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『十年不倫の男たち』 | |||||
著者 衿野未矢(新潮文庫) | |||||
レディース・コミック誌の編集者だった著者の書いた『レディース・コミックの女性学』を、もう十年以上も前に読んだとき、けっこう面白かった覚えがあり、「語り始めた男たち」という序章タイトルに惹かれて読んでみたが、幾つかの事例のアラカルト集に留まっていて、分析と言えるほどのものもなく、少々期待はずれだった。 『レディース・コミックの女性学』をものしたときほどのデータ集積が果たせていないという事と、資料と違って聴取にはバイアスが掛かってくるものだという事への考慮の乏しさが、終章「得たもの、失ったもの」での「妻にしろ、愛人にしろ、女性に“得たものと失ったもの”をたずねると、具体的な言葉が返ってくることが多かった。十年不倫を総括し、言語化している男性は、女性に比べてぐっと少ない。また、自らが身を置くいびつな三角形の構造を読み解こうとして、一定の答えを得ているのも、女性のほうに多いようだ」(P289)という記述に表れてくるのだろうなという気がした。 序章で「不倫も浮気も、“性交渉がある”というのをまず前提にして、浮気を“その場限りで終わる一時的な関係”、不倫は“精神的な結び付きがあることと、交際を維持する意思があるということを、双方が了解している関係”と定義づけ」(P12)ながら、定義に即した考察を進めるよりも、ただの聴き取りに終始した感じだった。しかも結局のところ女性たちからの聴き取りのほうが多いし、“十年”のところにもさして頓着してないアプローチが気になった。 それでも、自身に既婚男性との恋愛経験も、結婚と離婚の経験もあるらしい著者が語る「不倫は“よくある話”であると同時に、“バレたら一大事”でもある。このアンバランスさは、現代社会がかかえるもろもろの象徴でもある」(P16)のは、間違いなく、また、あるケースについて記していた「(十年不倫を続けるその男性は)弱い立場の相手を利用しようとする性格でもない。まじめに考えると、責任の重さに押しつぶされそうになる。だから事実から目をそむけ“主導権は彼女のほうにある”という着地点に落ち着こうとしていたのではないだろうか。まじめな人ほど、結果として、ずるい考えに逃げずにはいられなくなるのである。…そしてまた、こうしたタイプの男性に愛情を感じるのは、彼のまじめさや、現実に直面できない弱さに気づき、受け入れることができる女性である。彼の葛藤や逡巡を先回りして、強がってしまう。二人のバランス・ゲームは複雑化し、よけいに結びつきが深くなる。だから別れられない。そんな図式が見えてくる」(P54)と記していることにも妥当性があるようには思うのだけれども、これを「十年不倫のカップルを見ていて、歯がゆいことの一つである」と記すスタンスには、少なくとも観察者や分析者の目はなく、僕が本書を手に取る際に求めたものが得られなかったのも無理からぬ話だった。 なにせ、あとがきの末尾を締めくくっているのが「…取材を続けてきた挙句の実感を、中締めとして総括してみたい。どんな言葉がふさわしいだろう。ふと口をついて出たのは、こんな紋切り型の表現だった。“男と女は不思議だなあ”」なんだもの。いやはや(苦笑)。 | |||||
by ヤマ '10. 3.14. 新潮文庫 | |||||
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