『シルバー假面』
監督 実相寺昭雄(第壱話「はなやしき」
北浦嗣巳(第弐話「於母影」
服部光則(第参話「鋼鉄のマリア」


 トンデモ本を賑わせる手合いのタームが満載の“遊び心に溢れた大人の娯楽”として、なんかニンマリできる作品だった。石橋蓮司が実に喜々としてカリガリ博士を演じていて、天本英世が亡くなってなければ回ってこなかったはずの役どころを楽しんでいるように感じた。喫茶メフィストフェレスでのDVD上映会を行っている「うらりゅうピクチャーズ」としては、前回上映作の『ヅラ刑事』とは脚本の中野貴雄、監修の実相寺昭雄で共通しているわけだが、こっちのほうが“大正モダニズム”への憧れが機知に富んだ形で宿っていて、相通じる軽薄さにおいても好感度で上回るような気がする。思い返せば、この作品にも登場する平井太郎(水橋研二)が最後に名乗ることになる“江戸川乱歩”にゆかりの『盲獣VS一寸法師』が、うらりゅうピクチャーズの立ち上げ上映会の作品だった。
 第壱話が、最もまがまがしさと記号に溢れていて、面白かった。そこに絶妙の軽薄さが遊び心として宿っていたように思う。日露戦争時の工作活動で知られる情報将校の明石元二郎の名をもじった特務機関のボス明瀬元次郎に、実相寺監督の旧作『帝都物語』で鮮烈な印象を残している嶋田久作を充てて喜ばせてくれたし、甘粕事件のあと中国に渡り満映のボスとなって戦後の日本映画の隆盛にも寄与したとされる甘粕正彦元憲兵大尉の名をもじった憲兵隊長天数照彦(二階堂智)も登場したりする。シルバー假面に変身する娘ザビーネ(ニーナ)は、文豪 森鴎外(伊藤昌一)が『舞姫』に描いたドイツ人女性エリスとの間に設けた娘であり、かの<ニーベルンゲンの指輪>を使って変身する。その圧倒的なパワーを秘めた指輪の強奪を狙っているのが、ドイツ表現主義を代表する映画カリガリ博士('19)から拝借したカリガリ博士と彼の率いるチェザーレ(山本昌之)というわけだ。博士が浅草はなやしき近辺で興行を打っている劇団名がダンテ劇団というのもいかにもなのだが、この芝居小屋のステージに設えられていた摩訶不思議な殺人装置の仕掛けのことを、先頃観たばかりの19世紀末のロンドンを舞台にしたマジシャン映画『プレステージ』('06)を反芻していて思い出した。こういう機械と異端の科学者というのは、やはりB級テイストの作品のなかでこそ異彩を放ち、笑えるものだと思う。なんとも荒唐無稽のてんこ盛りのなかで、それなりに引用元に対する敬意と憧れが込められていたように感じられるところや遊び心とわきまえているところが好もしかった。
 第弐話は、一転して場所変えしてドイツ辺境の山村を舞台にし、それらしき森が登場していた。分不相応な海外ロケなどできようはずもないのだから、きっと苦心のロケハンだったのだろうが、近頃は日本国内にやたらと外国を模したテーマパークができているので、案外むずかしくはなかったのかもしれない。シルバー假面に変身させる強大なパワーを秘めた<ニーベルンゲンの指輪>は、鴎外がドイツ留学中にファウストもどきの旅の過程で、怪物との謎かけ問答で手に入れた金・銀の対になる指輪だったことが明かされる。ここでは、中世ヨーロッパの魔女裁判が引き合いにされ、ドイツをシンボリックに想起させる飛行船のイメージなども持ち出されていた。
 第参話までくると少々ダレても来、妖しさにおいて際立っていた第一話には及ぶべくもなくなっていた。若きヒットラーやナチスの母体になったとされているトゥーレ協会まで登場させ、なんだかB級遊び心の矩を越えた、もっともらしい主張を込め始めたような気がしたが、軽薄さに味があるテイストのなかで中途半端にそうすることは、少々興醒めで、むしろ底が浅く安直な印象を残したような気がする。
 しかし、三話全体としては、思った以上に楽しめる作品で充分満足した。
by ヤマ

'07. 5.19. 喫茶メフィストフェレス3Fホール



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