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『チェンジリング』(Changeling) | |||||
監督 クリント・イーストウッド | |||||
ヤマのMixi日記 2009年03月12日00:52 近年のイーストウッド作品で描かれた人物像の奥行きの深さからすれば、本作は、ハリウッド作品らしいと言えば、確かにそうなんだが、登場人物のキャラクターの白黒がはっきりしすぎているところが少々物足りなかったのだけれど、さすがイーストウッド作品だけあって、風格は堂々たるものだ。 昨年11月に桐野夏生の『柔らかな頬』を読んだばかりということがあるからかもしれないが、同じく行方不明になった子供を追い求め続ける女性ということでは、カスミがとても強く僕の心象に刻み込まれていることを、本作のクリスティンによって改めて知らされたような気がしている。 役者で最もインパクトがあったのは、ジョーンズ警部を演じたジェフリー・ドノヴァン。全くもうムカつく奴だった。精神病院の医者もかなりのものだったが、彼らを観ていると、連続少年殺人鬼たるノースコットなんて、病んでるだけで悪党ではないような錯覚すら与えられるほどで、そのあたりの演出は、イーストウッドも確信犯ではないかという気がした。 クリスティンの挫けないファイティング・スピリットは、見上げたものだったが、僕が妙に心打たれたのは、警察の横暴に鉄槌を下すうえで最も力を与えていたのが、彼女の頑張りよりも名もなき市民の連帯による蜂起であったように描かれていたことだ。現代の日本において最も必要なのも、これであって、『この自由な世界で』に描かれていたような弱肉弱食や『誰も守ってくれない』に描かれていたような生贄探しではないと改めて思った。 それにしても、アメリカでは、昭和3年当時に既にしてワーキング・シングルマザーの家では、朝食にシリアルだったの!? なんか凄いなと思った。 *コメント 2009年03月12日 07:45 (TAOさん) ケロッグ博士がシリアルをつくったのは1894年なのですって。 日本でも1920年代はインテリの間でちょっとした健康ブームが起きているんですよねえ。 今もそうですけど、スピリチュアリズムと健康ブームって必ず一緒に出てくるところが面白いです。 2009年03月12日 08:15 (ミノさん) 私もシリアルのシーンで「え❣❓そんだけ❣❓」とびっくりしました。驚くポイント違う(笑)。 確かに善悪キャラがはっきりしすぎて違和感ありましたね。 しかし、役人の怠慢腐敗→子供が死ぬ の図はほんと~に古今東西一緒ですね…。日本でも未だに子供を探して国家を相手に戦わざる得ない人々がいて…そんなこんなで消耗した2時間でしたが、ヤマさん書いてるように市民の覚醒という点は希望を持って描かれてましたね。 なぜ日本では、市民は蜂起しないのでしょう…12000円でだまらされるんでしょうか💦 ところで、息子のDNAなどが発見されなければ逃亡できたとみるのが自然ですが…生きていたなら名乗りをあげるのに…亡くなったのかなぁ。ストーリーとは関係なく気になりました。 2009年03月12日 08:39 (ケイケイさん) >キャラクターの白黒がはっきりしすぎているところが少々物足りなかったのだけれど 最初はロン・ハワードが監督するはずだった作品でしょ? だからイーストウッドにしたら雇われ監督なので、この辺はプロデューサーの意向が働いたかもですね。それでもきっちり作家性を打ち出すところなんか、さすがですよね。 2009年03月12日 23:06 ヤマ(管理人) ◎TAOさん、 日本もモガ・モボの時代でしたねぇ、その頃。それにしても、大正デモクラシー以前の明治の頃からあったのか!>ケロッグ で、モガ・モボの頃、スピリチュアリズムって流行ってたんですか? 乱歩はその頃だったわけですが、あれは別のカテゴリーですよね(笑)。 TAOさんの日記も拝読しましたが、絶賛に近いんですね。「ヒロインに勇気を与える夜の女、エイミー・ライアンが印象に残る」には、諸手を挙げて賛成~! ◎ミノさん、 日記には「素晴らしい。傑作。」とお書きになりながらも、ちょっとビミョーって感じも漂う不思議な按配でしたね(笑)。僕はでも、あの箱の中のものに怯えて逃げたという説明は、むしろ気が利いていると観てるときは思ってましたよ。悪いイメージを吹き込んでいるようには感じないで、なるだけ悪者にしない形にして尚且つ嘘はつかないよう配慮している彼女の聡明さを出しているように感じてました(あは)。まだresponsibilityという言葉の意味を知らないことを前提に話しかけているように思ってました。 それはともかく、キャラの善悪がはっきり分化している点への物足りなさにご共鳴いただき、ありがとう。 ところで、日本で市民蜂起が起きないのは、日本には市民すなわちcitizenがいないというか育ってないからだと僕は思ってます。教育制度のなかで芽を摘むようにしてますもの。 息子が声を名乗りをあげなかった理由については、別の名乗りをあげた子供の言葉で説明されてたので、僕はそれをそのままウォルターに重ねて納得してました。彼よりもウォルターのほうが貫徹度が高かろうことが窺えるエピソードも付加されてましたしね。 ◎ケイケイさん、 これはもうケイケイさんのための映画だったようですねー(慶賀)。強く熱い母でしたもんね。 本村さんを想起されたと読んで、ほほぅと唸りました。まるで思いついてなかったです。思いついていたのは、ケイケイさんから戴いた御本のカスミのほうで(たは)。本村氏想起の理由もきちんと日記に書いてくださっていたので、よく分かったのですが、僕がクリティンの頑張りよりも市民の力と感じた部分を市民を動かしたクリスティンの力と受け止められたということですよね。確かにそのほうが素直な観方だと僕も思います(あは)。でも、TAOさん仰るところの変態ですからね、かの巨匠は(笑)。 2009年03月16日 13:13 (ミノさん) あの責任に関する会話、確かに直接的ではありませんでしたが、最後にウォルターが「そんなのバカみたいじゃん」と言っていたのであちゃちゃ~と…(笑) 市民蜂起じゃなく、市民放棄でしたか💦確かに。日本国土には市民の芽が出ない肥料がまかれてるんですね。 ところで、私はアンジーの熱演にはなんら胃を唱えるつもりなく素晴らしいと感じましたが、実はミスキャストにも感じました。まず顔立ちが時代に合っていない、雰囲気が戦闘的イメージがあって、弱者であるシングルマザーが試練により強靭に戦うというより、最初から強靭な女が強靭に闘う、に見えたのです。もう少し線の細い女優さんであれば、普通の人にふりかかった災難というのが浮かび上がったんじゃないかと…。 2009年03月16日 14:55 (TAOさん) >で、モガ・モボの頃、スピリチュアリズムって流行ってたんですか? 大正時代はモダニズムとか合理主義の反動のように、出口なおの大本教が生まれ、天理教が勢力拡大して新興宗教が社会問題になってるんですよ。スエーデンボルグが読まれて、日本心霊学会が出来たのも大正時代です。世の中が大きく変わる時って精神世界への関心が高くなるんでしょうねえ。 2009年03月17日 01:24 ヤマ(管理人) ◎ミノさん、 ウォルターには通じてなかったってことですかね?(笑)でも、僕はそれでいいんじゃないかと思ってますよ。嘘をつくのでもなく、回答を拒むのでもなく、きちんと“答えた”ってとこに意味があるのであって、その中身については大きくなってから知り気づけばいいことなんじゃないかなぁ。 アンジーのミスキャスト説には、なるほどねって思いました。設定だけでは弱者に見えてこない彼女というのも凄いっちゃ凄いよね~(笑)。 ◎TAOさん、 なるほど、そうでしたか。反動のように形成されるものが必ずあるというのは、思えば、「人の集まり=社会」の常ですね、そう言えば。そうやってバランスを保つものなのかなぁ。 【追記】'23. 8. 4.に再見 最後にテロップで、ジョーンズ警部の停職と本部長の解任、市長の再選不出馬が記されていたが、精神病院のスティール医師や、警部から送り込まれたタール医師らの下衆ドクターは、どうなったのだろう。お咎めなしというのはあんまりだと思うのだが、おそらくは庇護されているような気がする。 そして、政治権力と結託した警察権力の横暴という点で百年前の事件の本作と、現代の事件を扱った後年の『リチャード・ジュエル』['19]とが、一対を為す作品のように思った。ケイケイさんが感激したのは、行方不明になった息子を求める母クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の一途な思いの丈だったのだろう。 同じように強く弛まぬ意志で権力に立ち向かうにしても、社会正義と変革を求めて闘うグスタヴ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコヴィッチ)と、とにかく息子ウォルターを求めて挑むクリスティンの対照が鮮やかだった。 推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20090222 | |||||
編集採録 by ヤマ '09. 3.11. TOHOシネマズ3 | |||||
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