ?と読み返しましたが、すごいですね、誰が書いたんやろ?(爆) この作品のクラウディア・カルディナーレ、本当にまぶしいくらい輝いていて、感嘆したんですよ。段々と堂々としてくる彼女に嬉しくなってね、美貌とともに若さって素晴らしいなとも感じました。私の感想はカルディナーレが書かせてようなもんです。 ヤマ(管理人) 拝読して二つほど、お訊ねしたくなりました。もう時間経ち過ぎで、ピンと来ないならスルーしてください。 (ケイケイさん) 私もピントがずれていたら、ご勘弁を -------僕からの質問1------- ☆ サリーナ公爵が妻や娘の意中を察しながらも、甥のタンクレディに嫁がせようとはしなかった理由をどのように御覧になりましたか? (ケイケイさん) 時代は貧乏貴族より新興の成金平民が力を持つのはわかりきったことだったので、一番はタンクレディと成金の娘のアンジェリカを結婚させることによって、貴族階級というのを、土俵際で残したかったためだと思いました。 ヤマ(管理人) サリーナは退場を受け入れていたわけではないということですね。我が身を以って“最後の貴族”たろうとしていたようにも思いましたが、そのへんは両方の感情があったのでしょうね。 (ケイケイさん) 自分は退場する気だったと私は思います。 ヤマ(管理人) 己が意思を越えて、そうならざるを得ない歳を迎えてましたしね。 (ケイケイさん) 平民の血が混じらないという意味では、最後の貴族たるプライドはあったんじゃないでしょうか? ヤマ(管理人) 僕は、彼のプライドは血よりも美意識だと思いましたが、タンクレディとアンジェリカのカップル誕生をどういう視点で捉えるかで、そのあたりの受け止めは変わってきそうですね。 (ケイケイさん) タンクレディとアンジェリカの縁組を推し進めたのは、貴族の血を残したいという気があったからだと思います。 ヤマ(管理人) これについても僕は、時代の流れを的確に捉えているがゆえというのは同じですが、貴族の血を残したいというよりも、甥の将来を考えてのことのように受け止めました。 (ケイケイさん) 私はタンクレディの将来を考えてというのは、全く頭になかったので、ヤマさんの解釈は新鮮です(笑)。 ヤマ(管理人) ケイケイさんにお伺いして、そうかぁ血の視点か〜と自分の想定外のものをいただき、感謝です。 (ケイケイさん) こちらこそ それと、良く言えば機を見るに敏、悪く言えば日和見的なタンクレディの狡猾さは、大人しいけど面白みには欠ける自分の娘には不向きだと思ったからだと感じました。 ヤマ(管理人) 娘への向き不向きというよりも、僕は、サリーナ自身が甥に対してアンビバレントな感情を抱いていることの要素が大きいように感じましたが、… (ケイケイさん) うんうん、それもあったと思いますね。 ヤマ(管理人) ケイケイさん的には、娘の憧れや想いを叶えてやることが娘の幸には繋がらないとの判断ということなんですね。サリーナ公爵には、それを看破するだけの洞察力はありますよね。 (ケイケイさん) それとラストの圧巻の舞踏会場で、はしゃぐ貴族の令嬢たちを見て、「まるで猿のようだ」と囁くでしょう? ヤマ(管理人) ありました、ありました(拍手)。 (ケイケイさん) 私は血族婚を揶揄していたのかと思いました。これからの時代には、新しい血筋も必要なのだと、大局的に観ていた気がしました。 ヤマ(管理人) ほぅ。これも血の視点なのですね。僕は、この「まるで猿のようだ」こそ、まさしく彼が美意識、美学の人であることを物語っているような気がしてましたから、血族婚の揶揄は全く想定外でしたが、なるほど〜、そう繋がるのかと感心してるところです。 (ケイケイさん) 確かに美意識は高い人でしたもんね。結構覚えてるな、私(笑)。 ヤマ(管理人) たいしたもんです! (ケイケイさん) これは私の記憶力と言うより、ビスコンティの演出力が類まれなんだと思います。もう本当に、本物!って感じでしょ? ヤマ(管理人) いやいや。そうであったにしても、やはり流石の記憶力ですよ。 (ケイケイさん) これ多分6年前だから覚えてるんですよ。2年前くらいなら、多分だめ。最近そんなことないですか?(笑)。 ヤマ(管理人) いやもう既に“最近”じゃありません(笑)。 -------僕からの質問2------- ☆ サリーナ公爵が路地に消え去った後姿のラストショットは、時代の推移による貴族の退場を示していると解するのが本筋だろうとは思いますが、拙日誌にも綴った「映画の序盤で登場した馴染みの娼窟に向かっていたのかも」という解釈に対する御意見や如何?(笑) (ケイケイさん) 時代を幕引きしての退場って寂しいですよね。 ヤマ(管理人) 同時に、最後の一人を自負するナルシスティックなヒロイズムもあるんですけどね。 (ケイケイさん) その辺は男の美学ですね。 確か子だくさんだったけど、へそも見せない妻だというセリフが、あったような気が。 ヤマ(管理人) ありましたよん! 6年も前なのに、余程印象深かったんですな。それが貴族の作法なの?って驚かれたのかな(笑)。 (ケイケイさん) だってあんなに子供いるのに(笑)。 ヤマ(管理人) まぁでも、へそで作るものじゃないですからね(笑)。 (ケイケイさん) 仮面夫婦と言うより、当時の貴族階級の夫婦って、そういう味気ないもんだったと思うんですよ。 ヤマ(管理人) やっぱ、へそも見せないのは味気ないですか、奥方側からしても(笑)。 (ケイケイさん) そりゃそうですよ〜(笑)。 ヤマ(管理人) いや〜健全、健全(笑)。貴族ってのは基本的に変態ですからな(あは)。 (ケイケイさん) 貴族って変態なんですか?(笑) ヤマ(管理人) 働かずに食ってるという存在自体が変態ですからね(笑)。 (ケイケイさん) ビスコンティは働いてますけどね(笑)。 ヤマ(管理人) たいそう立派な仕事を残してくれてますよね〜。 (ケイケイさん) 大人に成りきったほうが、素晴らしさがわかる人ですね。時々あちこちで上映してくれるんですが、時間が長いもんで、なかなか見られないのが残念です。そういえば、サリーナが浴室から出てくるシーン、何気にゲイの匂いがプンプンしてませんでした? ストレートの男をホモホモしく描くのが、監督の趣味全開だなぁと思ってました(笑)。 ヤマ(管理人) それで言えば、やっぱ僕的にはドロンのほうにそれを感じましたよ(笑)。 (ケイケイさん) それはもぉ〜〜〜〜、昔関係があったとかなかったとかですから(笑)。 ヤマ(管理人) ほぅ、そうなんですか(笑)。 (ケイケイさん) ヤマさん、『娼婦ベロニカ』はご覧になっています? ヤマ(管理人) チラシは持ってますが、観てないです(とほ)。機会があれば、もちろん観逃さない作品なんですけどね。 (ケイケイさん) 時代は違うと思いますが、ベネチアの貴族相手の高級娼婦のお話なんです。その時にも愛や変態は高級娼婦で(笑)、妻は“対外的に必要で子孫を作るためだけのもの”的に描いていました。あの艶やかなナオミ・ワッツが、味気ない妻役なんですよ〜。新人時代から、演技のふり幅の広い人だったんだと、内容よりそちらの印象が強いです。それとジャクリーン・ビセットが当時50代半ばだったんですが、美貌は些かも衰えず、すごーく綺麗で嬉しかったな。 ヤマ(管理人) ますますもって僕好みの作品っぽいなぁ(笑)。 (ケイケイさん) 大した作品じゃないんですが、妙に心には残る作品でした。取りあえず主演のキャサリン・マコーマックが脱ぎまくってます(笑)。 ヤマ(管理人) やはり好みのポイントは、そこということですか(たは)。ま、実際そうやし(笑)。 (ケイケイさん) なので、バカやったり甘えたりして寂しさを紛らわせるのは、肌の合う馴染みの娼婦というのは、男性のご感想として、なるほど〜と納得しております、ハイ(笑)。 ヤマ(管理人) 僕には馴染みの娼婦がいるわけではないんですが、もちろん奥方の“へそも見たことがない”ってなことはありません。 (ケイケイさん) それは何より(^_^)。 ヤマ(管理人) なんであれ、バカやったり甘えたりってことのできる相手は必要ですよねー、異性相手のみならず。 ただサリーナ公爵の場合、バカやったり甘えたりして寂しさを紛らすというより「自身の老いと死に抗う力を自己確認するため」という切実が、あのときはあったような気がしました。これについては、やっぱ異性からでないと与えられないことのような気がします。女性は、やっぱ男にとって、とっても偉大なのよん(笑)。 (ケイケイさん) 性=男性としての現役感という事ですか? 手を握ってもらったり、肩を抱いて「あなたを信じているわ」でもOK? ヤマ(管理人) どのレベルでかの差異よりも、異性から認められているとの手応えの実感が持てるか否かです。相手の女性が「性行為=男性」なら、それに基づいた与え方になるでしょうし、行為ではなく存在に基づいた捉え方をしていれば、それに沿った与え方になるでしょうね。男の側は、要するに、現役感を与えてもらえるか否かってことで決まるように思います。 (ケイケイさん) それがね〜、今日観た『死にゆく妻との旅路』で、与える事によって自己確認する男性を観たんですよ。 ヤマ(管理人) ほぅ。 (ケイケイさん) 三浦友和の夫です。中年にはなかなか含みのある作品でした。 ヤマ(管理人) 友和ですか。そいつは、なかなかイケそうですね。こっちのほうでの上映は、まだ聞こえてきてないように思うのですが…(とほ)。 (ケイケイさん) 上映館は全国的に少ないですね。三浦友和は、50過ぎてから本当に素晴らしいです。 ヤマ(管理人) そうありたいものですが、年季の積み方って難しいですよね。ヘンに意識して囚われてても、こなれないしねー。 (ケイケイさん) ちょっとした言葉の裏に、私なんか一を聞いて十わかる作品でね、多分劇場で一番泣いてたと思います。 ヤマ(管理人) いいなぁ、そういう作品。 (ケイケイさん) 高知で上映の暁には、是非奥様と観ていただきたいです。 ヤマ(管理人) 塙幸成の監督作品らしいですね、なんかで見かけました。十数年前に『tokyo skin』を観て注目してたのに、さっぱり作品が出てこなくて、二三年前に『初恋』を観て、映画を続けていたことを知って感慨を覚えた監督さんですよ。 (ケイケイさん) 後者の与え方なら、老いではなく吃音というコンプレックスに対しての妻の見事なフォローを、『英国王のスピーチ』で感じたばっかりです。 ヤマ(管理人) これは高知でもやっているので、近々観に行くつもりです。 (ケイケイさん) 私の周りでは賛否両論なんです。私は好きです。ヤマさんの感想が楽しみだわ。 ヤマ(管理人) また、いろいろお話が出来そうかな(楽しみ)。 (ケイケイさん) お話したいですね〜、私も。 実は時間がなくて、アップした後、あれも書いてなかった、これも書いてなかった状態で、消化不良の感想なんです。ヤマさんとお話して、すっきりしたいわ(笑)。 ヤマ(管理人) 昨晩は観に行けなかったので、今晩でも観てこようと思ってますが、夜9時55分始まりの回になりそうです(たは)。 (ケイケイさん) 私なんか、『英国王のスピーチ』を観た日は夫に優しくなりましたから(笑)。 ところで、女性の場合は、自身の老いと死に抗う力としての“現役感”の自己確認についてはどうするんでしょうね〜。少なくても男性じゃない気はする(笑)。自分で克服しちゃうのかしら? ヤマ(管理人) 異性よりも同性の視線を意識する度合いが非常に強い気がしますね。独身時代は、女友達や先輩。嫁いでからは姑からの評価。ま、近頃は、女性も随分と男性化してきているので、そうでもなくなってる気がしますが(笑)。 (ケイケイさん) そうですね、うん、同性かも。私は中年以降は、段々誰の視線も気にならなくなりました。 ヤマ(管理人) ある種、確立されちゃったんでしょうね。 (ケイケイさん) そうなんですかねぇ。これってあんまり良い事じゃないような(笑)。 ヤマ(管理人) それで崩れたり、だらしなくなって固まっているのでなければ、気になるよりも気にならないほうがいいに決まってると思うのですが(笑)。 (ケイケイさん) だらしなくなっている気もしますが(^_^;)。それにカツを入れるのは、やっぱ映画ですね! |
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by ヤマ(編集採録) | |
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