『ドリームガールズ』(Dreamgirls)
監督 ビル・コンドン


 近頃は日本映画の元気が良くて、アメリカのメジャー映画は冴えないなどと言われるが、こういう作品を観ると、まだまだ日本ではとても作れないとの感慨を誘われる。楽曲、衣装、舞台構成、ドラマ、時代背景、いずれをとっても見事な造形力だ。ダイナミックで、ゴージャスで、ファンタスティックな造形のなかに、人の世と心の奥行きがしっかりと捉えられていて、本当に感心してしまう。
 エフィ・ホワイトを演じたジェニファー・ハドソンの歌は、もちろん悪くはないけれども、序盤でのパンチ力を前面に出した歌唱では、肥え肉の黒人女性シンガーの本当にダイナミックで線の太い数々の声への聞き覚えからすると、正直なところ少々物足りなさを感じた。だが、パンチ力を前には出せないバックに回ってからの歌や掛け合いの歌唱、さらには再起に向かって「ワン・ナイト・オンリー」と歌っていたときの味わいの豊かさには感じ入るものがあった。
 ディーナ・ジョーンズを演じたビヨンセ・ノウルズの歌では、やはり「あなたへの信頼は失われた」と夫カーティス(ジェイミーフォックス)に引導を渡すスタジオ・レコーディングでの歌唱が圧巻だったが、僕が驚いたのは、いつもは小うるさい演技が癇に障るエディ・マーフィが、見違えるように冴え渡っていたことだった。ベテラン歌手のジミー・アーリーを演じるなかで、得意の軽妙なノリを垣間見せることすらなく、ショービズの浮沈のなかで見せる得意と哀感を絶妙の味わいで演じていたように思う。とりわけブラック・パワーによる公民権運動の高まりという時代背景のなかで、メッセージ色の強い歌に新境地を見出すことで麻薬への依存からも脱しようと試みながら、今やモータウンサウンドのマーケットに絶大な力を持つ辣腕プロデューサーに成り上がったカーティスに一蹴されて、再び麻薬に手を出すエピソードにおける姿が印象深かった。
 ジェイミー・フォックスは、相変わらず巧くて、最も陰影の深い人物像を達者に造形していたように思う。マイナーな黒人向け放送でのヒット曲『キャデラック』を当たり前のようにして白人に横取りされる悔しさのなかからのし上がり、ときに狡猾にときに非情に“ファミリー”の夢の実現と成功に向けて、最前線を切り開いていくなかでの苦労とリスクを一手に引き受けてきた頼もしさが、破格の成功物語のなかでの自信の獲得のみならず、果てなき増長へと繋がり、遂にはかつて自分たちが『キャデラック』で味わった屈辱を同じ黒人どころか、かつてのパートナーでもあったエフィとマーティ(ダニー・グローヴァ)に対して与え、自社レーベルでのヒットのためには、彼らの再起の芽を潰すことさえ厭わぬ亡者に堕していく。常につま先立ちで走り続けることを余儀なくされる人生のなかで、得るものの大きさに見合った喪失を我知らず重ねていくことを、単に愚かさとは断じ得ない苛烈な人生に翻弄された姿として見事に演じていたように思う。
 こういう映画を観ると、思わずダイアナ・ロスの実人生のほうにも俄に興味が湧いてくる。安穏とは程遠い派手な人生のストレスフルな激しさに最も必要なのは、実は才能よりも、タフさなのではないかとショービズものを観ると、いつも思うが、ダイアナと彼女のパートナーだった男の人生とは、実際いかなるものだったのだろう。ダイアナ・ロスの名も近頃はめっきり聞かなくなったが、疾うに引退しているのだろうか。ザ・シュープリームスのダイアナには、ザ・ドリームスのディーナに織り込まれたものよりも、遙かに生臭く激しい人生模様が偲ばれてならない気がした。いかに富と名声を得たとしても、随分としんどそうな人生で、あまり羨ましいとは思えない。
 それにしても、ドラマの展開や場面的なところで特にというのではなくて、作品の造形力というものに対して、じんわりと感銘が広がってきて、歌を聴きながら次第に感じ入るという体験をしたのは、これまでにも余り覚えがなく、とても新鮮だった。大した作品だ。
by ヤマ

'07. 3. 7. TOHOシネマズ3



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