『ベルリン、僕らの革命』をめぐる往復書簡編集採録
チネチッタ高知」:お茶屋さん
ヤマ(管理人)


  2005年10月19日 0:04

(お茶屋さん)
 ところで『ベルリン、僕らの革命』は見る予定?

ヤマ(管理人)
 観た観た、今日(昨日)観てきたところ。じわ〜っと沁みてきたよー。いろんな想いが湧いてきて…。大した作品やね、あれ。 ひっさしぶりにパンフ買うてしもうた(あは)。

(お茶屋さん)
 私もパンフ買いました〜。月曜日に観たけど、観客、全部で3人。とほほ。哀しすぎる。

ヤマ(管理人)
 僕は火曜日に観て、先の回が6人で、僕の観た夜の回が4人。とほほ。哀しすぎる…。今日、Kさんとかに観逃す手はないよと勧めてきたけど、今週限りやからな〜。
 パンフは、まだ反芻中で勿体ないから、全然読んでないけど、日誌綴ったらゆっくり読もうと思いゆう。あれも実に対談のしがいのある映画やと思うけど、…

(お茶屋さん)
 ホンマやねー。

ヤマ(管理人)
 ネットのほうでは話題になっちゅうところに出くわさんかったが、あんまり観られちゃあせんがやろうかねぇ(不思議)。

(お茶屋さん)
 私も感想書くつもりなので、よかったらその後に遣り取りしませう。

ヤマ(管理人)
 おぉ、そいつは楽しみじゃ。


-------お茶屋さんの「かるかん」を受けて-------
2005年10月24日 1:47

ヤマ(管理人)
 かるかん、出たね。ピーターをやったスタイプくんは、ウィレム・デフォーの後継者やね。

(お茶屋さん)
 あー!だれかに似いちゅうと思うたら! そうやねー。

ヤマ(管理人)
 親友に恋人を取られたことがわかってからも、そのせいで絶交するなんて自分の誇りが許さんというところ(拍手)。は、僕も拍手やった。
 それとヤンの最初の自制と止みがたくなってからの悩み方も微笑ましかった。やっぱりタフなんは、女やね(笑)。

(お茶屋さん)
 タフすぎて、腹が立ったで。甘えるのも程々にしいやねえって。

ヤマ(管理人)
 けど、60年代の自由恋愛やコミューンの考え方では、むしろ乗り越えるべきは嫉妬心のほうで、恋愛においても“独占”みたいなのは否定しちょったし、作り手にしても、そういう考え方しちゅうがやろうね。まぁ、お茶屋さんが甘えるのも程々にという“甘え”は、恋愛以前の段階での部屋の明け渡し作業をヤンに手伝ってもらうなかで泣き言やつらさを彼に明かしたことを言いゆうんやろうけどね。

(お茶屋さん)
 ノンノン。違いますーーー。私が腹が立ったのは、ユールとヤンの関係がピーターにばれて、ピーターが出て行くのをユールが追いかけて行って「私を置いていくの?」とかなんとか、まったくもって素直すぎるセリフを発したときです。なぜ、「行かないで」くらいにしておかんかなー。

ヤマ(管理人)
 なるほどー、この差は確かに大きいな(感心)。

(お茶屋さん)
 もしかしたら翻訳のせいかもしれませんが、「私を置いていくの?」って自己中心的な甘ったるい臭いがして「げっ」となりました。

ヤマ(管理人)
 おぅおぅ、女性が女性のこういうところに敏感なのって、何か凄く解るような気がするなぁ(笑)。

(お茶屋さん)
 こんな女が、なぜ、モテるー!私の立場はー!?

ヤマ(管理人)
 だよねー、自負としてこうにだけはなるまいと自らに戒めていることが、他者からすれば、取るに足らないものであるように見過ごされるのは、ちょっとツライとこだよね〜。
 男の側でも、いろいろある話で、女性にとって“女の甘え”がある種のタブーなら、男にとっては“男のだらしなさ”っていう奴がそれに当たるかな(苦笑)。こんな男が、なぜ、モテるー!って(笑)。

(お茶屋さん)
 ほほー、そんなものですか。“男のだらしなさ”が女にカッコよく見えたり、可愛く見えたりするのかな(笑)。

ヤマ(管理人)
 『赤いアモーレ』での掲示板談義じゃないけど(あは)。

(お茶屋さん)
 60年代のフラワーなユートピア構想のことは、ヤマちゃんの日誌を読むまで小指の先ほども頭になかったので、作り手の意図するところなどわかるはずもなく、上記の雄叫びとなった次第(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやいや、むしろそれを踏まえれば、なおのこと、ユールは「置いていくの?」じゃいけなくなるわけだけど、ヤンと違って彼女自体には、そういう60年代志向ってのはなかったろうけどね。

(お茶屋さん)
 ヤンにはあったんですか。そうねー、彼は60年代を意識してたものね。今時、めずらしい若者だ(笑)。マスメディアの広告次第で、今の20代の若者も60年代に目を向けるということはあるかもしれないけど、自力で自分の生まれる前の時代に関心を持つって偉いねー。>ヤン
 62年生まれの私もシラケ世代に入りますか?

ヤマ(管理人)
 70年代に十代を過ごした者は、そうなんじゃないの? お茶屋さんは、18歳で70年代を終えてるけど、まぁ、その世代とも言えるんじゃないのかなぁ(笑)。
 それはともかく、やっぱイチバンの見所はハーデンベルクの人物像やったね。お茶屋さんもこのような人物像にしたからこそって書いちゅうように。
 それと、僕もラストの貼り紙は、お茶屋さんと同じようなものを感じたよ。日誌には直接的には書かざったけど、まぁ、そういう趣旨を踏まえた作り手の設えについては、書いちゅうけどね。ってことで、今度は僕の日誌をば。


-------拙日誌を受けて-------

(お茶屋さん)
 HPより一足先に日誌を、ありがとうございます。  面白かったです。

ヤマ(管理人)
 ありがとう。

(お茶屋さん)
 60年代の世界各地であった反体制運動について、私も感想の中で言及したかったけど、よく知りもしないことはやっぱり書けなくて、ヤマちゃんが書いてくれるだろーと思っていたら、そのとおりだったのでしめしめ(笑)。

ヤマ(管理人)
 あらま(笑)。

(お茶屋さん)
 “組織と個人”については、思わぬ視点でした。これはねー、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』と対になるであろう日誌ですね。とまあ、勝手に思いました(笑)。

ヤマ(管理人)
 『ヒトラー 〜最期の12日間〜』は、僕も観たよ、日誌綴ってないけど。『ベルリン、僕らの革命』のほうを長々と書いてたんで、そっちまで行かざった(苦笑)。
 それで、お茶屋さんに訊いてみたいがは、あのソファーに座っちょったときのハーデンベルクの胸中をどんなふうに受け止めたかということとストックホルム症候群の点について、どう考えるかってとこなんやけど、どやった?

(お茶屋さん)
 ストックホルム症候群というのは、被害者が加害者に必要以上にシンパシーを感じ というヤツですか?

ヤマ(管理人)
 そうそう。

(お茶屋さん)
 シンパシーは感じていたと思いますが、被害者×加害者の関係から来るものではなくて、人生(というか思想)の先輩×後輩という関係から来るものだと思うので、ストックホルム症候群とは違うと思います。思いつきさえしませんでした。(ストックホルム症候群って、ほとんど使ったことがない言葉だから、その概念が頭に定着してないので、思いつきさえしなかったんだろうけど。

ヤマ(管理人)
 症候群というのは、原因が不明のまま症状の共通性で括るもんじゃから、被害者が犯人にシンパシーを覚えている以上、症候群的にはそういうことになるんじゃないかとは思うんやけど、僕も日誌に単なるストックホルム症候群では片づけられないと書いたように、それだけでは済ませれんもんがあって、それは、お茶屋さんの言う人生(というか思想)の先輩×後輩という関係から来るものやろね。途中からは、むしろ見守り視線になっちょって、ストックホルム症候群的“依存”や“同調”とは、別物に感じられたもんね。

(お茶屋さん)
 ソファーに座っていたときのハーデンベルクは、えらい怒った顔をしていましたね。

ヤマ(管理人)
 腕組みをして、むずかしい顔をしちょったねぇ〜。なかなか渋かった(笑)。

(お茶屋さん)
 その胸中を量りかねて、そのままにしていたので、こういう質問をしてもらってよかったですわ。

ヤマ(管理人)
 それはそれは(喜)。

(お茶屋さん)
 自宅に送られる車の中だったかでも怒った表情でしたが、これは告発するべきかどうか考えていたのだと思いました。大人として3人をエデュケートするためには告発するべきだという結論に達したのだと思います。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、帰り着く前に告発は決めていたと、な。そのうえで、借金帳消しの証文を書いて渡したってことね。なるほどね、清算すべきものはキチンと清算って感じやね。うん、ハーデンベルグらしいのかもしれんね。ここまでは、わりと早々と答えが出るろうってことなんやね、お茶屋さんは。

(お茶屋さん)
 家に帰れるということでほっとして、誘拐されたことに対して怒りが湧いたかもしれないけれど、怒りに任せて告発するような人物じゃないでしょう。

ヤマ(管理人)
 そうやね。ハーデンベルグは、そんな奴じゃあないね。もっと腹が据わった感じやも。

(お茶屋さん)
 で、ソファーで何を考えていたかですが、これはもう自分のことでしょうね。

ヤマ(管理人)
 うん、告発のことも含めてこのとき考えよったと思うちゅう僕も、時間的にも内容的にもイチバンよけ考えよったがは、このことやと思うね。

(お茶屋さん)
 大自然を目の前にしたときは、仕事をやめてこういうところに隠遁したいと晴れやかに言ってみたり、今や保守派に投票するなんてと明るく自嘲してみたものが、日が暮れて色合いが変わったのだと思います。重くのしかかってきたというか。そうは簡単にいかんだろうと。

ヤマ(管理人)
 そうやね。

(お茶屋さん)
 ヤマちゃんが言うように答えの見つけられない人生の大難題を看過できない形で自分に突きつけてきた若者たちに対して、夜通し真摯に考えるなかで初めて強い憤りを感じるようになったのではないかというところじゃないでしょうか。若者たちのせいにしてみたところで、結局は自分に憤っているのでしょう。

ヤマ(管理人)
 そうそう、まさにそういうことやろうと思う。生き方を変えてみるかどうかを真剣に考え、やはり変革への思い切りは踏めない自分に憤りつつ、やむなさを哀しみ、そのように哀しむ自分にまた憤るってなことの繰り返しを夜通しやってたんじゃないかね。

(お茶屋さん)
 四十で惑わず、五十にして立つはずが、悶々とするとは、ハーデンベルク、若いですよ。う〜ん、とことん青春映画ですねえ!(笑)

ヤマ(管理人)
 そうそう(笑)。
 そこが作品の魅力で、若さを形作っちゅうキャラのエッセンスが素敵やったね。

(お茶屋さん)
 ちなみに、私の考えでは、車の中で告発を決意→3人と別れて警察に電話→ソファー です。

ヤマ(管理人)
 こうして順番を並べてみると、僕とは随分違うけど、中味的には割と似たようなところじゃったね。

(お茶屋さん)
 どちらかというと心より頭に刺激を与えてくれる作品は、感想を書きやすいですねえ。

ヤマ(管理人)
 この作品は、僕にとっては、頭よりも心情的なところで響いてきた映画やったけど、…。

(お茶屋さん)
 そうでしたか。自分が頭を刺激されたので、みんなそうかと思ってました(失礼)。

ヤマ(管理人)
 けど、僕が共感性を促された背景事情とかを言葉に残すとなると、説明事項がたくさんになってはきたね(苦笑)。書きやすい、書きにくいでは、説明事項的なものをどう並べるかでちょっと頭を悩まされたりして、勢いよく書き進められない分、書きにくい面もあるけどね〜。


-------『ヒトラー 〜最期の12日間〜』について-------

ヤマ(管理人)
 ところで、“組織と個人”という視点からは対になる作品だと言ってた『ヒトラー 〜最期の12日間〜』のことやけど。

(お茶屋さん)
 みんな狂うちょったねー。腐るっていうか。退廃も感じだけど。

ヤマ(管理人)
 ものすご〜く身勝手な奴やったね、ヒトラー。責任感覚ゼロ! ほんっとに自分の欲望のことしか考えてない。あの期に及んで駄々をこねるように「降伏の屈辱だけは繰り返したくない」に終始して、投げ出しで自死へと逃避していった姿には本当に呆れた。

(お茶屋さん)
 う〜ん、なんか常人の感覚とはかなり違っていて、狂人っぽかったです。周りの普通の人が(例えば、あの若き秘書)、そんなヒトラーを敬愛しているのが、不思議と言うか、怖いというか、もしかして自分もヒトラーの周りの人たちみたいになる可能性があるの????うっそん。
 ゲッペルス夫妻は、もとはあの秘書くらいの普通の人間だったのでしょうか。あんなにヒトラー化しちゃって、怖かったですね。

ヤマ(管理人)
 あれなら、東條の自殺未遂のほうが数段納得できる。
 そもそも、ああいうアンリライアブルなパーソナリティがきちんとカリスマ性を獲得できちゃう現実というのがなんちゅうか、とほほな人間世界だよね〜。

(お茶屋さん)
 おお、「とほほ」というくらいなら、ヤマちゃんは、あの周囲の人たちみたいにはならないですね。私は、やっぱり、気をつけようと思いました。そのためには、生存本能を常に意識しようと。

ヤマ(管理人)
 なんかパーソナリティ的には、ものすごく僕の小泉イメージと被ってて、ドイツ映画なのになぁと、なんか複雑な心境だったよ(とほほ)。

(お茶屋さん)
 純ちゃんの大衆扇動政治は、大成功ですね。大衆っていつの世も扇動されやすいってことですか。
 ヒトラーと小泉は被ってると思っている人は、ヤマちゃんだけじゃないみたいよ。> http://nokoizumi.exblog.jp/
 ヒトラーが死んでも、なかなか目が覚めんところが怖かったねー。

ヤマ(管理人)
 物理だけじゃないのよね、慣性の法則って…。

(お茶屋さん)
 ははは!(大受)  生存本能を破壊されちゅうもん。

ヤマ(管理人)
 そうやねぇ、日本に嘗ていた会社人間が、社の不祥事を一身に背負って自殺するなんてことも昔はあったけど、あれも生存本能壊されちょったよね。近頃、とんと聞かんなったけどね。

(お茶屋さん)
 まともな人は、生存本能に忠実や。あんなに集団で病気になった場合、どうしたら治せるのでありましょう?

ヤマ(管理人)
 病気と一緒で、治療より予防!(笑)  どうやって治すかっていうのは、もうメチャメチャむずかしいから、病気にならないように何とかしたいものなんだけど、それも大きな流れのなかでは難儀なことだよね。

(お茶屋さん)
 そうですねぇ。インターネットというコミュニケーション・ツールでなんとかならんものかと思うのですが。

ヤマ(管理人)
 僕にしても、身を以て予防活動に従事するまではできないものだから、映画日誌のなかで従前とはスタイルを変えて、時事的に敢えて明言することを心掛けるようにはなったんだけど、何だかそれも自己証明的なことにすぎない気もしてね。でも、一応ネットで公開しているから、多少は触発を与えているようなところもあるらしく、ときどきそういったコメントをもらったりもするのが嬉しいね。

(お茶屋さん)
 おお、それはネットを生かしておられますな(^_^)。

ヤマ(管理人)
 僕が印象深かったのは、何と言っても、ゲッベルス夫人だったなぁ。彼女が一番の心酔者だったよね。そのなかでのゲッベルスの姿というのがまた何とも情けなくて(苦笑)。きっと元々妻をヒトラー心酔者に促していったのは、ゲッベルス自身だったろうね。そこには、野心もきっとあったはずで。
 僕は、かねてより、ヒトラーのカリスマ性というのは、彼自身の才覚というよりもゲッペルス宣伝相の造形による功績のほうが大きいと思っていたから、彼の仕事の出来高の過剰さが、彼自身を含め、ドイツに惨状をもたらしていたことの様子が、ヒトラーとゲッベルス夫妻の三角関係のなかに端的に映し出されているように見えてとても興味深かったよ。
 そうそう。この作品、たぬさんの書いている感想がとても面白くて、僕は大いに賛同してたんだけど、お茶屋さんは読んだかい?

(お茶屋さん)
 今、読みました。
 初めのほうを読んだだけで、たぬさんが、ヒトラーと小泉を被らせているというのと、殺される側に立っているのがわかりました。だから、米百俵の話で町人側に立つのは当然という感じですね。今の世の中は、町人が藩士の意識を持っているというのは同感です。たぬさん、うまいことおっしゃりますな〜! どうして痛い目にあわされている者が、痛い目にあわせている者に同調するのかね〜。生存本能、どうにかなってますね〜。
 痛みを伴う改革なら、しないで現状維持の方がましだったし、改革のためには痛みを伴うって、欲しがりません勝つまではと同じじゃんと思うのですが。ヒトラー小泉つながりで、思わぬ方向へ話が言ってしまいました(笑)。
 ところで、文学館ホールでのドイツ映画特集、ものすごく残念なのですが、パスします。見ましたか?

ヤマ(管理人)
 ふたつ観たよ。今晩の更新で、アップする予定(よろしく)。
by ヤマ(編集採録)


      



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―