『Ray/レイ』をめぐる往復書簡編集採録
映画通信」:ケイケイさん
ヤマ(管理人)


ヤマ(管理人)
 ケイケイさん、こんにちは。

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんばんわ。

ヤマ(管理人)
 先日『レイ』を観てきたんですが、なんとなく日誌を綴ることに気が向かず、さりとて放って置くのもチトもったいなく(笑)、久しぶりにケイケイさんに対話してもらおうかとこうしてメールをしたためております。掲示板には長すぎですし(笑)。

(ケイケイさん)
 お相手に選んでいただいて嬉しいです(^^)。喜んで。

ヤマ(管理人)
 選ぶやなんておこがましい(苦笑)。映画日記拝読して触発されちゃいました。ありがとうございます。
 なんで僕が日誌を綴ることに気が向かなかったのかを思うと、僕の最も面白かった部分が彼の楽曲誕生にまつわるシーンの昂揚感と興味深さで、自分の持ち合わせる語彙語感で言葉にするのに向いてない気がしているからかもしれません(笑)。
 ケイケイさんがお書きになったものを読んで、そこのところをさらっと上手く綴っておいでだな~と思いましたよ。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。あの部分抜きでは絶対語れない作品ですよね。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。
 ノリとかひらめき、セッションの呼吸みたいなのをうまく捉えていて、おぉ~ってな感じで、ええやんと浮き立ったんですが、「おぉ~」とか「ええやん」って気分を拙日誌には言語化できそうにない(苦笑)。どうしてもニュアンスに大きな隔たりが生じそうですもんね(笑)。

(ケイケイさん)
 即興でヒット曲を作ってしまう天賦に恵まれた部分や、痴話げんかまで歌にしてしまうしたたかさ、反面演歌的な地道なプロモーションや仕掛けなど、あの手この手も面白く観られました。

ヤマ(管理人)
 それとね、僕が初期のロビンソン時代のレイ(ジェイミー・フォックス)に感じたのは、ナット・キング・コールの二番煎じやと言われても、破格に上手やってことで世に出たいし、出られる自負を持っていたことと同時に、それはあくまで「盲者であることで引けを取ったりしない」という自負と意志に留まっていたってことなんですよね。
 のちの“盲者であるなしを越えた音楽の巨人”となる前の段階では、オリジナル・スタイルへの模索や野心など持ってはなくて、むしろ上手にやってみせる持ち味を捨てることへの恐れのほうが強かったように見えました。その壁を越えさせ、彼の真の才能を引き出したのがアーメット(カーティス・アームストロング)とデラ・ビー(ケリー・ワシントン)だったように思います。レイ・チャールズほどの才能と強さとしたたかさを備えていても、そういう人の存在を得なければ、その才能は開花していかないわけで、人にとって出会いと人の存在というものの大きさを改めて感じますね。
 この、若いときは「目明きに負けない」っていう次元でしかなかったことをきちんと窺わせ、しかして次第に妻に「私よりも子供よりも、ヤクよりも他の女と寝るよりも、あなたには大切なものがあるでしょう? ヤクのためにそれを捨ててもいいの? 」と言わせるほどに、音楽そのものに深く分け入って行った姿が描かれていたところがよかったように思いますね。
 音楽の他にも語る材料に溢れた豊かな作品でしたが、彼が深く分け入って行った“音楽自体の魅力”を抜きにはできない映画でしたから、ちゃんと最後に改めてお書きになってましたね。ジェイミー・フォックスの演技が本当に素晴らしかったです。

(ケイケイさん)
 最後に書こうと思ってたんです(笑)。一番良かった部分ですから。
 作品としては、多少深みに欠けていたと思うんです。綺麗にまとまりすぎ。ヤク中からの復活が全然描いてなかったし、あれだけ長期間ヘロインを使用していて、後遺症に触れていなかったのも変ですよね。

ヤマ(管理人)
 ちょっと綺麗にまとめすぎっていうのは、ほんと、僕もそう思いました(笑)。
 いろいろな修羅場を観客に想起させるにたるだけの描写は施しながらも、そこは投げかけるだけで、巧妙に深入りを避けてましたね(笑)。

(ケイケイさん)
 子供も12人って、あれから妻一筋やったんやろか? とか、エンドロール前は謎がいっぱいでした(笑)。

ヤマ(管理人)
 疑問形どころか、僕なんぞ、その数の多さに驚き、ヤク断ちした分、タチついでに今度はそっちばっか立ててたのね、と笑っちゃったんですけど(笑)。
 まぁ成功して扶養力があるから、悲惨なことにはなってないでしょうし、デラ・ビーにしても、ヤクも女もって望んだらレイがレイでなくなるという諦めというか達観は、備えざるを得なかったんでしょうね。で、レイはそこのところに乗じることを自制できなかったでしょう。まぁ、それをも含めて力量っちゃあ力量ですよ、納得させてれば(笑)。
 ところで、僕は、パンフも買っていないので、不確かなんですけど、エンドロールを眺めていたら、1曲だけ perfomred Jamie Foxx とクレジットされたものが流れたように思いましたが、それがどの歌なのか全然気づかずに観てました。

(ケイケイさん)
 え? そんなん書いてました?

ヤマ(管理人)
 ええ、ありましたよ、確か。曲名が既に天幕のほうに流れてる時点で気づいたんで、なんていう曲かわからないんですが(笑)。

(ケイケイさん)
 私が観たときは結構満員だったんですけど、エンドロールが終わるまで、誰も外に出ませんでしたね。そら聞いて帰らなもったいないもん(笑)。

ヤマ(管理人)
 最後の歌は、「僕の心に鎖を掛けないで」でしたねー。僕は、特にレイ・チャールズのファンというわけではないのですが、さすがに我々の歳になると、あれもこれもってな具合に聞き覚えのある曲が出てき、また、その歌と演奏が実に画面とドラマにマッチしてて、本当に2時間半もの長尺ものだったのかと思うほどに一気に観せられました。

(ケイケイさん)
 そうそう! ちょっとまどるっこしくなると曲が流れてチャラにされました(笑)。

ヤマ(管理人)
 うまいんよね、その呼吸が(笑)。

(ケイケイさん)
 タイトルまで名前が出なくても、聞き覚えのある曲ばっかりでしたもんね。音楽物はこれは重要なポイントかも。うちの掲示板のLYONさん@18歳が、『五線譜のラブレター』を玉砕したって言うのは、コール・ポーターの書いた曲を知らないっていうのが最大の理由かなと思うんです。

ヤマ(管理人)
 まぁ、十八歳じゃ知らないのが当たり前ですよね(笑)。これは、こちらでは上映されてませんが、観ると聞き覚えのある曲がたくさん出てくるんでしょうね。

(ケイケイさん)
 「ジョージア・オン・マイ・マインド」は、グラディス・ナイトも良かったなぁとか、テレビで「アンチェイン・マイハート」を歌った和田アキ子はカッコよかったとか思った時ハッとしたんですよ。レイ自身が歌うのももちろんいいんですが、他人が歌っても同じくらい味わいがあるって、スタンダードになるポイントですよね。

ヤマ(管理人)
 間違いなくそうですね。

(ケイケイさん)
 ほら、「卒業写真」はユーミンでもハイファイセットでもいいでしょう? いてそうで、これがなかなかいないですよね。


-------巧みに造形された人物像の魅力-------

ヤマ(管理人)
 登場人物としては、何と言っても一に母アレサ、二に妻デラ・ビー、

(ケイケイさん)
 アレサ(シャロン・ウォーレン)が最初出てきた時、姉かと思ったんです。すごく若く見えました。こんなに若くてシングルマザーなんてと、一気に感情移入してしまいました。アレサ役の彼女、これが映画初出演みたいですよ。力強い目の奥に哀しさがあったなぁ。デラ・ビーはけなげな良妻の部分が上手く描けていたと思います。

ヤマ(管理人)
 ですねー。
 ともにちょっと美化されてましたけどね(笑)。それが上手くできてましたよ。そして、二人のほかには、いつも「はい、ボス」と言って側にいたジェフ(クリフトン・パウエル)と上でも触れたトルコ移民のアトランティスレコードのプロデューサー、アーメットが僕の印象には強く残っています。

(ケイケイさん)
 アーメット良かったですね!
 商才に長けているけど小賢しくなく、総身に知恵が回る小男でした(笑)。

ヤマ(管理人)
 人種差別的なところでの苦労と必要なしたたかさへの共有度を含め、レイをよく理解している人物でしたね。
 レイと麻薬ということでは、あの映画ではレイ・ロビンソンという名前の時代から手にしていたヘロインについて、盲者であっても何事も他の黒人に引けを取りたくはない彼の気概が裏目に出てジャンキーへの道を開いたような描かれ方がされていたように感じました。

(ケイケイさん)
 私も仲間入りするための手段と感じました。

ヤマ(管理人)
 彼の音楽性の開拓へのプラス・マイナスがどうだったのかは、それに手を出さないレイの人生の再現の余地がなくて検証不能なわけですが、どうなんでしょうね。
 ケイケイさんがレイ存命中に撮られた作品のためか、ぎりぎり見せられる限界まで見せましたと言う感じとお書きの影の部分として挙げておいでの部分やそれに対してもう少し掘り下げて欲しかったかと思いましたとお書きになっていることについては全く同感で、彼がヘロインに手を出す際の描き方にも、そういった配慮が強く働いていたような気がしています。それに実際、そういう側面もあったろうとは思いますしね。

(ケイケイさん)
 全く同感です。虚実ない交ぜと言うのではなく、本当の部分も入っているという感じでした。
 綺麗すぎるけど、許容範囲でした。

ヤマ(管理人)
 そういう意味でも、アカデミーの舞台には据わりがいいですよね。 また、ハチドリのエピソードの出てくるデラ・ビーとの出会いの場面は、とても素敵で、明るく透明感のある画面と色調が気持ちよく…、

(ケイケイさん)
 全体的には、美しい画面があまりなかった作品ですけど、妻との場面は美しいのが多かったですね。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。

(ケイケイさん)
 これもレイの意向でしょうか? 糟糠の妻への贖罪か?(笑)

ヤマ(管理人)
 彼の意向と言うよりも、作り手が汲んでるんじゃないでしょうかね(笑)。レイに代わって(笑)。
 彼女がミューズとなって聖歌たるゴスペルをソウルへと仕立てあげ、ゴスペルには馴染まない俗性ゆえにストレートな真情に溢れた歌を生み出し、シンガーとして音楽を解する彼女の指摘したオリジナリティを獲得する場面には、とても感激しましたよ。
 レイ自身もその感激を終生忘れることがなかったからこそ、あまたの愛人を得て、それを音楽づくりのモチーフとしながらも、妻デラ・ビーがいつまでも別格だったのだろうと思います。

(ケイケイさん)
 でもねぇ、私はレイがライブのため旅から旅だったんで、上手く行った夫婦じゃなかったかと。

ヤマ(管理人)
 それはそうかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 離れている間、妻は寂しさと美化する部分の葛藤があったと思うんですよ。

ヤマ(管理人)
 このへんに深く立ち入ってないのが許容範囲ながら、綺麗すぎってことですね(笑)

(ケイケイさん)
 レイは家庭の愛情を知らないでしょう? そういう人っていつも愛情いっぱいの場所だと、居心地が悪く感じると思うんです。

ヤマ(管理人)
 慣れてないものだから身の処し方を学習してないんですよね。

(ケイケイさん)
 暖かい家庭を切望しているはずなのに、何故だかそういう人が多いです。

ヤマ(管理人)
 レイが家庭を守り維持することに強い執着を持っていたのは、母子を捨てていった父親とは違うことの証として自分に必要だったからで、必ずしもデラ・ビーへの愛情ばかりではないでしょうね。そして、折々に父親と大して変わらない有様の自分への大いなる屈託を負っていたように思えましたね。だからこそ、形と結果において父親とは異なる“家族の維持”に強い執着を示すのでしょう。
 でも、そのために家庭の外でのライフ・スタイルを変えることは出来ないんですよね。それをすると、自分そのものが変わり、自分の音楽もダメになっていく気がして。しかも、それは真情でもあるだけに、口実にもなるわけですよね。

(ケイケイさん)
 一方、愛人は肉欲中心ですから(笑)。

ヤマ(管理人)
 家族として維持し守るものがありませんからねー(笑)。映画では、たまたまミュージシャンでもある愛人だけがクローズアップされてましたが、手首を確かめていたのは、歌手だけじゃありませんでしたよね(笑)。このへんも映画は偲ばせつつ、巧妙に避けてましたね(笑)。
 そして、愛人は無論のこと、妻以上に別格だったのは、言うまでもなく母アレサで、ケイケイさんも言及しておいでの「お義母さんに(あなたを)見て欲しかった」との台詞には、レイが亡き母を尊敬し、きちんとした形で妻に伝えていたことのほどが偲ばれる造形になっていました。

(ケイケイさん)
 やっぱり苦労した母を描かれると、作り手の思惑にまんまとはまりますよね(笑)。
 あのお母さんは人間としての誇りと同時に、金銭的な成功も息子に求めていたけど、自分が楽になりたいというのではなく、盲目の黒人という二重の苦労を背負った息子には、お金が助けになってくれると思ったんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 それは間違いなくあると思いますよ。貧困による苦労は知り抜いているでしょうし。

(ケイケイさん)
 その辺が伝わってくるので、このお母さんは厳しさの中に凛とした感じもありました。

ヤマ(管理人)
 同感ですね。あのお母さんは本当に本当に偉大な母でしたよ。
 デラ・ビーの台詞ともども作り手の造形としての理想化が施されているのでしょうが、レイ・チャールズの桁外れに大きかった人生の器という事実があるので、それが果たされるに至るだけの基盤に相応しい偉大さとして、映画を観ていても何の違和感もなく、とても感動的でした。

(ケイケイさん)
 この辺は素直に観られましたよね。これだけ知られた人を描くのは難しかったと思いますが、大成功の部類だったと思いませんか?

ヤマ(管理人)
 はい。とても解りやすいですし、楽しめますし、いい作品だと思います。
 ケイケイさんのお書きになっていることで目を惹いたのは最初ローカルなバーから始まり、やがて全国を回るバンドの一員のなってまでは、彼を取り巻き甘い汁を吸ったり、浮いた扱いをしていたのが全て黒人だったのが、どんどんレイが実力をつけ黒人社会からはみ出す勢いになると、白人が手を差し伸べます。ビジネスとして成功が見込めれば、肌の色に関係なく条件提示する白人社会。根強い差別があった時代でも、お金になる才能には、平等であったのだなと思いました。という箇所でした。観方によっては、白人の作った作品だからという穿ち方もできますが、アメリカ社会のプラグマティズムには、確かにこういう面がありますよね。

(ケイケイさん)
 あっ、ヤマさんの御指摘で初めてそうかと思いました(笑)。
 うん、確かに白人の作った作品だからという側面はありますよね。冒頭のレイの戦場で目をやられたという嘘にコロッとバスの運転手が騙される場面とか、あれなんか善良さも強調していたように思います。

ヤマ(管理人)
 同時に、レイのクレバーなしたたかさもズバリ描き出してましたからねー。うまいエピソードです。
 そんななかで、ケイケイさんが先ずは「浮いた扱いをしていたのが全て黒人で、根強い差別があった時代でも、お金になる才能には、平等であった」のが白人というように御覧になるところに感心しつつ、改めて気づかされたように思いました。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。観ていて面白かったんですよ。これがアメリカに夢を求めて人が集まる理由かと、なんか納得しました。

ヤマ(管理人)
 相応の理由(それが大いに独善的ですが)を認めるとその理由に対してフェアに振る舞おうとしますよね。その一方で、差別の問題に限らず、得てして足の引っ張り合いをしたり、妬みやそねみ、つけ込みや疎外によって直接的で判りやすいダメージを与えてくる者は、概ね内側のほうに多く存在するものですよね、アメリカ社会に限らず。

(ケイケイさん)
 そうなんですよね。在日も一枚岩じゃないのでその辺はよくわかります(笑)。

ヤマ(管理人)
 ところで、ケイケイさんの映画日記で最も僕の好きな箇所は、やはりしかし、私がそう思うと必ずフラッシュバックで、幼いレイと母アレサが出てきます。母の厳しく哀しく寂しい顔は、レイの背負ったもの全てを表しているようで、私の胸を締め付けます。盲目であっても黒人であっても、希望を忘れず必ず貧しさから抜け出すよう、幼いレイを叱咤激励した母。ヤクと縁の切れないレイに、「私よりも子供よりも、ヤクよりも他の女と寝るよりも、あなたには大切なものがあるでしょう? ヤクのためにそれを捨ててもいいの?」と詰め寄る妻デラ・ビーが、母アレサに重なりました。夫には自分より大切な物があると認めるのは、妻としてとても辛いことです。平凡な人にとっては、家庭であればこそ唯一無二の存在ですが、レイのように大衆に愛された人は、社会でも唯一無二の存在です。彼に音楽家としての人生をまっとうさせようとした妻の心は、盲目のレイが転んで泣き叫んでも、彼が自力で起きるまで、自分も身を切られるような辛さで耐えた母と同じです。とお書きのところでした。

(ケイケイさん)
 お褒めいただいて嬉しいです。
 本当にちょっと浅いなぁと思うと、絶妙に母が出てくる(笑)。

ヤマ(管理人)
 岸壁に立っているわけじゃないんですけどね(笑)。確かに実に絶妙でしたよね。

(ケイケイさん)
 私がホロホロ泣いたのも、書いた箇所なんです。こういうところは、立場上一を描けば十わかるもんで。お母さん役の人、何かで助演女優賞あげても良かったですよね。

ヤマ(管理人)
 ええ。彼女と歌がなければ、いかなジェイミーの熱演があっても、この作品がアカデミーの選考に上がってくることはなかったでしょうからね(笑)。あの妻の存在感と説得力によるインパクトがあればこそ、長年どうしても止めることができずにいた麻薬を断つことができたんだろうと思いますね。
 デラ・ビーがレイと出会った頃と同じように、真っ直ぐに正しいことを言ってくれる女性であり続けることのできた希有な女性だったことが、鮮やかに描かれてましたよ。

(ケイケイさん)
 レイに「贅沢な暮らしが捨てられるのか?」と言われますが、彼女がそれを望んだりしがみついたりする描写はなかったですね。その辺も、母が生きていたらきっとそうだったろうと、共通点が窺えます。

ヤマ(管理人)
 映画では明らかにそういうふうに造形してましたもの。本当に、おっしゃるようにレイを生涯で一番愛した二人の女性の、時間を越えた絆の感じられる作品でした。

(ケイケイさん)
 書くほどでもないと仰りながら、なかなか気に入ってはるじゃないですか(笑)。

ヤマ(管理人)
 このへんがなかなかビミョーでして、ね(笑)。だから、自己完結型の日誌よりも対話のほうがって感じです。自力で反芻するほどのエネルギーは与えてくれない作品なんですが、観っぱなしにするのもチトもったいないって感じで(笑)。

(ケイケイさん)
 出来不出来より、穴があったりでも、好きな作品てありますよね。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ(笑)。でも、どこか上手くやられた感じも残って(笑)。

(ケイケイさん)
 これもそういう作品かな? 今日観た『ニワトリはハダシだ!』も『半落ち』並に、肝心要が破綻してるように感じたんですが、小さいこと言うなと監督から言われた感じがします(笑)。

ヤマ(管理人)
 『半落ち』の往復書簡編集採録は楽しんでいただけたようで、嬉しく掲示板レスを読みました(礼)。

(ケイケイさん)
 『ニワトリはハダシだ!』は良かったなぁ。私は大好きですよ。どうか高知でも観られますように。

ヤマ(管理人)
 肝心要が小さいことなのか~(笑)、このへん興味津々で、ぜひ観てみたいと思っていますが、森崎作品って高知ではほとんど公開されてませんからねー(とほ)。
by ヤマ(編集採録)

'05. 2.20. TOHOシネマズ3
      



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