美術館春の定期上映会 “マレーシア映画祭”

@『霧』(Sanctuary)('04) 監督 ホー・ユーハン(何宇恆)
A『グッバイ・ボーイズ』(Goodbye Boys)('05) 監督 バーナード・チョーリー
B『鳥屋』(The Bird House)('06) 監督 クー・エンヨウ(邱涌輝)
C『愛は一切に勝つ』(Love Conquers All)('06) 監督 タン・チュイムイ(陳翠梅)
D『私たちがまた恋に落ちる前に』
(Before We Fall In Love Again)('06)
監督 ジェームス・リー(李添興)

 二日間で開催されたもののうち二日目の5作品のみを観て、一日目のヤスミン・アハマド監督の4作品は観逃した。寄る年波を感じるのは、一日5本も用意されていると、特にまだ先の長い午前のうちなど、これからの長丁場に怯んでか少々うんざり感が先立って、集中力を発揮できなくなってきているのを実感してしまうからだ。おまけに初っ発から、ベータカムの安っぽい質感画像で、アスファルトを引きずっている赤い傘のクローズアップの移動画面から始まる映画を見せられると、もう如何にも自主製作といった個人映画の少々観飽きたようなイメージを連想させられて、いきなり辟易感から入ってしまうことになった。この『霧』は、釜山国際映画祭やロッテルダム国際映画祭で受賞もしている作品らしいが、「構成はあざとく、画面に魅力はなく」で、僕にはサッパリの映画だった。
 全作品が2006年の第19回東京国際映画祭での特集上映に招待された作品だったようだが、全てベータカムの画像だったので、気持ちの上でも観ていて疲れてくるようなところがあった。
 それでも、マレーシア映画などというものは、ふだん観る機会がないものだから、個々の作品の出来や僕との相性以前のところで、マレーシアが窺える点で興味深い。もちろん僅か5作品に表れているものがマレーシアの全てでないことは、翻って日本映画の5本で日本の全てを断じられても不本意なのと同様なわけで、僕にしたって百も承知のことだ。だが、『私たちがまた恋に落ちる前に』での会話によって、日本だけでなくマレーシアでも韓流ドラマのブームが訪れていたらしいことを垣間見たりすると、やはり見知らぬ国の映画を観る楽しみを新たにする気分になれる。美術館の作ったチラシによれば、この国は、マレー系(約66%)、中国系(約26%)、インド系(約8%)ということらしい。そう言えば、『鳥屋』のなかで、中国系の家の一間で怪しげな自動車教習教室をやっていたのは確かにインド系だったように思う。勢力的に弱い分、社会での立場も弱いのだろう。それで言えば、この民族系比率からすると、この日に観た5本のうち4本が中国系であったことがマレーシアの映画状況を反映しているかどうか判らないながらも、かつてハリウッドがアメリカ実業界の主流には乗れないユダヤ系人材の集積を受けて発展したことを思い起こし、目を惹いた。
 また、中国系の作品がいずれも中華色が前面に出てきていることに対し、マレー系と思われる『グッバイ・ボーイズ』がマレー色ではなくて、強いアメリカ色の際立ちを感じさせていたことも目を惹いた。『アメリカン・グラフィティ』と『スタンド・バイ・ミー』を併せたような作品で、使われる言語は基本的に英語だった。しかも、ボーイスカウトや高校卒業のダンスパーティが青春の一大イベントになっている。日本以上にアメリカナイズされていることに驚きつつ、中国系のマレーシア映画との違いの大きさに戸惑った。こういう国のナショナル・アイデンティティというのは、どのようにして形成されるものなのだろう。世界最大の多民族国家とも言うべきアメリカでは、伝統とか文化に立脚できなかった分、強さやタフさやら愛国心といったメンタリティとアメリカン・ドリーム神話やアメリカン・デモクラシーといった社会理念に、その拠り所を求めてきたような気がするが、もしかすると、マレーシアにもそれに相当するものがあるのかもしれない。
by ヤマ

'08. 5. 6. 県立美術館ホール



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