『かもめ食堂』をめぐって | |
(TAOさん) ヤマ(管理人) |
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No.7335から(2007/04/11)
(TAOさん) ヤマさん、『かもめ食堂』を拝読しました。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん。 早速にありがとうございます。 (TAOさん) 私ときたら、几帳面で神経質そうにも見える小林聡美が、なぜあのように異国で泰然自若としていられるのか、そもそもなぜヘルシンキに来たのか、店を始めて何ヶ月も売り上げがないのに生活費はどうしているのかなど、無粋なことが気になってしまって。ヤマさんのようには楽しめませんでしたよ〜(残念)。 ヤマ(管理人) それ、僕もチラリとは思いましたが、『赤いアモーレ』の談義のときにもお話ししたように、物語を展開するうえでの前提みたいなとこには割と肝要なんです。ほら、極端な話をすれば、SF作品なんかもそうですよ。タイムトンネルなんか、とりあえず時間旅行することは前提でしょ(笑)。 (TAOさん) 昔、友人がつくった雑貨屋さんの手伝いをして、売り上げのないつらさや理想と現実のギャップを身をもって痛感したからかも(笑)。 ヤマ(管理人) なるほどねー。 商売するとなると、趣味じゃないから理想ばかり追えませんものね。僕が、好きなことを仕事にするべきではないと思うのもそれゆえです。好きなことを仕事にしようなどという安直さは、得てしてしっぺ返しを喰らいそうな気がしますね。 (TAOさん) それは一理ありますね。 ヤマ(管理人) ええ、むしろ、好きなだけに一層の覚悟を持って臨むべきでして、それなら、僕も“安直さ”などとは言いません(笑)。ですが、好きなことを仕事にしようとするよりは、仕事のなかに面白がれる部分を見出そうとする創造性のほうが、遙かに現実的な気がします。 (TAOさん) あ、そういう意味では、私は理想主義者です(笑)。 ヤマ(管理人) 夢追い人というのも、ひとつの生き方ですもの。理想に迫れるに越したことはありませんよ。 (TAOさん) どんな仕事にもそれぞれに苦労があり、どうせ苦労するなら好きなことでしたいと思ってしまいます。 ヤマ(管理人) 仕事にしても「好き」の部分を浸食されないくらい好きならば、好きであり続けられるわけで、そのほうがよろしいですよね。 -------男っ気を抜いた映画世界の狙っていたもの------- (TAOさん) あ、あと、三人の女性に男っ気がまるで感じられないところも作為を感じました。 ヤマ(管理人) 作為的でしたか。なるほど。これは思い掛けない視点でしたが、言われてみると、そうなのかも。 (TAOさん) 必ずしも色恋がなくちゃいけないとは思いませんが、三人が三人、男の影すら感じられないのは、ちょっと不自然かなと。 ヤマ(管理人) でも、影ということで言えば、むしろ僕は、三人の女性たちがフィンランドに脱出してきていること自体に、ある種、男の影を感じていたようなところがありました。サチエには、離婚の影を。ミドリには、失恋の影を。 (TAOさん) たぶんそういうことなんでしょうね。 ヤマ(管理人) もっともありきたりなんですが、特段の説明もなければ、ありきたりで受け取って不都合もないので、僕はそうしてましたねー(あは)。 (TAOさん) ほんの影だけで、男っ気がなかったのは、原作者の群ようこが男嫌いだからでしょうかねえ。 ヤマ(管理人) あら、そうなんですか? (TAOさん) 荻上監督の他の作品はどうでしたか? ヤマ(管理人) 男嫌いという感じは受けてませんねぇ。それで言えば、唯野未歩子監督の『三年身籠る』のほうに強く感じましたよ。 ただ、『バーバー吉野』を観たときに、性への向かい方に妙な強張り感を覚えた記憶がありますね。確か、ギャグのひとつにしてたんですが、なんかこなれてない取って付けた感じが少々センスの悪さとともに現れ出てて、よしときゃいいのにって思いを誘われましたよ、そう言えば(笑)。 (TAOさん) ははあ、誘導尋問みたいですが、私には合点のいく話です(笑)。 ヤマ(管理人) いや、すっかり忘れてたんですが、思い出させてくれました(ふふ)。誘導はしていただきましたが、尋問ではありませぬ(笑)。 (TAOさん) そういうことなら、今回は苦手分野を排除して正解だったんですね〜。 ヤマ(管理人) そうそう(同感)。御指摘のその部分もあったのかもしれませんねー。僕が、苦手にしてた彼女の作品に珍しくも気持ちよくなれたのは。 (TAOさん) 気楽にのびのびと撮っている楽しさがありました。ただなにか不自然な感じがしたのは、その見えないこわばりを感じたからかもしれません。 ヤマ(管理人) ほう。僕は、排除したことでの恩恵をすんなり受けたようですが、TAOさんは、さらにその奥の“見えないこわばり”を感じ取っておいでたようですね〜。筋立てを振り返れば、「なにか」どころか不自然きわまりないですよね。何も例のトランクの中のキノコの一事に限らず(笑)。あそこんとこは、原作ではどうなっているのか、ちょいと気になるところですね。群ようこの原作世界への、荻上監督のアンサーとして新たに脚本に加えたことなのか、それとも元々原作に出てくるエピソードだったのか。 よもやTAOさん、この映画でのあのキノコ群にフロイト的な象徴を読み取ったりしてはおいでませんよね?(笑) (TAOさん) わはは、キノコか〜(笑)。私はフロイトと袂を分かったユングのほうが好きなので、よもやそういう発想はしませんけどね(笑)。 ヤマ(管理人) やっぱり(笑)。 (TAOさん) キノコ、そういえば出てきましたね、ヤマさん。1年近く前に見たので、すっかり忘れてましたよ。 ヤマ(管理人) あの紛失したトランクに詰め込まれていたキノコって、何だったんでしょうね(笑)。 (TAOさん) なんだか煙に巻かれましたよねえ。マジックマッシュルームだったのでは(笑)。 ヤマ(管理人) 毒キノコを食べて見た幻覚だったりして(笑)。 (TAOさん) たぶん私がこの作品にこわばり感を感じた根拠は、オタクの男の子をみんなして餌付けするところなどに、意図的に女性性を排した母性のみが感じられることと、もたいまさこやサチエの役柄がサムライっぽいかっこよさで、まわりの女性が彼女たちを崇拝し尊敬する図式が同性愛風に感じられること。 ヤマ(管理人) ふむ、そう言われれば、そう映るのも思い当たるようなところがありますが、奥の奥だな〜(感心)。それにしても、餌付けですか(笑)。コーヒーおたく?(あは) でも、そう言えば、あのオッサンにしてもねー。 (TAOさん) それから男女のことで悩むカップルに対して、そういうことに惑わされないサチエたちを優位に描かれているところに、男女関係を卒業した女たちのユートピアを示唆している気がしました。深読みなんですけどね。 ヤマ(管理人) いやぁ、読みは深いのを伺うほうが面白いもんです。 それにしても、女性にとっては、男女関係からの卒業は理想郷への入り口なんですかね。女性からは、わりとそういう声を聞くこと多いんですが、男はどうも逆みたいですよ。落胆への入り口って場合のほうが圧倒的に多いように感じます。この違いは、なんででしょうねぇ(笑)。 (TAOさん) うちの夫も近頃異性にときめくことがなくなったとしきりに落胆していますよ(笑)。 ヤマ(管理人) そーでしょ、そーでしょ(笑)。僕もねー、近頃TVで見る若い娘の識別が出来なくて(落胆)。だれもかれもが同じに見えてしまうんですよねぇ(とほ)。 (TAOさん) あ、でも、この作品が幅広い世代の女性に受けていたのは、今の日本の三十代以上の女性にはそういう気分、つまり男女のことはもうめんどくさい、気心のあった同性だけでカフェでもやりながらのんびり暮らせたらいいよね、みたいな気分があるんじゃないかなとも思ったんです。 ヤマ(管理人) 『三年身籠る』の拙日誌の最後の段落は、まさしくそのような三十代女性の気分に言及してるんですが、 (TAOさん) あ、そうでしたね。今改めて再読させていただきました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。「今の三十代女性の感覚というのがこういう低温系」と綴った部分のほうにTAOさんとしては、ご賛同くださってるということなんですね。 (TAOさん) ええ、三十代女性には世代的にそういう傾向があると思います。 ヤマ(管理人) ふーむ、やっぱ、そうなのかなぁ。思えば、身近なとこで三十代女性に接することがなくなってるんですが…。 (TAOさん) 彼女たちは、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる人たちで、生まれたときから恵まれているせいか、醒めていて上昇志向が少なく、快楽よりも「快適」を志向するんですよ。 ヤマ(管理人) 快楽よりも快適って、何か凄く感じ出てますねー。疲れること、嫌いそーだなー、そう言えば(笑)。 (TAOさん) Hanako世代と呼ばれた今の四十代のように、グルメや海外旅行が大好きで、クリスマスはホテルでロマンティックに、なんていう、非日常好きで浮かれたところがなく、もっと現実的、合理的で、そこそこ快適な日常を大事にしていて、情報やイメージにあまり惑わされないので、広告業界では、この世代を狙った商品は必ず失敗すると言われてます。 ヤマ(管理人) その違いって、華の娘の二十代をバブル期に過ごしたか、平成不況期に過ごしたかってことのほうが大きいような気もしますが(あは)。 (TAOさん) 身近な三十代を見てもそういう感じですよねえ。恋愛や結婚に関してもあまり熱くならないような・・・。 ヤマ(管理人) 身近にいないからな〜。ん? いたぞ。部下に一人(苦笑)。そう言えば、確かにそんな感じではあるなぁ(納得)。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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