『WALL-E ウォーリー』(WALL・E)
監督 アンドリュー・スタントン


 十年ぐらい前に観た『ショート・サーキット』のナンバー5とWALL-Eの姿が余りにもそっくりで、少々興醒めを覚えていたのだが、予告編を観たときにイヴのキャラクターを興味深く感じて観ることにした。

 すぐに銃をぶっ放す流れ者の荒くれ男が村の心優しき娘との交流で人間性に目覚めるというような話は、僕が幼い時分によく観た昔の西部劇によくあった「いかにも古典的なパターン」なのだが、この作品では、物語の骨格的にはそれを忠実になぞりつつも、男女のキャラクターが逆転しているところがミソだった気がする。ちょうど今時の戦闘ものにおいて、世界に冠たるジャパーニーズ・アニメでは、少女もナイスバディも含めて主流は、専ら女性戦士になっているように感じられることが影響しているのか、はたまた実際に、今やジェンダーがそのように変質してしまっているのか、あくまで男は心優しく、女は強くというのがキャラクターとしての前提になっていたように思う。

 だが、考えてみれば、ウォーリーもイヴも人型ロボットではないし、性別の決まったロボットとは言えないはずのものなのに、観ているなかで、なぜ僕はイヴを男性イメージで捉えずに女性として受け止め、ウォーリーを男性として見ていたのかが、興味深く思えてもきた。性質ではなく声質や名前からそう思っているだけとは言えない“らしさ”を感じていたわけだが、それが何処に起因するかを振り返ると、なかなか興味深い作品だったように思う。人型ロボットではないにしても、その形状が「ウォーリー=直線的⇒男性 イブ=曲線⇒女性」だけでなく、「ウォーリー=ゴツゴツ小汚い⇒男性 イブ=ツルツルこぎれい⇒女性」というのもあったかとは思うが、何よりも一番印象に残ったのは、決して笑うという仕草を見せなかったウォーリーに対し、イブが放っていた“笑顔の魅力”だったような気がする。あの青い瞳っぽい目が三日月形になって、身体全体とともに小刻みに揺れるさまが格別に可愛らしかった。だからこそ、昔の西部劇ならば、間違いなく男に割り当てられていたはずのキャラクターを課せられていても、僕にとって、イブは女性のイメージであり、そのイブに想いを寄せるウォーリーが男性のイメージとなったように思う。

 そのように考えると、「古典的な物語におけるジェンダーの入れ替え」をしているように見受けられる作品の人物造形が、意外と素直に古典的であったとも言えるわけだ。そして、特に女性のジェンダーのどういう部分が変質し、どういう部分が継承されているかを振り返ってみると、九ヶ月前に観た同じディズニー映画の魔法にかけられてに通じてくるところのある映画だったように感じる。これがディズニー映画の今の潮流なのかもしれない。

 それにしても、見せる技術の見事さには全く恐れ入った。サイレントに近い科白の少なさというものが印象付けてくれる画像や動きのニュアンスの豊かさに思わず観入ってしまった。

by ヤマ

'08.12.30. TOHOシネマズ7



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