『ずっとあなたを愛してる』(Il Ya Longtemps Que Je T'Aime)
監督 フィリップ・クローデル


 物語ることを確信的に避けることによって描き出すことへの強い意思を見せた秀作だ。それにより“生の喜びと苦しみの並存”というものの体感を時間として構築することに成功していたような気がする。

 出所後に身を寄せた妹の家で過ごしているわずかの間に、妹夫婦が養女にしている8歳の幼女から、優しく家庭的な養父たる義弟以上に慕われるに至ったジュリエット(クリスティン・スコット・トーマス)は、本当に息子を殺害したのかどうか不審に思えるような知性と母性と意志の強さを窺わせていたように思う。十五年もの刑に服して、もう刑務所以外には自分の居場所を完全になくしたとの思いを抱いているであろう彼女が、出所して頑なさを身にまとっているのは確かに当然のことであり、温かく迎えてくれている人々に対しても、そうそう簡単に心を開くことができないのは、医師を務めていたほどの知性の高さと意志の強さを備えていれば、むしろもっともな話だ。だが、仮に彼女の頑なさがそういったところから生じていたのであれば、幼女に対しては、比較的早期に頑なさの鎧を脱ぐことができるのもまた、大いに納得感のあるところだと思った。

 遠い日の自分自身の記憶にもあることだが、幼子は表層に囚われず、その奥にあるものを感受することに長けていて、寝る前の絵本の読み聞かせを同じようにしてやっていても、僕自身がその時間を楽しんでいる場合と、役割なりサービスとしての意識が強くて自分自身が楽しめていない場合とでは、寝つきに至る時間に大きな差があった覚えがある。プチ・リス(リズ・セギュール)が父親ではなく伯母のジュリエットに読んでもらうことを求めたのも、父親よりもジュリエットのほうが自分と同じくその時間を楽しんでくれていることを感受していたからなのだろう。更生カウンセラーのような女性に対してジュリエットが心を開けないのも、そういうところに関係してくることのように思う。そんなデリカシーを備えた彼女が犯した罪は何なのか、そして、本当に幼い息子を殺したのか、もしそうなら何故にそうしたのかが大いに気になってくる運びだった。

 そして、それについては最後になって、彼女がずっと大事に写真を持ち続けていた息子を本当に殺害したことが明らかになるとともに、その理由も語られたのだが、それでも僕には、彼女が何故に息子を殺したかが釈然としないまま残った。しかし、作り手が示したかったのは、彼女の息子殺しが事実であることのみであって、その理由などではなかったのだろう。理由の如何によって是非を問うようなスタンスに作り手がないのは明白で、作り手が描こうとしていたのは、息子殺しの真相などではなく、重荷を負った人の生そのものだったような気がするからだ。

 刑務所の教壇に立った経験によって人生観や人間観が変わったと話していたミシェル(ロラン・グレヴィル)の言葉にあったように、犯罪者の側に行くか行かないかは紙一重の差であって、自身の人生を運がよかったと語るレアと姉ジュリエットを明らかに隔てるものなど、殆ど何もなかったように思う。犯罪者が特殊な人々というわけではなくて、のっぴきならない特殊な状況に迫られても犯罪者にだけはなるまいとする意志を最優先できる人はほとんどいないからこそ、実際の刑務所に収監されている人々が絵に描いたような凶暴凶悪な人ではなく、自分と変わらぬ“普通の人々”ばかりだったことにミシェルは衝撃を受けたのだろう。

 しかも、のっぴきならない状況に迫られた場合にのみ越えるのが一線とも限らないのが、人の心の計り知れないところで、フォレ警部(フレデリック・ピエロ)の自殺を知ったときのジュリエットの慟哭は、彼の孤独の深さをそこまでのものとして感受できないでいたことの衝撃の大きさを窺わせていたように思う。自分には深い孤独が身に沁みていると感じていたからこそ、強い衝撃を受けるわけで、そんな彼女でさえも感知し共有することができないのが“人の孤独”というものなのだろう。

 長らく家族からの面会一つもなく自分の居場所など最早どこにもないと思い込んでいたであろうジュリエットが、出所直前になって突如現れた歳の離れた妹レア(エルザ・ジルベルスタイン)との面会をどのように受け止めたかは、なかなか僕の想像の及ぶところではないが、事件の後、幼いレア一人しか娘はいない家庭として過ごそうとした母親のもと、五年ほどして母子家庭になっていたとの一家のなかで、レアが出所直前まで一度も面会に来るに至らなかったのは決して不自然な話ではないながらも、そんな事情など知る由もないジュリエットにとっては、厳しく辛い十五年だったはずだ。だから、出所直前の妹の面会をどう受止めていいのか困惑したであろうことだけは、想像に難くない。それだけに出所後の彼女を温かく迎え入れてくれた妹のレアが、出所直前になるまで面会に来ることのできない状況を作り出したのが母親だったことを知って、強いわだかまりによる葛藤が生じたような気がする。

 だからこそ、年老いて認知症に見舞われて施設暮らしをしている母親が、妹のレアを娘だと識別できなくなっているにもかかわらず、十五年ぶりに再会した自分に対して名前を呼びながら抱きしめ、思わず母語の英語で話し始めるほどの興奮を示して喜びを表現してきても、そのことに喜びを感じるよりも、身体を強張らせずにいられなかったのだろう。家族への想いという心の居場所を自分から奪ったのは、息子殺しを犯した自分自身が第一ではあるにしても、母親の関与した度合いがあまりにも強く、それゆえに施設暮らしの母親が自分に対して眼前で見せてくれたものとは、乖離が大きすぎて受け入れられなかったような気がした。しかも、作為の働きにくい認知症の状態で見せてくれたものだけに、それを母親の取り繕いだと疑う余地がなく、余計に混乱を来たしたように僕の目には映った。

 しかし、ジュリエットは、レアがそれこそ毎日欠かさず、短い時間ながらも姉を偲び続けていたことを、言葉だけではない証拠の記録とともに知ることになる。そして、喜ぶ以上に驚きながらもそのことで、自分は決して一人ではなかったことをようやく信じられる気になったような気がする。無論このことのみならず、プチ・リスやミシェルが寄せてくれた好意やレア夫婦の同僚たちが示してくれた受容がほぐし癒してくれた時間の積み重ねも大きかったからこそ、レアの言葉を失っている読書家の舅に対して吐き出してみずにはいられなかった犯した罪の重荷というものを、レア夫婦が催したホームパーティの場で発してみることができるようにもなっていたと思うのだけれども、レアが大事に保管していた手帳の重さに勝るものはなかったはずだ。

 幸いにもジュリエットが得られ、不幸にしてフォレ警部が得られなかったものとは、まさにこういう時間の積み重ねだったような気がする。そして、ジュリエットと定期的に面談を重ねていた彼は、同じく深い孤独に苛まれている身なればこそ、彼女が掛け替えのない時間を過ごすなかでの変化を鋭敏に感じ取ることによって、彼自身の孤独をさらに深めていったような気がする。図らずも彼女の存在は、彼に一線を越えさせるほうに追い込んだのかもしれない。人の生と交わりの綾なす運命が人知を超えているのはまさしくこういうところにあるような気がする。

 不審と孤独と不安に包まれつつも、掛け替えのない確かさで人と交わる生の喜びを癒しとほぐれとして少しづつ重ねていっている“生の喜びと苦しみの並存”とも言うべき時間を生きているジュリエットを演じたクリスティン・スコット・トーマスが、少ない台詞によって幾重もの複雑な感情を表現していて見事だった。
 妹の家に身を寄せて出会った人々との交わりで得た癒しや喜びは、女盛りを刑務所で過ごし五十歳も近くになって行きずりの男とベッドを共にすることで現役の女であることを確かめて得られるような癒しや喜びとは比べ物にならない確かさを掛け替えのないものとしてもたらしてくれたはずだ。だからこそ、既に頑なさを捨てるに至ってはいても、ミシェルの誘いに対して「まだそんな気になれないの」と拒んだのだろうが、ラストシーンで彼の呼び声に「私はここにいるわ」と応えた彼女の声には、降ろしたり消し去ったりは決してできない重荷を抱え続けつつも、ジュリエットが居場所というものを見つけ取り戻したことを窺わせる明るい力強さが宿っていたような気がする。レナに対して口にした「ありがとう」もそうだったが、実に変哲もない言葉に深く豊かな感情を宿らせた演技と演出が本当に素晴らしかった。大したものだ。



参照テクスト:掲示板談義の編集採録


推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2010sucinemaindex.html#anchor001983
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20100204
推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/8460666697f7e0c985fd34c3c290ff74?fm=rss
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1384771660&owner_id=3700229
推薦テクスト:「シネマ・サンライズ」より
http://www26.tok2.com/home/pootaro/impression/diary.cgi?no=29
by ヤマ

'10. 5.11. 美術館ホール



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