『スーパーサイズ・ミー』(Super Size Me)
監督 モーガン・スパーロック


 標的への焦点の絞り込みの明解さ、滅法シリアスな問題に対して皮肉なまでにユーモラスに立ち向かう姿勢、突撃取材でこそないものの捨て身と言えるまでの現場主義と実証主義、そして巧みな編集とアニメーションの効果的な使用、さらにはノリのいい音楽。このドキュメンタリー映画に特徴的なこれらの要素は、いずれもボウリング・フォー・コロンバイン』('02)で強烈に印象づけられたものだったが、今やドキュメンタリー映画のひとつのスタンダード・スタイルになっているのかもしれない。

 それくらい、かの作品を想起させつつも、大きく異なっていたのは、メディア・リテラシーへの自覚と覚醒を促す部分が前面には出てきていないところだった。即ち『ボウリング・フォー・コロンバイン』の拙日誌で、その先駆作として言及したマニファクチャリング・コンセント-ノーム・チョムスキーとメディア-』('92)とも通底して印象深かった「それ自身のなかで“マニュファクチャリング”を実践することで、情報処理の持つコワサというものも同時に感じさせる作品」という部分だ。

 だからこそ、この作品は『ボウリング・フォー・コロンバイン』よりも遙かに素直に観られるし、自ら人体実験に挑んだスパーロック監督の身に起こったことが誰の身にも起こる事実として観る側が受け取らずにはいられないように出来上がっている。だが、実際は個体例としては彼自身による1例でしかない。そして、他方の1例として、スパーロック監督以上に長らく食べ続けていることを誇るマクド・ファンで肥満も健康被害も生じていない白人男性をきちんと紹介していたにも関わらず、観る側に強烈に印象づけられるのは、ファストフード食の凄まじいまでの健康破壊ぶりなのだ。

 そこで感心したのが、作り手が一度もファストフード食を危険だとか、肥満の原因となるだとかいう一般化した主張も攻撃も直接はしていなかったことだ。自分が食べ続けたらこうなったと見せ、語るのみで、マクドナルド店に並ぶ太った客の肥満の原因が何にあるかは一切口にしない。そうしておいて、自分たちの肥満の原因はマクドナルド社にあると提訴した二人の十代女性がいたことを繰り返し語り、アメリカには肥満者がたくさんいて社会問題にもなっているとして、溢れんばかりの肥満者たちの姿を画面に映し出すとともに、ファストフード店がいかにたくさんあるのかを視覚的に強烈に映し出すわけだ。映し出されたマクドナルドに居並ぶ客には太った者もそうでない者もいるのだが、太った客の肥満の原因が何であるかには全く言及しないままだったように思う。それどころか、マクド好きだと、嬉しそうにはしゃいでいるのがカメラを意識しているからだと見受けられるスポーツマン風の若い黒人男性の二人組を、むしろ目立つように編集していたりもした。

 それでも、ファストフード食による凄まじいまでの健康被害が些かも紛れのないものとして強く印象づけられるのは、わずか二週間あまりでスパーロックの身体に起こった変化の強烈さが想像以上のものだったからだろう。誰もがそこまで極端な形での食生活による人体実験をしたことがなかったからだとはいえ、幾人もの医師の予想を遙かに超える事態が発生し、20日目を過ぎた辺りではスパーロック本人に続けることへの不安と怯えが生じていて、そのことが生々しく映像に捉えられているところが衝撃的だった。高脂高糖の高カロリー食を過食気味に偏食的に続ければ、それがファストフードであろうとなかろうと通常の人の肉体は壊れてくるものなのだろうが、それにしても、たかだか20日程度で、しかも身近な食品と飲料によって、アルコール漬けでボロボロにやられた肝臓との類似性が出てくることに、医師さえもが衝撃を受けていたのが強烈だった。

 また、人間の持つ習慣性に伴う体質ともいうべき中毒性について、興味深い指摘があったことも印象深い。被験者たるスパーロックがファストフード食を続けるなかで、依存を促す中毒症状が現われてくると証言していたのが生々しかった。酒やファストフードに限らず、何でもそうなんだろうなと思う。人間というものがそうした生き物なのであって、ひとつには適者生存的な順応力と密接に関わっているようにも思うのだが、人間が単一の物事を積極的に繰り返し摂取し続けるうえでは、ある種の中毒性を抜きにはできない面があるような気がしてならない。仕事中毒の会社依存などということも、過酷なまでの偏食状況というか単一性により引き出されているように思えて仕方がない。それが心身における健康被害を生じさせた場合に、中毒とか依存症といった観方をされるわけだけれども、熱中と中毒・情熱と依存の分かれ目というのは、その適量範囲に個人差もあり、なかなか一般化できないことだという気もする。

 それにしても、高脂高糖に偏った食生活を続けていると中毒化して肥満するばかりか、苛立ちや倦怠感に見舞われやすくなり、精力減退や勃起不全さえ引き起こす状況に至っているのには驚いた。恋人が心配しながらその変化を語る生々しい証言が効果的で、観客への訴求力を大いに高めていたように思う。彼の劇的なまでの変化については、オーガニック・ヴェジタリアンである恋人の影響もあってか通常以上に健康的な食生活を営んでいた分、逆に耐性が乏しくて激変した食生活の影響がストレートに現れたという面もあるのだろうが、映画を観ている側に“恐ろしさ”という感情を誘発するのに、十分以上のものがあったような気がする。

 そのうえで、ファストフード業界のリーディング・カンパニーであるマクドナルド社が、顧客市場の開拓戦略として、子供への刷り込みキャンペーンを徹底して行っていることが具体的に映し出されるから、なおさら強烈だ。この作品を観た後では、同社のイメージ・キャラクターである“ドナルド”が、まるでバットマンの世界の悪役キャラのようにしか見えなくなってくる。そして、2004年のサンダンス映画祭での本作上映後、マクドナルド社がメニューから“スーパーサイズ”を廃止したと聞くと、『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、Kマートから弾薬の店頭販売を撤去させるに至った話を思い出さずにはいられない。確かにそれだけのインパクトを備えた作品だったと思う。




推薦テクスト: 「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/supersizeme.htm
by ヤマ

'05. 5.16. 県民文化ホール・グリーン



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>