『ボンデージ』(Whore)
監督 ケン・ラッセル


 ポルノ映画の衰退と一般映画のポルノ化のなかで、昨今エロティックな作品がもてはやされていて、なかでもSM・覗き・フェティシズムなど、さまざまな倒錯的な性の官能の煌きというのが今風の流行のようである。この作品もそういった時流に便乗して創られたのだろうなどと高を括っていると、ぎゃふんと言わされることになる。ここに描かれる性は、およそ官能やエロティシズムとは対極に位置する凄じいほど殺伐とした性の荒野である。そして、観客に向かって、語り掛けるというよりもカメラ越しに浴びせ掛けて来ると言ったほうが適切なほどの猥雑で下品なスラングの洪水には、いささか辟易とさせられるといった嫌いがないでもない。そういったドラマとドキュメントを融合させた、カメラに向かって語り掛けるスタイルなどというものは、もはや陳腐な臭みは招いても、およそ新鮮な衝撃など与えられようはずがないと思っていたのに、奇妙な迫力をもって響いてくるからたいしたものである。それは、チラシに書かれている「毒に満ちた、華やかな映像世界」といったシャープさに繋るような映像感覚ではなく、むしろ鈍器でゴリゴリとすり潰される感じに近い気がする。ケレン味たっぷりどころか過剰なまでのケレン味のなかにキッチュでポップな魅力を放っていたケン・ラッセルの作品群からすれば、やや意外な作風という気がしないでもない。

 それにしても、昨今の性を扱った映画の嬉しいばかりの過剰な露出傾向とは裏腹に、視覚的にはおよそ "R指定" されるほどの場面がないにもかかわらず、作品としては規制機関が指定するのも止むを得まいと思わせるだけのアグレッシヴな暴力性を獲得しているところは見事である。ところが、そういったアブノーマルで殺伐とした性の荒野を猥雑でアグレッシヴな暴力性でもって描きながら、作品としては極めてノーマルな印象を残し、見終えた後は、ある種の爽やかさすら与えてくれる。そのことの是非はともかく、作品がそのようなものとなっているのは、作り手がこの性の荒野をいわゆる単純な社会的批判精神、または浅薄な実存主義的人間観、あるいは好事家的な好奇心、それらのいずれでもって眺めるのでもなく、人間の品位の喪失と獲得の葛藤という視点を明確にしたうえで、人間の実存に迫ろうとしているからである。

 そのことは、作品全般を通して窺えることであるが、作り手がそれを明言している場面もある。作品の中盤、主人公の娼婦リズがトイレの洗面台に腰掛けて、傍らのトイレボックスで別な娼婦が客にフェラチオ・サービスの仕事をしている間に、リズにとって唯独りの友人と呼べる存在だったという女性ケイティを回想する場面である。そのなかで、アルファベットのチップを使った言葉遊びのパズルをしている時に、 "DIGNITY(品位・威厳)" と並べたものがアップで映し出される。そして、この回想を含んだ一連のトイレのシークエンスのラストシーンは、トイレボックスで客が娼婦の口に果てたことを示す大きな唸り声を聞いて、リズが吐き捨てるように言った「Diginity!(ご立派!と訳されていた)」という科白なのである。それまでの汚い言葉の数々や濁った眼指し、なかんずく腹部の崩れた体型のもたらす生々しいリアリティによって、徹底してこの作品の原題でもある『娼婦』の下品さを熱演していたテレサ・ラッセルの口からこの科白が発せられる時、人間の品位の問題は、リズ個人や娼婦たちを離れて客やヒモそして観客を含めた人間全体のものとなる。そのうえで作り手は、人間の品位というものが、例えば、ケイティにはあってリズにはない、だがリズだけではなくて客にもヒモにもないというような、人間にあるのかないのかといった浅薄な形での実存を求めたりはしていない。

 この作品から窺える人間観は、言わば、内在的な要素としては、品位に限らず、善悪美醜いずれにも発現し得るあらゆるものを有するのが人間であって、それらの内から何がどのような形で発現し、極大化したり極小化したりするのかは、本質的には人と人の交わりという関係性のなかで規定されるというものである。リズが娼婦に至る道のりのなかで重ねた関係性は、彼女の品位を確実に極小化するものであり、そうした際に人間は、どこまで下品になり得るのかということを描くのに、作り手は容赦がない。だが同時に、殺伐とした性の荒野に身を晒し、どんなに品位を極小化させようとも、何らかの形で発現していたものは全く無くなることはないからこそ、ケイティとか小銭せびりの黒人との関係性のなかで取り戻していったりもするのである。悲しいのは、人間がその品位を極小化していることよりも、取り戻し得るような関係性と出会うことが極めて困難なことにある。だからこそ、リズと小銭せびりの黒人の映画館でのシーンが美しく、この作品が現代の寓話のような印象を残して、ある種の爽やかさをその後味として与えてくれるのであろう。
by ヤマ

'93. 9.10. 県民文化ホール・グリーン



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