『コブラ・ヴェルデ』(Cobra Verde)['88]
『カリガリ博士』(Das Kabinett Des Dr. Caligari)['19]
監督 ヴェルナー・ヘルツォーク
監督 ロベルト・ウイーネ


 高知県立文学館が企画展“ヘルマン・ヘッセ展−画家と詩人の関連企画としてドイツ映画上映会を開催していた。10月30日(日)に1919年のロベルト・ウイーネ監督作品『カリガリ博士』、11月5日(土)が'88年のヴェルナー・ヘルツォーク作品『コブラ・ヴェルデ』、11月6日(日)は'70年のフォルカー・シュレンドルフ作品『突然裕福になったコンバッハの貧しい人々』だとのことで、全て入場無料で観られるという。今頃になって'80年代のヘルツォーク作品を高知で観ることができるとは思ってもみなかったので、喜々として出向いた。

 僕がヘルツォーク作品を観たのは、もう随分前のことになる。21年前の市民映画会で上映された『フィッツカラルド』('82)に続き、翌月名画座で上映された『アギーレ・神の怒り』('72)を観て以来のことだ。破天荒なパワフルさに満ちたスケール感が魅力の、ちょっと異様な作品だった記憶があるのだが、'88年作品の『コブラ・ヴェルデ』を観て改めてヘルツォークらしい怪作ぶりに感心するとともに、映画作りとしては今ではとても許されそうにない画面のさまに恐れ入った。これまでに観た作品と併せ、三作ともに共通するテーマが“征服欲”だという気がしたことに加え、いずれもが怪優クラウス・キンスキーの主演で、南半球の異境の地を舞台にした作品であることも手伝って、いかにもヘルツォークらしいという印象が残った。
 征服欲というのは、法外なまでに圧倒的な自己拡張を目指す欲求だと僕は思うのだが、黄金郷を目指したアギーレにしても、巨大な蒸気船をコロで山越えさせようとしたフィッツカラルドにしても、もはや壮大な夢を追うという次元を越えていたように思う。そして、アマゾンの奥地で大勢の現地人を従えて理不尽な困難に挑ませている白人の思い込みの強さには、夢よりも人と自然に対する征服欲のほうが、むしろ色濃かったような気がする。だから、『コブラ・ヴェルデ』の序盤で、ブラジルの砂糖王を自認する農園主クーチ(ホセ・レーゴイ)が自分の領地を見渡して「地平線に俺の畑じゃない場所があるのは許せない。俺の畑にサトウキビの生えてない土地があるのは耐え難い。まだ俺が孕ませていない混血女を見るのは我慢ならない。」などという思い上がった暴言を吐くことが、ヘルツォーク作品らしさを醸し出していることに、思わず苦笑を誘われたように感じた。しかし、緑の蛇を意味する“コブラ・ヴェルデ”と呼ばれ恐れられる山賊から、クーチのサトウキビ農園の奴隷監督になったものの、追われてアフリカに渡り、奴隷調達を成功させて権益を得、大きな砦の主となったばかりか、波乱の後にアフリカの王の甥のクーデターへの協力により副王にまでなったフランシスコ・マヌエル・ダ・シルバ(クラウス・キンスキー)は、ブラジルの砂糖王クーチ以上の自己拡張を果たしたと言えるのかもしれない。だが、62人もの子を成しながら孤独を常に口にし、副王の地位を追われたうえにイギリスから賞金首まで懸けられ、逃亡を余儀なくされて、船で逃げだそうとしつつも砂浜の波打ち際に倒れた彼の人生は、征服欲を満たしながらも虚しいものでしかなかったことを示していたように思う。
 僕の目を惹いたのは、コブラ・ヴェルデの物語のどこまでが史実に基づくことなのかはともかく、アフリカ人奴隷制度における南北欧米への奴隷供給がアフリカ人同士の抗争や、権力構造のなかでの収奪行為としてアフリカ人自らの手によって組織的に国権的に行われていたものであることを直裁に描いていたことと、ドラマ的必然性としての説得力などに露ほども拘っていないとしか思えない、極めて作り手の趣味的な登場の仕方をするアマゾネス軍団とアフリカ人障害者が現れた場面のもたらす違和感だった。前者は、今の時代でも奴隷制度を描くうえで少し踏み込んだ立ち位置を示すことのできるような問題である一方、後者は、今だとこういう撮影自体が認められなくなっているような気がしてならない。大勢のアフリカ人女性を集めて剥き出しの乳房で戦闘訓練を施し、指導に熱狂している異様な形相のコブラ・ヴェルデとともに、大小・形状ともにさまざまの黒光りする乳房の群れを画面に認め、直立歩行できないほどに脚が細く頼りなくなっている障碍者に浜辺を彷徨うコブラ・ヴェルデの後を追って波打ち際を四つん這いで歩かせている姿を画面に認めては、少々動揺を来したりしていた。

 かねてより名にし負う形で題名が記憶にあった『カリガリ博士』('19)を思い掛けなく観る機会を得たことも嬉しかった。ドイツ表現主義を代表する映画作品であると同時に、ホラー映画の先駆けともなった作品だという紹介が学芸員からされていたが、初めて観た僕の印象に最も強く残ったのは、むしろ話法の複雑さだった。フランシスの語りのなかに登場するカリガリ博士の話のなかに、博士の日記に書かれた話があったり、十七世紀の記録が出てきたりするうえに妄想や催眠術があって、博士が狂人にされたりフランシスが狂人にされたりするのだから、事実とされるべきものが何であるのか判然としなくて妙に落ち着かない不気味さを残すわけだが、こんな複雑な構成を持った映画が当時既に存在し、人気を博していたことに感銘を受けた。結局フランシスの精神病院への連行は、彼の精神上の病ゆえなのか、狂気に毒された精神病院長カリガリ博士が、自身が狂人として収監される窮地を巧みに脱して、フランシスに全ての責を負わせて逃れたゆえなのか、一概に言い切れない曖昧さを残しているところが不気味極まりないわけだ。この複雑な構成が付与された顛末それ自体は、必ずしも作り手の意図だったわけではないようだが、そんなことよりも、現にそういう作品が当時公開され、高い支持を集めたことに意味があるような気がする。
 殺人場面をシルエットで描くことで恐怖感を煽る手法がこの時代からあったことや眼の縁に濃い隈取りを施した異様なメークの強烈さを目の当たりにしたことは、噂に聞いていた装置などの美術以上に、僕には印象深かった。とりわけ“操りの生み出す恐怖”と“有無を言わせぬ誘拐や連行による拘束や収監の恐怖”のようなものに塗り込められた物語が時代の不安感を的確に捉えていて高い支持を集めたのであろうことを実感できたのが、最も観て嬉しいことだった。

 それにしても、こんな貴重な上映会にわずか数十人ばかりしか訪れていなかったのが、なんとも勿体ないことだと感じた。僕自身も上映会情報を直近まで知らずにいて、危うく一本も観ずに終わるところだった。同じ財団が管理運営を受託しているのだから、美術館の上映会のときに告知しておけばいいのに、と残念に思った。
by ヤマ

'05.11. 5. 文学館ホール



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