『蟹工船』('53)
監督 山村 聰


 今は亡き山村聰の監督作品は、5年前に黒い潮('54)を観たことがあるだけなのだが、初監督作品は、この『蟹工船』とのことだ。政府の労働規制緩和が生み出したワーキング・プアの問題がようやく耳目を集めるようになってき始めたなかで、小林多喜二の著書『蟹工船』が若い人々によく読まれるようになり、ちょっとしたブームになっているという新聞報道を見かけたりしていたが、日本でのその現象には外国も関心を寄せているらしい。先頃の地元紙に「『蟹工船』ブーム 海外も関心 英で多喜二シンポ」という見出しで、欧米アジアの7カ国の研究者を集めて開催されるとの記事が掲載されていた。そんなこともあっての上映会なのだろう。主催者は、まさに映画『蟹工船』を見て現代の貧困を考える会だった。
 労働者を人間扱いしない冷酷非道な蟹工船の責任者である浅川監督が労務者たちの団結決起に追い込まれて呼び寄せた海軍駆逐艦から、少尉率いる水兵が乗船してきて、それでもひるまなかった労働者たちに発砲した際に、少年労働者たちをも含めて射殺しているところをクローズアップして映し出していたことには、少々驚いた。昭和二十八年の作品だからこそ、出来たことのような気がする。しかも、文化庁の芸術祭参加作品なのだ。今時これをそのままリメイクして文化庁が製作助成したら、今年大騒ぎになった映画『靖国』の上映どころの騒ぎでは収まらないのは必至だという気がする。誰か、やってみてくれると面白いのだが、残念ながら、そんな日本の映画人がいるとは思えない。それは、映画人としての気骨の違いという以上に、時代の空気の違いのほうが大きいように感じる。そういう意味でも、映画は、やはり時代を映す鏡なのだと改めて思った。
 物語的には、会社への背任でもある船内工場で作った蟹缶の横流しを工場長と結託して行っていたりする浅川監督を、並み外れた敵役に仕立てたことで、構造的社会悪の側面がやや後退し、命に従わない労働者に向けて発砲をさせた若い海軍将校や鬼監督への属人的な悪印象が強調される形になっていたところに少し限界を感じたりもしたが、なかなかの意欲作だと思った。翌年に撮った監督第二作『黒い潮』も下山事件を扱った社会派作品だったが、本作以上の作品であったから、その後に撮った監督作品がどうなっているのか改めて興味が湧いてきたが、観られる機会が果たしてあるのか、大いに心もとない。
by ヤマ

'08.10. 5. 自由民権記念館民権ホール



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