『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程<みち>』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
チネチッタ高知」:(お茶屋さん)
ヤマ(管理人)


  お茶屋さんの掲示板にて
実録・連合赤軍
投稿者:(お茶屋さん) - 2008/12/23(Tue) 12:48 No.1058
>ヤマちゃん
 力作でしたね。思い浮かんだ映画は、若さの未熟ってことで『イントゥ・ザ・ワイルド』、仲間割れってことと目標を見失うってことで麦の穂をゆらす風、良きリーダーの不在ってことで、その反対と思われるチェ28歳の革命、ヴィジョンの大切さってことでバクダット・カフェです。まあ、いろいろ考えさせられますわ(笑)。
 作り手の立ち位置がとても良かったですよねー。山荘立てこもりを警察側からは描かないし(鉄球を今か今かと待っていた自分がいました(汗))、「総括」を客観的に描きながらも若者たちへの思いの濃さは伝わってくるし。日本映画史に残すべき作品と感じました。



『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
投稿者:ヤマ(管理人) - 2008/12/24(Wed) 00:28 No.1059
 いろいろな映画を想起したんですね。
 僕も拙日誌に三つの映画作品名を挙げてますが、被っているものが一つもありません。挙げておいでの4作品のうち半分を観てませんが、僕の想起の凡庸さに比べ、さすがセンスがいいですねー(感心)。理由も明快で納得です。

(鉄球を今か今かと待っていた自分がいました(汗))  ちょうど拙日誌に鉄球のテの字も映し出さない若松監督に『突入せよ! あさま山荘事件』への強い反発意識が窺える気がした。と綴ってました(笑)。次回更新でアップするので、読みに来てくだされ。



『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
投稿者:(お茶屋さん) - 2008/12/27(Sat) 18:24 No.1060
僕も拙日誌に三つの映画作品名を挙げてます
 一つはわかったけど(^_^)。あと二つはアップを楽しみにしていますねー。
 若松監督は『突入せよ!』については、怒り狂っていたようです。だから、ヤマちゃん、ご明察です。監督は、表現者は権力の側に立ってはいけないと思っているのだとか。

 いろいろ感想を読んで回っておりました〜。面白いと思ったのをピックアップしてみました。

サイト名:反米嫌日戦線「狼」(肉体言語)
http://anarchist.seesaa.net/article/95342125.html
西部さん、足立さん、若松監督の対談

サイト名:庶民の弁護士 伊東良徳のサイト
http://www.shomin-law.com/essayjitsurokurengousekigun.html
坂口弘の最高裁での弁護人とのことで、管理人の奥さんとの約束は守られたそうな

サイト名:みんなのシネマレビュー
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=15239
12月27日現在9件の感想

サイト名:新宿電脳旅団
http://rxn03550.moe-nifty.com/blog/2008/03/post_4d3f.html
若い人の感想

サイト名:ネタバレ映画館
http://blog.goo.ne.jp/kossykossy/e/33bf4af583366b8b97458aff1835cd87
多分中年の人の感想

サイト名:coinu*diary
http://blog.coinu.com/?eid=1041902
若い人の感想

サイト名:セコ道うろうろ日記
http://sekomichi.typepad.jp/blog/2008/02/実録連合赤軍を観た.html
永田洋子の描き方に疑問を持った人の感想

サイト名:club for strangers
http://clubforstrangers.txt-nifty.com/blog/2008/03/post_67fd.html
思わず引き込まれた人の感想

サイト名:映画見聞録
http://www.poplarbeech.com/movie/002383.html
若い人のなんかえらく悲観的な感想



ケイケイさんの掲示板にて
『実録・連合赤軍』拝読
投稿者:ヤマ(管理人) 投稿日:2008年12月24日(水)08時33分56秒
 ケイケイさん、こんにちは。
 当地でもようやく観ることができました。拙日誌は、次回更新時にアップするのですが、こちらの映画日記を訪ね、段々暴走が始まり、武力抗争へと流れて行く過程は、若げの至りだけではなく、周囲の大人の指導不足と言う気もするのです。彼らの熱い心をきちんと受け止め、理想と成りえる大人がいなかったとのくだりに、拙日誌で日本共産党への言及を忘れていたことに気づかせていただきました。

 残りのメンバーが追い詰められるようにして、海外や山岳ベースに渡ったのがわかりますというところ、重要ですよね。これがなければ、起こってない事件だったように思います。ケイケイさんがあぁこれがリンチ事件の核心だったのかと感じましたとお書きの部分、僕も全く同じように感じてます。

 永田洋子への迫り方が少々喰い足りなかった御様子。僕は、かねがね堰を切ったときのパワフルさでは圧倒的に女性のほうが凄いと思っているので、女性同志殺害という一線を越えた後の女性の女性に対する残酷さは、男の及ばないものがあり、母たる経験のない彼女に妊婦に対する特段の配慮がなくても、凄惨の度合いが増すだけで然程の違和感はありませんでした。作り手も男ですから、そのへんは似たようなとこだったのではないかと思います(笑)。

 坂井真紀起用に対する考察の部分は、的確なご指摘だと感心しました。“勇気”がキーワードとなっていたこの作品の勇気について、たくさんの意味が含まれるとしたうえで本当は何も分かっていなかった自分に向き合う勇気としているとこにも。

 この事件がなかったら、日本の学生運動の歴史は、確実に変わっていたと感じます。というのは、本当にそうですよねー。樺美智子さんの死で高揚した学生運動が、連合赤軍兵士たちの死で決定的に壊れたというような構成になってましたね。

 あと、一つ気づいたのですが、「吉野雅邦」が文中では「吉野正邦」になってますよ。



Re: 『実録・連合赤軍』拝読
投稿者:(ケイケイさん) 投稿日:2008年12月25日(木)14時01分17秒
 ヤマさん、こんにちは。

当地でもようやく観ることができました。
 おめでとうございます! この作品は是非高知の皆さんにも、ご覧いただきたかったので、私まで嬉しいです(笑)。

拙日誌は、次回更新時にアップするのですが、こちらの映画日記を訪ね、「段々暴走が始まり、武力抗争へと流れて行く過程は、若げの至りだけではなく、周囲の大人の指導不足と言う気もするのです。彼らの熱い心をきちんと受け止め、理想と成りえる大人がいなかった」とのくだりに、拙日誌で日本共産党への言及を忘れていたことに気づかせていただきました。
 この部分は強く感じました。今これほど国の行く末を案じている若者は、いないでしょう? そういう若者の真っ当な義憤を、正当に導くというより、狡猾に利用したと言う感じが残りました。

ケイケイさんが「あぁこれがリンチ事件の核心だったのかと感じました」とお書きの部分、僕も全く同じように感じてます。
 何故こういう事件が起こったのか全然知らなかったんですよ。とてもわかり易く描いていましたよね。これなら当時の世相を知らない、若い人にも理解しやすかったんじゃないかなぁ。

永田洋子への迫り方が少々喰い足りなかった御様子。
 はい。感想を読んで回ったら、私と同じように感じた女性は多かったですね。

僕は、かねがね堰を切ったときのパワフルさでは圧倒的に女性のほうが凄いと思っているので、女性同志殺害という一線を越えた後の女性の女性に対する残酷さは、男の及ばないものがあり、母たる経験のない彼女に妊婦に対する特段の配慮がなくても、凄惨の度合いが増すだけで然程の違和感はありませんでした。作り手も男ですから、そのへんは似たようなとこだったのではないかと思います(笑)。
 なるほど(笑)。母性とは対極に位置することもまた、女性の特性だということですね。
 確かにそれは頷けます。うーん、でもそれでもまだ消化不良かな?
 多くの女性が私と同じ感想を抱いたのは、その女性への固定観念じゃないかなと。森恒夫は男性だからではなく、森恒夫だから、ああいう事件を起こしたんですよね? それと同様、永田洋子も永田洋子という人をもっと掘り下げて、事件の核心に迫って欲しかったです。

坂井真紀起用に対する考察の部分は、的確なご指摘だと感心しました。
 ありがとうございまーす。

“勇気”がキーワードとなっていたこの作品の勇気について、「たくさんの意味が含まれる」としたうえで「本当は何も分かっていなかった自分に向き合う勇気」としているとこにも。
 監督のインタビューで語られていたんですが、当時高校生のこのセリフの少年、あさま山荘では一番腰が据わって頑張っていたんだとか。ぶれがなかったそうなんです。兄は殺されているわけですから、それでも尚且つ彼らについていって、主要メンバーとして活動してたんですよね。この辺のこと書いた書物があったら、読んでみたいです。ちなみに坂東国男から直接聞いた話らしいですよ(笑)。

「この事件がなかったら、日本の学生運動の歴史は、確実に変わっていたと感じます。」というのは、本当にそうですよねー。樺美智子さんの死で高揚した学生運動が連合赤軍兵士たちの死で決定的に壊れたというような構成になってましたね。
 大人の導きというのは、本当に重要だなぁと思いました。あの事件がなかったら、まだまだ大衆の支持も得ていたと思うし、そうすると以降のテロ行為もなかったかもしれません。本当に日本の歴史に残る、とても残念な事件だと、映画を観て痛感しました。

あと、一つ気づいたのですが、「吉野雅邦」が文中では「吉野正邦」になってますよ。
 ありがとうございます。
 変えておきました。またよろしくお願いします(笑)。ちなみにこの吉野雅邦、件の妊婦のお腹の子のお父さんなんですよね。彼は今模範囚で、主に障害のある囚人の世話をする係りになっているんですって。それを読んだとき、ちょっと救われる気になりました。



コレラが2位にびっくり(笑)。
投稿者:ヤマ(管理人) 投稿日:2008年12月25日(木)23時11分10秒
 ケイケイさん、こんにちは。ベストテン拝見しました。
 外国映画中1・6・7が未見で、日本映画1・4・5が未見。2位3位が僕的には少々意外ながら、ケイケイさん楽しんでたようだから、そっちの意味では、納得のベストテンでした。それにしても、外国映画も日本映画も第1位の作品がこっちでは上映されてないなんて!(とほほ)

 続いて『実録・連合赤軍』の書き込みに頂いたコメントへのレスです。長すぎましたかね?(苦笑) メールにしよか迷いましたが、前にお許しいただいた気もして、ね(あは)。

>>拙日誌で日本共産党への言及を忘れていたことに気づかせていただきました。
そういう若者の真っ当な義憤を、正当に導くというより、狡猾に利用したと言う感じが残りました。
 そこのところは、映画で描かれていなかったので、作品からは離れますが、僕の理解では、利用しようとしたけど、うまくいかなかったどころか、逆に党の存在を脅かされかねないことを懸念して、妙な工作をして壊しに掛かったと理解しているのですが、本当のところを深く承知しているわけではありません。ただ思うのは、あの党も戦後、政党として表に出ることが叶ったものの、敗戦までの間に徹底的した弾圧を受け、やむなく地下にもぐっていた期間に主だった指導者の多くを失い、戦後は人材が枯渇していたという点で、ある意味、連合赤軍誕生時の学生運動と同じような状況を経ていた気がするということです。そういう意味で、日本の左翼は、本当に不幸というか、育ちにくいんでしょうね。
 新左翼の台頭時や学生運動の隆盛は、一つの可能性を孕んだ契機たり得たのだろうと思うのですが、結局のところ、左翼の主導権を握りたかった共産党に潰されたというような印象を僕は持ってます。

何故こういう事件が起こったのか全然知らなかったんですよ。とてもわかり易く描いていましたよね。
 拙日誌に使ったフレーズを持ち出すならば(笑)、「ある種の勇敢さとともに潔く“実録”と銘打ち…、もったいぶった韜晦を何ら加えることなく、むしろ単純化して明快に状況を描き出し、作り手の解している回答を示そうとして」ましたね。

これなら当時の世相を知らない、若い人にも理解しやすかったんじゃないかなぁ。
 同感です。

>>永田洋子への迫り方が少々喰い足りなかった御様子。
はい。感想を読んで回ったら、私と同じように感じた女性は多かったですね。
 へぇ〜、そーなんだー。

多くの女性が私と同じ感想を抱いたのは、その女性への固定観念じゃないかなと。
 ほぅ、なるほどね。ある意味、ステレオタイプな描かれ方をしていたということですね。普遍性というか、特異な存在ではないという映り方よりも、そっちのほうに行っちゃったわけですねー。
 僕は、若松監督の描き方に対して、存在としても状況としても過剰に特異性を印象づけて化け物扱いしたがる向きへの異議申し立てを意図していると受け止めていたので、そんなふうには映ってきませんでした。僕が女性じゃないからってことなんでしょうかねー(笑)。

森恒夫は男性だからではなく、森恒夫だから、ああいう事件を起こしたんですよね? それと同様、永田洋子も永田洋子と言う人をもっと掘り下げて、事件の核心に迫って欲しかったです。
 いや、森が男だったからではなく、森恒夫だから、ああいう事件を起こしたというふうには、僕は必ずしも思っていなくて、あのときの赤軍派のリーダーが女性だったら、ああいう事件は起こってないと思います。同時に、赤軍派の指導者が森恒夫であっても、革命左派のリーダーが男だったら、ああいう事件は起こってないとも思っています。
 大量リンチ殺人事件が明るみに出て、そのあまりに常軌を逸した凄惨さを煽り立てるなかで、森を操っていたのは永田で、彼女が一番の首謀者だったというような報じられ方もしましたが、この映画では、決してそのようには描いていませんでした。僕の目には、指導者同士のなかで女性の相方の目を意識して過剰を生む誇示に邁進した男と、相方として男の過剰に共振増幅することで男をさらに先鋭化させていた女性というふうに映ってきました。だから、森恒夫が男だったからこそ、ああいう事件が起こったのだと思っているところがあります。  そういう相互触媒とも言うべき関係にあったから、男女としても一緒になるよう向かっていったのは、ある意味、必然だったように感じています。思想よりも女性の影響のほうを強く受けた森恒夫は、そういう面では、まさしく男そのものだったように思うのですが、他方で、その性質に対しては、非常に女性的なものを感じてましたねぇ、僕は(たは)。
 彼の総括要求の姿に典型的に現れていたように思うのですが、きわめて非論理的で情緒的なんですよね。だから、総括を求められた者は、どう総括していいのか分からない。論理的帰結が見出せないんですよ。考えようがなくて、やむなく、気に入ってもらえる(赦される)回答を探そうとするしかなくなるのですが、彼の性質が非論理的で情緒的な上に状況の過酷さから極めて情緒不安定になっているものだから、気に入ってもらえる回答も読めなくて恐怖と不安で萎縮していくんですよね。その総括要求の出し方を観ていて、僕が連想したのは、失礼ながら、女性に多くありがちとされる、何か不満が溜まってくると、昔のことを持ち出して問い詰め始める憂さの晴らし方と、例の「仕事と私とどっちが大事なのよ」とのフレーズで象徴されている非論理性というものでした。映画の最後で映し出された彼の遺稿にしても、とても情緒的なものでしたよね。
 思想というものは論理的なものだと僕は思っていて、情緒的なものは文学の領域だと感じます。ロジックとしての思想の導き出した世界観や価値観を情緒的に表現する文学というのは勿論ありますし、文学でありながらもイマジネーションよりもロジックが勝っているようなものがあり、思想がロジック、文学が情緒といった単純な明快さには警戒が必要なのですが、土台のところに対して、僕にはそういうイメージがありますねー。
 彼は、思想を語るにとても不向きだったのだろうと思います。思想的指導者は荷が重すぎたんですよ。でも、過去の脱落歴が、そして、革命左派に対する赤軍派としての自意識や女性指導者に対する男としての自意識が、彼に降りるに降りられない状況を募らせ、追い込んだ気がします。だから、彼が男でなければ、あるいは革命左派のリーダーが女性でなければ、事態は違ったように思うのです。

監督のインタビューで語られていたんですが、当時高校生のこのセリフの少年、あさま山荘では一番腰が据わって頑張っていたんだとか。ぶれがなかったそうなんです。兄は殺されているわけですから、それでも尚且つ彼らについていって、主要メンバーとして活動してたんですよね。
 あの台詞自体は、僕はフィクションだと思ってて、ケイケイさんと同じく、上にも書いた“作り手の回答”だと受け止めているのですが、加藤三兄弟の末弟に言わせたのは、彼が最年少だったからという理由だけではなかったんですね。

この辺のこと書いた書物があったら、読んでみたいです。ちなみに坂東国男から直接聞いた話らしいですよ(笑)。
 若松孝二監督は、レバノンに出向いて坂東國男や重信房子に会っていたそうですからね。ちなみに、上映会場で関係者から半ば押し付けられるようにして買ったパンフというのが1500円という高額だったのですが、とても厚くて、もう立派に書籍だったんですが、そこには何か載っているかもしれませんね。まだ読んでないのですが(たは)。

あの事件がなかったら、まだまだ大衆の支持も得ていたと思うし、そうすると以降のテロ行為もなかったかもしれません。本当に日本の歴史に残る、とても残念な事件だと、映画を観て痛感しました。
 そうですねー。
 大衆の支持という点では、連合赤軍以前から乖離のほうが目立ってきていた気がするものの、あれが決定的だったというのは、間違いないですよね。政治や思想が若者のタブーとなり、社会を考える力が衰えていきましたね。

ちなみにこの吉野雅邦、件の妊婦のお腹の子のお父さんなんですよね。
 映画でも、そのように告げられてました。

彼は今模範囚で、主に障害のある囚人の世話をする係りになっているんですって。
 そうなんですか。

それを読んだとき、ちょっと救われる気になりました。  映画で、母親の呼び掛けの声に耐えかねて発砲していた青年ですよね。彼らは、この映画をどう観るでしょうね〜。エンドクレジットの終わりのほうで協力者名が例によってずらっと並んでましたが、そのなかに赤軍派を立ち上げ議長になったブント関西派の塩見孝也や重信房子の名がありましたね。



Re: コレラが2位にびっくり(笑)。
投稿者:(ケイケイさん) 投稿日:2008年12月27日(土)23時48分57秒
 ヤマさん、こんばんは。

ケイケイさん、こんにちは。ベストテン拝見しました。
 ありがとうございます。

外国映画中1・6・7が未見で、日本映画1・4・5が未見。2位3位が僕的には少々意外ながら、ケイケイさん楽しんでたようだから、そっちの意味では、納得のベストテンでした。
 いや〜、意外でしたか(笑)。喜んだという点に関しては、洋画の2位3位は私の中で揺るぎないものでしたから(笑)。『コレラ〜』はハビエルもでしたが、フイオレンティーナの描き方に、非常に魅かれました。『イースタン〜』はもう、ヴィゴ様でしょ!今年の私の萌えの一番手でしたから(二番目は『アメリカン・ギャングスター』のデンゼル)。

それにしても、外国映画も日本映画も第1位の作品がこっちでは上映されてないなんて!(とほほ)
 うん、とっても遺憾です。両方とも東宝系の劇場で観ました。常々思うのですが、シネコンの一つのスクリーンで良いから、ミニシアター専門のスクリーンを作って、地方でも観られるように出来ませんかねぇ。

そこのところは、映画で描かれていなかったので、作品からは離れますが、
 直接的ではなかったですが、佐野史郎演ずる労組の偉いさんみたいな人(名前失念)の描き方に、そういうの、匂いませんでした?

そういう意味で、日本の左翼は、本当に不幸というか、育ちにくいんでしょうね。新左翼の台頭時や学生運動の隆盛は、一つの可能性を孕んだ契機たり得たのだろうと思うのですが、結局のところ、左翼の主導権を握りたかった共産党に潰されたというような印象を僕は持ってます。
 そういう歴史があったんですね。
 うちの母が妹の時小学校でPTA活動していた頃の話ですが、「母親教室」なるものに、母友から誘われて行ってみたら、学校の先生が来られていたんですって。妹の担任ではなかったんですが、その先生が講師になって勉強会が進められ、回を重ねると段々共産党思想の刷り込みが始まったそうなんです。うちの母親はイデオロギー的には確かなものはなかった人ですが、左翼思想=インテリ層みたいな認識を持っていた人で、一種憧れはあった人でした。そんな人でも、現役の教師が、そこの学校の児童の母親を集めて党員作りをしようとするのには疑問を持ったみたいです。同じように思った人もいたみたいで問題になり、それ以降は教室は開かれなくなったみたいです。私が共産党に違和感を抱いた、初めての出来事でした。

ほぅ、なるほどね。ある意味、ステレオタイプな描かれ方をしていたということですね。
 女性=美に執着というか、権力を持った不美人は美人を虐めるみたいなね。

普遍性というか、特異な存在ではないという映り方よりも、そっちのほうに行っちゃったわけですねー。
 そうですね。あの時代、あれだけの地位に昇りつめた女性が、そんな単純なことが理由だったんだろうか?と感じました。森には負けたくないという、権力志向が強かったという方が、まだ納得出来ましたね。

僕が女性じゃないからってことなんでしょうかねー(笑)。
 というか、今の視点で観ているからかもしれませんね。男女の差より(笑)。

いや、森が男だったからではなく、森恒夫だから、ああいう事件を起こしたというふうには、僕は必ずしも思っていなくて、あのときの赤軍派のリーダーが女性だったら、ああいう事件は起こってないと思います。
 なんかすごく興味深い視点ですね。重信房子がリーダーだったら、という視点で観たら、確かにそうかもしれませんね。確か赤軍派は革命左派に比べて、極端に女性が少なかったんですよね。

同時に、赤軍派の指導者が森恒夫であっても、革命左派のリーダーが男だったら、ああいう事件は起こってないとも思っています。
 ふむふむ。

大量リンチ殺人事件が明るみに出て、そのあまりに常軌を逸した凄惨さを煽り立てるなかで、森を操っていたのは永田で、彼女が一番の首謀者だったというような報じられ方もしましたが、この映画では、決してそのようには描いていませんでした。
 それはなかったです。森のチキンぶりがよくわかる描き方だったし、あんなことした永田でしたが、一種母性を感じさせる部分も、私にはありました。

僕の目には、指導者同士のなかで女性の相方の目を意識して過剰を生む誇示に邁進した男と、相方として男の過剰に共振増幅することで男をさらに先鋭化させていた女性というふうに映ってきました。
 私の感じたことと、一致しますよね。特に母性の裏側というか、負の部分には、男の過剰に共振増幅することで男をさらに先鋭化させていたと言う部分、過分にありますから。

だから、森恒夫が男だったからこそ、ああいう事件が起こったのだと思っているところがあります。そういう相互触媒とも言うべき関係にあったから、男女としても一緒になるよう向かっていったのは、ある意味、必然だったように感じています。
 こういう考察をうかがうと、別の観方が出来ますよね。私は平凡に、二人が自分たちの地位の強化を思って、一緒になるという選択を取ったという風に感じていました。「いっしょになるのが、一番だと思うの」という永田のセリフには、もっと深い意味が含まれていたんですね。ある種の魂の呼応ですかね?

他方で、その性質に対しては、非常に女性的なものを感じてましたねぇ、僕は(たは)。
 それは私も感じましたよ。

彼の総括要求の姿に典型的に現れていたように思うのですが、きわめて非論理的で情緒的なんですよね。
 情緒的と言えばそうかも。というか、いいがかりかと(笑)。

だから、総括を求められた者は、どう総括していいのか分からない。論理的帰結が見出せないんですよ。
 うんうん。そうでした。その辺に観ている者は、すごくフラストレーションを感じたはずです。

その総括要求の出し方を観ていて、僕が連想したのは、失礼ながら、女性に多くありがちとされる、何か不満が溜まってくると、昔のことを持ち出して問い詰め始める憂さの晴らし方と、例の「仕事と私とどっちが大事なのよ」とのフレーズで象徴されている非論理性というものでした。
 わはははは、そのとおりです(笑)。
 彼の人生の幕引きも、男らしいとは言えないものでしたしね。「森さんは卑怯だ!」って、永田が拘置所で絶叫したという時の気持ち、すごく理解出来ますよ。

思想というものは論理的なものだと僕は思っていて、情緒的なものは文学の領域だと感じます。ロジックとしての思想の導き出した世界観や価値観を情緒的に表現する文学というのは勿論ありますし、文学でありながらもイマジネーションよりもロジックが勝っているようなものがあり、思想がロジック、文学が情緒といった単純な明快さには警戒が必要なのですが、土台のところに対して、僕にはそういうイメージがありますねー。
 考えたこともなかったけど、確かに仰る通りですね。論理的な女性が異性から嫌われるのには、女性らしさが欠けているように感じるんでしょうね。情緒的な男性は女性から観ると素敵に感じますけど、同性からはバッシングの対象になり得る場合もありますから、ことさら森が自分の特性を隠して、「男らしく」と向かった結果が総括だったというのは、すごく説得力を感じます。
 お話するまで、そこまで深くは感じていなかったので、得させていただきました(笑)。

だから、彼が男でなければ、あるいは革命左派のリーダーが女性でなければ、事態は違ったように思うのです。
 以前、中村うさぎの連合赤軍考察を読んだ時に、「父性である赤軍派に、永田率いる母性の革命左派が組み敷かれた」というのを読んだ時は、胸にすとんと落ちるものがあったんですが、ヤマさん説を拝読すると、こちらのほうに軍配が上がる気がします(笑)。あの作品でもそうでしたしね。若松監督もそう思って描いていたんでしょうし。

あの台詞自体は、僕はフィクションだと思ってて、
 私もそう思っています。セリフについては記述はありませんでしたし。

ケイケイさんと同じく、上にも書いた“作り手の回答”だと受け止めているのですが、加藤三兄弟の末弟に言わせたのは、彼が最年少だったからという理由だけではなかったんですね。若松孝二監督は、レバノンに出向いて坂東國男や重信房子に会っていたそうですからね。
 秘かにこの作品も坂東に見せたというゴシップも読みました(笑)。

そうですねー。大衆の支持という点では、連合赤軍以前から乖離のほうが目立ってきていた気がするものの、あれが決定的だったというのは、間違いないですよね。政治や思想が若者のタブーとなり、社会を考える力が衰えていきましたね。
 三部構成になっていましたが、一部なんかは羨ましいくらいでした。未熟さも含めて若さの特権だなぁと思いましたしね。

彼らは、この映画をどう観るでしょうね〜。
 すごく気になりますよね。でも釈放された関係者は、寝た子を起こされた気分がしているでしょうね。

エンドクレジットの終わりのほうで協力者名が例によってずらっと並んでましたが、そのなかに赤軍派を立ち上げ議長になったブント関西派の塩見孝也や重信房子の名がありましたね。
 はい、私もびっくりしちゃった。塩見孝也はともかく、重信房子は獄中ですもんね。

by ヤマ(編集採録)



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