『あなたになら言える秘密のこと』(The Secret Life Of Words)
監督 イサベル・コイシェ


 死ぬまでにしたい10のことの雰囲気を彷彿させる佇まいのチラシに惹かれて公開前から気掛かりだった作品が今週限りということで、慌てて駆けつけた。
 最後の場面では週に一回、日曜の午前にしか訪れなくなっていたハンナ(サラ・ポーリー)の内なる“声のパートナー”というのは、彼女がクロアチアで一緒に看護を学んでいた友人だとジョゼフ(ティム・ロビンス)に語っていた、殺された女性のようでもあるのだが、ジョゼフからコーラと呼ばれていた彼女は、その名前を“ハンナ”と告げていたから、それは、やはりもう一人の自分ということなのだろう。
 確かに殺されたも同然の凄惨で苛烈な仕打ちに晒され、“死んでしまった自分自身”というものの存在を常に傍らに感じつつ生き延びている自分などという痛切な感覚は、後輩に「人生を舐めてますね」などと言われたことのある僕には到底、想像も及ばないものなのだが、それだけのものを背負ったハンナが、なぜジョゼフには秘密を言えたのだろうということを映画を観終えてからずっと考えていた。
 ハンナから打ち明けられていることを知って、ジョゼフに「信頼されたのね」と語ったデンマークの女性カウンセラー(ジュリー・クリスティ)は、ハンナとの関わりのなかで、彼女が自ら話し始めるような形での信頼までは手応えとして感じることがないままに来ていたのだろう。ハンナにしても、本当は誰かに明かして、分け持ってもらいたいのだけれども、自分が負った辛さに見合うだけの辛さを負った相手でないと、語りたくとも語り得なかったのだという気がする。ハンナが生き延びていることを恥じている感覚を受け取ることができるだけの想像力を備えていたから、ハンナは、カウンセラーに対しても信頼感は寄せていたような気がする。無言のままでも電話を掛けているのは、その証である一方で、口にしたくともできない彼女の苦しい胸中だったようにも思えてくる。
 そういうなかで、ハンナがジョゼフに打ち明けられたのは、やはりジョゼフがハンナの辛さに見合うだけの傷を抱えていることを知ったからなのだろう。身動きが取れなくなるほどの火傷を負い、視力も失い、親友を死に追いやったジョゼフの抱えている傷もまた、並々ならぬ深手ではあるわけで、それだけの手負いにも関わらず、ユーモアを失っていないジョゼフなればこそ、ハンナもほぐされたということなのだろう。瀕死の傷ながら火傷も視力も、癒え、回復するものとして現れているところには、やや観念的な図式性を感じなくもないが、サラ・ポーリーとティム・ロビンスの確かな存在感と卓抜した演技力がその疵を払拭して余りあったように思う。とりわけ、いたぶり悲鳴をあげさせるために切り裂いて塩を擦り込み縫い付けるという凄絶な暴虐を示す無数の傷痕を、ハンナが胸元を開き、目の見えないジョゼフに触れさせる場面には圧倒された。また、「一人でいることを好む人間が集まってくる」と所長が語る油田掘削所の微妙に冷たくて殺伐としつつも海上にどっしりと聳え立っている佇まいが印象深かった。
 しかし、忽然と消えたハンナを探し求め、忘れ物を届けに来たとリュックを渡すジョゼフに対して、さらに「用は済んだわ」と突き放しながらも、プロポーズには直ちに素直に応えキスに至る展開は、いかにもありきたりな恋愛劇における再会のクライマックスと余りに変わりがなく、これまでの二人の間に起こったドラマの帰結としては少々不釣り合いな印象が残った。とは言え、内なる“声のパートナー”の来訪が次第に間遠くなりつつあるという“救済の到来”を予感させるエンディングには、するべき作品だったように思う。
by ヤマ

'07. 2.20. TOHOシネマズ1



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