『魂萌え!』を読んで
桐野夏生 著<毎日新聞社単行本>


 阪本順治脚本・監督による映画化作品を観たときの談義は、男の僕ではとても気づかない敏子(風吹ジュン)の口紅の色の時代遅れ感などの指摘があって実に興味深かったのだが、その談義において思いのほか女性陣から賛同が得られなかった覚えのある昭子は、愛人という存在とは違っていたのではないかとの僕の想いを裏付けてくれていた『ひまわり』監督 ビットリオ・デ・シーカ)が原作にも登場するのか、また、談義で話題になったペデュキアの場面が原作にもあるのか、そして、思わず僕が「これは、原作にもあった台詞なのかな??」と漏らしたものが原作ではどうなっているのかなどの思いで読み始めた。そして、映画化作品が原作のエッセンスを的確に捉え、実に鮮やかな割愛と脚色を施していた脚本と演出の見事さに改めて感心するとともに、映画化作品が詳述しなかった部分に描かれている原作ドラマの厚みと深みに心打たれた。

 僕より7歳年長の著者によって10年前に刊行された原作小説を読んで最も強く思ったのは、関口敏子と同じように、ずっと主婦業に勤しみ、22歳で結婚して以来フルタイムの職に就いたことのない妻が「後に遺されるのは嫌だ」と言っていたことを果たしてやりたいということだった。原作小説のエッセンスからすれば、夫に先立たれ、数々の試練に短期間に晒されたことで敏子が得たものを描いているのだから、逆に受け取るべきなのだろうが、それだけ本書に描かれた“遺された者の孤独感”が実に切実だったということだろう。

 所期の関心の第1にあった『ひまわり』は原作小説に登場せず、相対的に伊藤昭子の存在そのものが映画化作品ほど前面に押し出されずに、還暦直前59歳の敏子の同級生仲間(山田栄子、西崎美奈子、江守和世)や隆之の蕎麦打ち仲間(今井、塚本、小久保)、長男彰之と長女美保の兄妹、加えて、宮里フロ婆さんとその甥である野田、映画には登場しなかった西泉佐和子といった人々との関わりの総体が炙り出す“老後問題”というものが迫ってくるような読後感があった。

 談義で話題になったペデュキアの場面は原作にもあって玄関の壁に掛かっている鏡で、自分の姿を見た。…憔悴した自分の顔が映っている。しかし、赤い口紅を濃く付けているので、普段よりは美しいだろう。対抗心を燃やしている自分に気付き、敏子は苦く笑った。…伊藤は黒いロウヒールを脱いだ。真新しい靴だった。黒いストッキングから、赤いペディキュアが透けている。敏子は慌てて目を逸らした。伊藤は、自分より年上かもしれないが、現役の女だと思った。敗北感が強まり、敏子は腰が引けるのを感じた。(P58)と綴られていた。この描写であの口紅とペディキュアのカットが出てくるのかと痺れた。

 思わず僕が「これは、原作にもあった台詞なのかな??」と漏らしたものについては、突然死した夫の葬儀のときに義姉から敏子さん、隆之の心臓、前から悪かったんじゃないの。気付かなかったの(P11)と言われていた敏子が昭子に私は、主人が倒れてから、ずっと自分を責めていたのよ。私が悪かったんじゃないか、体調の変化に気付かなかったから死なせたんじゃないかって。でも、主人はあなたと十年も浮気を続け、死んだ日もあなたのところに行ってセックスをしたんでしょう。だから、心臓麻痺を起したのよ。言うなれば、あなたが殺したようなものじゃないですか(P64)という形で明言していた。また、昭子の…隆さんの心臓が悪いのだって、あたしは知って気にしてました。…(P378)も、家具みたいなもんだって言ってたわ。…(P379)も、しらないことは罪なんですよ(P381)も、原作どおりだった。


 初めて昭子の店を訪れて新たな衝撃を受けて取り乱した敏子を宥め口説いた塚本の人物像は、映画化作品とかなりイメージが違っていた。敏子が「奥様に申し訳ないです」と言ったときに塚本はしばらく沈黙していたが、決然と顔を上げた。「女房は、もう僕の相手をしてくれません。僕は歳を取ってはいますが、男なんですよ。あなたはご主人とどうでしたか」 隆之が性交渉を望んだ時、自分も相手をしなかった。あれはいつのことだったか。遥か昔。だから、隆之は昭子の元に行ったのだろうか。怒りが悔いに変わってきた。取り返しのつかないことをしたのか。敏子は唇を噛んだ。「男と女は難しいのです。正直に言えば、僕も関口さんと似たようなことをしたことがあります。逆説的ですが、それは結婚生活を続けるためでもあったのかもしれません。相手の女の人には失礼なことをした、と後悔もあります。こうして何度も捻じれながら続くのが、結婚生活だとしたら、男と女は不思議です」 では、塚本は結婚生活を続けるためだけに、自分と付き合うのか。敏子は首を傾げる。「わかっています。あなたは、僕の誘いが僕らの結婚生活を維持するためだけにあるのか、と言いたいのでしょう。でも、違います。僕は女房と添い遂げたいと思っていますが、どうなるかわからない、という思いもある。若い頃、僕はもっと狡かった。女房を騙し、相手の女の人も騙しました。自分のことしか考えていなかった。でも、今は違う。この先どうなるかわからないから、今を精一杯生きたい。死がすぐそこに迫っているからこそ、僕はあなたを知りたいのです。それが歳を取ることです」塚本は必死だった。「僕を知りたくないですか」「知りたいです」敏子はあっさりと承諾した。(P200~P201)という遣り取りが交わされていたが、映画化作品でも敏子に“夫に対する怒りの悔いへの変化”がこの時こういう形で現れていたのか、既に記憶に定かではない。だが、隆之の不倫に傷付けられ、どこにも持って行き場のなかった虚しさが、塚本との一夜の関係で雲散霧消したかといえば、逆だった。自分の知らなかった世界を経験して得たものは、また新たな虚しさなのだった。だが、虚しいからといって、手放してしまうのは寂しい気がするのだから、始末に悪い。(P203)という敏子の側の感じはよく描かれていたような気がする。

 日誌に(敏子が)夜景の見える高層ホテルのベッドで見せたハッとした面持ちと綴った場面に直接繋がる描写は原作にはなかったが、談義のなかでとめさんがあのホテルでいたしたはいいけど、うまくいかなかったんですよと察していた部分についてはきちんと言及されており、雷の鳴る朝…、反射的に、敏子は塚本が横にいてくれたら、と願った。手を繋いでくれるだけで良いのだ。咄嗟に、敏子は自分の右手を左手で掴んだ。が、あまりの虚しさに苦笑いをする。 敏子は塚本と寝たい訳ではなかった。六十七歳の塚本は、準備に時間がかかったし、結ばれたと思った数分後には不可能になってしまった。自分だとて、久しぶりの行為に高ぶるかと思ったら逆で、潤いが足りなかったのは怖じたせいだろう。互いに満足のいく行為ではなかったし、若い頃と違って、相手の肉体を欲しているのとも違う。思い遣りさえ得られたなら、それで充分なのだった。塚本は、傷付いた自分を優しく慰めてくれたではないか。では、自分は塚本に応じることができたのか。いや、そんな余裕はなかったはず。敏子は、おのれの身勝手さに気付いて頬が熱くなった。(P264~P265)と記されていたから、とめさんが察した通りだったのかもしれない。

 談義でも女性たちの総スカンを食らっていたような気がする“二回目でラブホテル”は原作でもそのとおり(P357)だったが、映画化作品では登場しなかった佐和子との間での「…ねえ、敏子さん。その人が今日も高層ホテルに誘ってくれたら付いて行った?」 鋭い質問だった。敏子もさっきからそのことについて考えていたのだった。「付いて行ったでしょうね。こっちもそういうことを期待していたのよ。どこかロマンチックなね。でも、急に場末のラブホテルになったから、セックスしか興味がないのかと思って落胆したのよ」「でも、毎回、逢い引きにそんなお金はかけられないと思うわよ。退職した人だし、奥さんだっていらっしゃるんでしょう。最初は頑張ったのよ。あなたを誘って、ネックレスだって買ってくれたりしたけど、毎回は無理だからってあなたにそれとなく知らせようとしたんじゃない。心持ちはそう悪い人に思えないけどね」 佐和子は、塚本に同情的だった。(P359~P360)という遣り取りが興味深かった。映画化作品で塚本がスワロフスキーのネックレスを敏子にプレゼントしたかどうか、もはや僕は覚束なくなっているが、映画化作品の塚本(林隆三)は原作小説での今井のように何らかのことで資産をふいにしてしまったか何かで、実際は裕福には過ごしていない姿が露わにされていて、いささか情けない哀れみが印象づけられていたが、原作小説では、発展家ではあっても哀れっぽさとは無縁の人物像だったように思う。初心な敏子にさえ気取られる嘘で誤魔化そうとする辺りは、十年間隠し通した隆之には到底及ばない不用意さだった。

 だから、敏子に塚本につまらない嘘を吐かれたことに痛みがある。これがさっき話した時の違和感の正体だったのか。図書館が休みだという事実そのものではなく、自分には嘘を吐いてもいい、と思っている塚本の心の在り方に対して、無意識に感応したのかもしれない。…敏子にとって、嘘を吐いてまで隠したいことがあるとしたら、それは余程のことだった。馬鹿正直に暮らしてきた自分は、これから平気で嘘を吐く世間というものに翻弄され続けるのかもしれない。…塚本を好きになれるかどうかもまだわからないのに、早まったことをしでかしてしまった。敏子は早くも自己嫌悪を感じながら、立川までの切符を買っ(て宮里の見舞いに向かっ)たのだった。(P239~P240)という思いを抱かせたりしていた。

 そして隆之に、昭子という長い付き合いの愛人がいたことを知った時、敏子は自分が軽んじられた、という思いに苦しんだ。いや、今も苦しんでいる。(定年退職の日に「食事が済んで、美保が二階に上がると、…キッチンにやって来て右手を差し出し…戸惑う敏子に、少し酔った隆之は『握手、握手』と言っ…て…敏子の手を温かく包んだ」(P384)) 隆之に軽んじるというほどの気持ちはなかったにしても、生活の面倒はこちらに押し付けて、心と時間と金を別の女に割いていた、という事実は、心が押し潰されるほど辛い(P311~P312)ということがよく伝わってきた。


 だが、その辛さ以上にどうしても晴れない鬱々とした気分の正体は、孤独感だったと気付いたのだった(P335)ことを知り、配偶者に先立たれたその孤独感から、騙されていることを半ば察しつつ(P410)も結婚詐欺に二千万やられた、元銀行員と称していた信金OB(P404)の今井が、蕎麦仲間の小久保からほら、もう苛立ってる。前はあんな人じゃなかった。気も長かったし、よく笑う人でした。変わったんでしょうね(P346)などと言われるようになり、夫に先立たれて随分になる同級生の栄子にも激しやすさが目立ってきている“老いての孤独”の怖さが僕にも想外に沁みてきたのは、やはり僕も三年後には還暦を迎える歳になっているからだろう。だから、妻に対して、自分のほうが先立たないようにしてやりたいと強く思ったのだという気がする。

 佐和子に褒められた敏子は照れた。いつの間にか、気が楽になっている。自分は、誰かに、それも信頼している人間に肯定されたかったのだ、と気付く(P161)のも、その孤独感ゆえであろう。

 また、隆之の急死に敏子以上に衝撃を受け、鬱病になり、床に伏せってしまった昭子のでもね、奥さん。隆さんはいつも陽気でしたけど、時々、虚ろな顔してましたね。どうして自分はこんなところに嵌り込んでしまったんだろう、というようなね。それを見るのは辛かったです。じゃ、あたしは隆さんの何なのだ、みたいな気持ちになっていたたまれないんです。割り切れないんですよ。だから、答えの出ない堂々巡りでした。楽しく前向きになると、次は決まって虚しくなる。虚しいから楽しくする。その繰り返し。空中に根を張る植物があるって聞いたことがあるけど、そんな感じでした。あたしたちは、地面じゃなくて空中。空中の楼閣。若い時はそれでも良かったけど、歳を取ってくると、とても儚い気がしてね。最後まで添い遂げたいのにできない。それに堪えられないあたしを見て、隆さんも逃げたくなったんでしょうけど、どうにもならない。きっと隆さんの虚ろはそこらへんから発していたんだろうなって、あたしはよく思いました(P386~P387)との言葉にも打たれるものがあった。

 そのうえで、隆之は、塚本のように洒脱でもなければ、気が利く男でもなかった。…真面目で実直が取り柄の、平凡なサラリーマンだ。その隆之が、秘密の生活を持っていたことが、考えれば考えるほど、敏子には不思議でならないのだ。最も長く付き合って、性格も好みもよく知っているはずだったのに、隆之は本当の姿を妻には見せなかった。だとすれば、妻とは夫にとって何なのだろう。家庭を守り、子供を育て、地域と仲良く付き合う、自分が気を配ってやってきた仕事が、夫の生活を支えていると自負していたが、隆之の生き甲斐は違うところにあったのだ(P396)と思う敏子が、私は隆之に聞いてみたかった私のどこが不満で、昭子と恋愛をしたのか、と。しかし、答えはわかっていた。不満などないのだ。不満がなくても、向こうからやってくる運命に抗えないこともある(P431)と思いながら、急に敏子の中に込み上げてくるものがあった。自分の言葉に衝き動かされた感情。それは、隆之に対する慕情だった。ああ、会いたい、でも、あなたとはもう二度と会えないのだ。以前は昭子のことで腹立たしく、悲しみは憤りにいとも簡単に転化していた。しかし、この言いようのない寂しさと虚ろな気持ちは、昭子との軋轢も一段落ついた故に生じてきたのだろうか(P447)と偲ぶ境地に至る姿は、つい先ごろ映画のおみおくりの作法を観たときに、敏子の一連の心の動きそのものもまた“おみおくりの作法”だったのだなという感慨をもたらしてくれた。

 そうした後に残るものとして関口を段々と信頼できなくなっていった。それが一番辛いのに、関口はそれを不満だなんて、つまらない言葉に置き換えた。それが一番嫌だったんです(P464)との言葉がなかなか痛烈だった。そして、どういう形になるにせよ、塚本との関わりが続いていく感じを残していた原作と映画化作品との違いを改めて興味深く感じた。そんな原作小説を読み終えて思ったのは、小説の塚本の様相からすれば“二回目でラブホテル”には違和感があるということだった。阪本順治の脚色もそこから出発したのではなかろうか。そして、塚本を敏子の人生から退出させる物語に転じて用意した『ひまわり』を映写するという結末が実に見事だったことに改めて感心したのだった。



by ヤマ

'15. 5. 1. 毎日新聞社



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