『またの日の知華』
監督 原一男


 ちょうど十年前の“高知シネマフェスティバル'95”で『全身小説家』を上映したとき、お招きした原監督が次は劇映画を撮りたい、それも恋愛映画を撮りたいと思っている。と話していたのだが、その劇映画作品が昨年ようやく完成に漕ぎつけたことを知りつつも、観る機会を得ずに来ていた。そこへ思い掛けなく岡山の小川孝雄さんから電話があって、岡山映画祭2005“えいがのきおく”で、原監督を招いて『またの日の知華』を上映するから、懇親会に参加してほしいとのお誘いを受け、出向くことにした。小川さんに紹介した高知県立美術館の浜口真吾さんから参加申し込みがあったとも聞いたし、何より、一人の女性の二十代から三十代を四人の女優に演じさせたことで賛否が著しいとの作品を自分の目で観て確認してみたい思いが強く働いたからだった。それというのも、僕には、異なる男の目に映る一人の女性の人物像の違いについての鮮烈な記憶があるからだ。

 もう二十五年も前のことになるが、二十歳過ぎの時分に、七歳年長の友人と僕の双方が個人的に非常に親しくしていた、その友人と同い年の女性がいて、彼女について二人であれこれ語り合ったことがある。一人の女性について歳の離れた友人と互いのパーソナルな部分で語り合うという経験はそうあることではないように思うのだが、そのくらいの若い年頃で同い年の男と七歳年下の男に対して、女性の見せる顔が違うのは当然だとしても、それぞれの目に映っている人物像のあまりにもの違いには驚いたものだった。しかも意図的に使い分けているような乖離した感じの違いではなかったことが印象深かった記憶がある。だから、どっちが本物偽物ということではなく、ちょうど牛乳瓶を底から観るか横から観るかで、牛乳瓶それ自体は一つの肉厚のガラスで出来た揺るぎなき一個の物体であっても、姿形が全く変わって見えてしまうようなものなのだろうと考えて納得しつつ、それにしても…との感慨を得た覚えがある。とりわけ女性は、自分自身を表出し表現するというよりは、相手との関係性のなかで“反応”として引き出される形で自分を演出し造形する傾向が、男性よりも強いような気がするので、そうなっても不思議はない。五年前に観たコキーユ 貝殻』の日誌おそらく直子は、谷川の目に映った直子とはまるで別人の姿で浦山の前では存在することができたのだろう。それは装うとか偽るとかいうことではなく、浦山といるとそういう直子になれるのだ。それが女というものではないのかと綴ったのも、そのときの想いがあってのことだったという記憶がある。

 だからこそ、『またの日の知華』を観て最も残念だったのは、良雄(田中実)、和也(田辺誠一)、幸次(小谷嘉一)、瀬川(夏八木勲)の前に現れる知華がそれぞれ厳密に吉本多香美、渡辺真起子、金久美子、桃井かおりとはならずに、単純に章立てごとに入れ替わっているに過ぎないことだった。どの章においても、四人の男のうちの複数が一画面のなかで知華と映る場面はなかったのに、こうなっては、男の目に映る知華の姿の違いではなく、四人の女優の個性の違いを見せる競演に主眼が変わってしまう。だから、最も楽しみにしていた部分をはぐらかされてしまったように感じたが、姿と現れ方は違っても、いずれの知華にも宿っていたある種の“女の強靱さ”というものは、その哀しみとともに印象深かった。

 そこにあるのは、自分の選択に対する潔さというか引き受けの精神だったように思う。逃げや責任転嫁とは無縁の“腹の据わり”のようなものが、いずれの男の目に映った知華にも通じていたように思う。だからこそ、五輪候補と嘱望された体操選手に挫折しつつも、溌剌とした体育教師となっていたし、不倫の顛末によって教師から場末のスタンドバーの女に転落していっても、また、その挙げ句あえなく命を落としても、人生のままならなさと彼女の迷走というものは印象づけても、憐れみを感じさせない。

 そして、1960年から1976年までの時代を写し出す安保闘争から東大安田講堂占拠、あさま山荘事件、連続企業爆破事件などの社会的事件のインサートというものが想起させる、いわゆる「変革と希望の“激しい60年代”と閉塞と迷走の“シラケの70年代”の対照」が、政治性とは無縁に生きていた知華の人生の彩りと対照にもまさしく符合していて、作り手のあの時代へのこだわりというものが偲ばれた。

 ただ、上映後のトークで原監督や脚本を書いた小林プロデューサーが語っていた単に転落の物語ではなく、自由を追求した物語でもあるという想いが作り手にあったのであれば、正直なところ僕にはそのように映ってはこなかった。確かに、転落の過程で重ねていく“喪失”というものは、有形のものであれ無形のものであれ、守り保持することの強迫からの解放をもたらすことではある。守るべきものに雁字搦めにされる不自由からの解放の代償に引き受けなければならないものは、厳しい孤独なのだが、その孤独のほうは確かに捉えられていたように思う。けれども、僕には知華が他方で自由を得ていたとも追求していたとも、特には印象づけられなかったような気がする。

 そして、転落の物語ではないという想いが作り手にあったのなら、知華の最初の躓きである体操選手としての挫折を、視覚的にもまさに“転落”である競技中の事故という形で描いてはいけないのではないかとも思った。視覚イメージの及ぼす影響は、映画なればこそ絶大だという気がしてならない。

 けれども、僕自身にとっては、むしろまさに転落の物語であったればこそ、知華の“腹の据わり”の浮き彫りと男の虚弱さの対照というものが効いてきたように思うし、また、そのなかで四人の知華がふっと見せる柔らかい表情の醸し出すニュアンスに、味わい深いものを受け止めることができたような気がしている。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2005macinemaindex.html#anchor001214
by ヤマ

'05.11. 6. 岡山オリエント美術館



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