『満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか
著者 田中亜紀子(PHP新書)


 アラフォーというのは40歳前後の女性たちを言うのではなく時代とともに歩み、マスで行動する最後の世代と呼ばれ(P15)大学生の頃は女子大生ブーム、…OLになればOLブームで、『Hanako』創刊とともに元祖Hanako族としてバブル気分を満喫。結婚して出産すれば、公園デビューにお受験ママ、そして自分探し。のちにスピリチュアルブームやロハスの立役者となる(P14)女性たちが40歳前後を迎えて命名された世代名称とのことだ。その世代の女性には独身・既婚、子どもあり・子どもなしにかかわらず、…独特のメンタリティ(P12)があって、著者は男女雇用機会均等法施行のタイミングで社会に出た均等法第一世代…の1963年度生まれまでをアラフォーの上限とし、その後のバブル世代…を中心に語っている。ちょうど先ごろ1963年生まれの衿野未矢の十年不倫の男たちや1966年生まれの酒井順子の儒教と負け犬を読んだところで、確かに合い通じるような独特のメンタリティというものを感じたりしていたので、1963年生まれの著者が一昨年末に上梓した本書を手にしてみたのだが、信田さよ子と上野千鶴子の対談を結婚帝国 女の岐れ道で読んだとき以上の納得感があった。

 とりわけ新鮮だったのはアラフォーというと、40歳前後になっても好き勝手やってるシングルというイメージが世間には強いようだが、実のところ、従来よりそういった人たちが目立ってきたという話で、この層、特に40代では断然既婚者の割合が多く、アラフォーのメインを占めるのは専業主婦(P158)と直近の国勢調査2005年データを引いて、35歳から39歳までの女性の未婚率が18.4%、40歳から44歳は12.1%。ともにシングルは二割もいない(P158)と指摘している部分だった。自身がシングルの著者が常に時代の中心にいた元祖アラフォー主婦との対比で、結婚も出産もせず仕事をしているシングルが<負け犬>と揶揄されることで、再び時代に注目されたのは、なんだか皮肉のようだ(P166)と記していたのがいかにもこの世代らしいと妙に可笑しかった。

 かねがね法や社会制度が人々に及ぼす影響というものには侮れないものがあるとは思っていたが、均等法にまつわる形で彼女たちが置かれた状況をフィールドリサーチに基づく証言と分析によって捉え直してみると、改めてその思いを強くした。アラフォーの女性は、女性の地位向上という(社会意識)よりは自分のやりたいことや適性の追求に熱心で、次世代や女性全体のためではなく、みずからのアイデンティティの追求を重視する傾向がある。その理由の一つは、やはり均等法。どんな法律ができても、人の心や企業の体質が変わるには長く時間がかかることを目の当たりにして、主体的に“自分探し”を行なった結果、自分のいる場所を変えることよりも、自分が動くことで居場所を替えるか、自分自身を変えるほうが効率がいいと身をもって知ったから(P68)というほどの影響を与えているとまでは思ってなかった。とにかく均等法以後のアラフォー女性は、仕事の状態、年収、環境、希望など、驚くほどばらけています。前の世代はもちろん、後の世代もここまでばらけていないのでは?(P67)と均等法世代よりも上の世代のキャリアアドバイザーの女性からの証言があるのも、それゆえらしい。キーワードとなっているのは“開かれた(はずの)可能性の豊かさ”と対になる“失望感ないしは未達成感”のようだ。

 しかも取材によれば夫の職業は一部上場企業勤務か実業家。生活に困ることなく、かわいい子どもと人前に出しても恥ずかしくない理解のある夫という自分の素敵な家族を持ち、安定して消費や生活を楽しんでいる主婦たち。夫も子どももお金も、そして美貌も……と何でも持っている…彼女たちの胸に“このままじゃいけない”“変わりたい”という強い思いが渦巻いている(P162)のだそうだ。なにしろお受験にしろ公園デビューにしろ、純粋に子どものためというより、母親の自分磨きの一環であり、その時々の人生を楽しむ主人公は自分、というところが、この世代の特徴(P165)で、…だめなんです。自分が認められないと。…私にしかできないことをして他者に認められたい! 自分の本当の居場所がほしい。そういう自己のアイデンティティを認められたい飢餓感でいっぱいでした。(P177)という証言にも窺えるように彼女たちが心からほしいものは、<自分の達成感>であり、<アイデンティティ>(P185)なのだが、それを贅沢だ、我儘だと非難するのは容易だけれども、“時代とともに歩み、マスで行動する最後の世代”としてメディアに敏感であることを生の指針としてきたなかで、彼女たちが外の世界で活躍することにどんどんと目が向いていく一方、同時に<あの人たちはできるのに、なぜ私にはできないのだ?>とあせりの気持ちにイライラ。これは専業主婦に限らず、選択肢の多いアラフォーのつらさだ。道が開かれていなければ、あるいはそれがものすごく敷居の高いことなら、あきらめもつく。だが、誰も止めないし、常に可能性があるようにメディアはうたう。なのに自分は……と思うのは、とてもつらいことだ。(P169)というのももっともなことだと思った。

 加えて、その実好きなようにしたいと思っても、気に入るような社会の受け皿は少なく、何か目指したいものがあっても、時間が制限される以上、実現には根性がいる。夫がだめだと言ったり、いやな顔をするなど理由があると、状況に不満があっても<夫がいやがるし、しょうがないな>と理由がある分あきらめがつく。だが、好きにしていい、という自由な状態でうまくいかなかったり、道が開けないと、自分のイライラがさらにつのるというわけだ。…その時の失望や、たまらない気持ちは、選択肢がなかったときには考えられぬほどつらく悲しい。選択肢があるということは、実はとても罪作りだ。(P184)かつては、若いうちに子どもを何人も産んで、その後も暇ができる前に孫がたくさんできて、そして今よりずっと早く死に……と、自己実現について考える時間もなかっただろうし、アラフォー世代に比べると、社会で働いた経験のない人が多かったわけで、現在は、生き物として女性が非常に生きづらい時代になっていることは間違いない。(P181)と嘆く気持ちにも、頷ける点が多かったように思う。

 そのうえで子どもなし・シングルのアラフォーだとさらに妊娠出産における締め切りが近づき、生き物としての本能が危険信号を送ってくる(P135)とのこと。しかも「生意気で働くことが好きで結婚にはピュアな女性たち(P113)が多く、とりあえずの生活費や孤独の解消のために無理に結婚するというより、<この人なら>という出会いと、結婚の相手にロマンを感じる部分、そして真剣に人を好きになりたいピュアな気持ちが優先する点(P113)が共通しているらしい。確かにそういう傾向は、僕も感じないではない。だから、セックスはしても結婚までは選ばない、選べないということなのだろう。

 そんな彼女たちにとって、独身・既婚、子どもあり・子どもなしにかかわらずアラフォーとは、自分の状況や希望を見直し、働き方を整理して、その後の人生を充実させるためのリスタートを切る時期(P83)なのだが、臨床心理士で東京大学大学院研究科非常勤講師の園田由紀先生…の語る…女性にとってのミッドライフクライシスとは<キャリア、結婚、出産など社会での立場を確立する青年期から、自分固有の人生を生きようとする中年期への移行期におこる心の成長段階>(P200)に当たり、それまで自分が選ばなかった、または価値を見出さなかった潜在的な欲求が噴出し、急に現在の生活が無価値で色あせて見える。そして、そのことになぜ今まで気が付かなかったのだろう?という混乱に陥るのだという。(P200)

 そういったクライシスに対し、前掲の『結婚帝国 女の岐れ道』では、強迫してくる幻想からの脱却の勧めしか提示できないでいたことと比べ、本書ではミッドライフクライシスは、その後の人生を充実させるための『創造的な病』で、その人にとってそれが必要な場合におきることと考えられているので、予防を考えるよりは、自分という固有の存在を他者と比較したりせずに生きることのほうが大切なのでは。かけがえのない人生でいかに自分をまっとうするかを改めて見つめ直し、噴出してきた心の問題から逃げずに、向き合い続けることが大切です。そのうえで自分が何に価値をおいて判断してきたのかを再認識し、その判断は自分が本当に望んだことだったのか、それとも社会に迎合してきたのかを考えることが大事。そして気づいたことから目をそらさず、意識的に生きるように心がけると、おのずと道は見えてくると思います(P203)との園田氏の言葉を引きつつ、精神的にきつくなってくるこの時期に、あえてチャレンジャーになったり、恋気分に浮かれていたりすることが、ミッドライフクライシスから身を守ることになっているように思える(P205)という、果たして園田氏の言を解しているのかどうか怪しく思えてくるような、いかにもアラフォー世代らしいイケイケの前向きさで捉え、<アラフォー>の定義をここでもう一度決めるとしたら、年齢というより、アイデンティティを何よりも大事にし、その確立のためにエネルギーを注ぎ、自分の可能性を求め常に選択肢を増やしていく、そんなメンタリティにあるのではないだろうか。(P238)と締め括っていたのが、ある種、爽快であった。

 それにしても、実に、自分のやりたいことを追求してきたシングルと、達成感を求める主婦はネガとポジ。表裏一体の存在で、何よりも自己のアイデンティティにこだわるという気持ちの根っこは一緒で、この世代ならではのものであることがよくわかった。(P187)と述べるアラフォー筆者の感慨を目の当たりにして、なぜそうなのかという理由が均等法下での職業体験だけによるものなのかが、依然いまひとつ不明のままである。僕的には、それもさることながら、一番の理由は、彼女たちが“時代とともに歩み、マスで行動する最後の世代”として、メディアに敏感であることを生の指針としてきたことにあるような気がしてならない。

by ヤマ

'10. 5. 5. PHP新書



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