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『深呼吸の必要』 『天国の本屋〜恋火』 | |||||
監督 篠原哲雄 | |||||
同じ監督の新作が続けざまに公開されるのは、往年の黄金期ならいざ知らず、近年では極めて稀なことではなかろうか。今回、『深呼吸の必要』を観て思わず想起したのは、もう十年も前に神戸国際インディペンデント映画祭で観た篠原監督の『草の上の仕事』だったが、緑色の鮮やかさは『草の上の仕事』のほうが上回っていたように思う。それでも、『深呼吸の必要』の何の変哲もない予定調和とも言えなくもないような物語が、しみじみとした味わいとともに爽やかさを残してくれていたのは間違いない。沖縄というトポスの持っている力というものを改めて印象づけられたようにも思った。いかにもな登場人物たちが集い、きび刈り隊での労働体験を通じて、いかにもな物語的展開を辿っていくのだが、なんだかすこぶる気持ちがいい。長田弘の詩集から取った『深呼吸の必要』というタイトルが、今の日本の息苦しく殺伐とした世情を言わば空気として感じていると、思い掛けなく心に響いてくる感じがあるからかもしれないが、清澄な空気と陽射しの下での単純肉体労働に勤しむことで浄化されていく血の巡りのようなものが、人間という動物にとっては本来的に必要なものではないかという気がしてくる。それだけの力が画面に宿っていたように感じる。 『愛を乞うひと』のラストシーンでのサトウキビ畑の作業姿も印象深かったが、ため息やアクビ以外には滅多に大きな呼吸をすることもなくなっている僕らの日常生活を振り返えさせるようなところがあるのが、この作品の値打ちなのだろう。おじいの「また最初からやり直せばいい」との意の台詞が何度か出てくるのだが、リセットはきかないけど、やり直しのきくのが人生だとのメッセージは、近頃流行りのスローイズムによらずとも、人の生の古くて新しい真実なのだろう。 非常にシンプルな構成と場のなかで、人の顔・表情の魅力が活かされた作品だった。そして、対価の高さとも能力の開発や自己実現とも縁遠い労働であることが、意欲の触発とは無縁である姿をまざまざと示されることで、人間にとっての働くことの喜びというものが何に起因するものなのかを改めて考えさせるところのある作品でもあった。 『天国の本屋〜恋火』は、百歳での転生までの天国での余生を、天国の本屋での朗読に触れながら過ごすのが、人に等しく与えられた生の有り様だとしているファンタジックな設えのなかで、現世での宿題を想いと人の縁の深さによって、奇跡の物語として紡がせる美しいドラマだった。現実感から少し遠離った色合いと出で立ちの見慣れなさを眼前にしてくれる天国の景色や事物が、一目瞭然に現世との場面的な違いを示しつつ、懐かしく落ち着いた安らかさを感じさせてくれるイメージ造形の巧さに感心した。だが、もっと感心したのは、ファンタジー色の強い物語のなかで奇妙なまでのリアリティを湛えていた、若い香夏子(竹内結子)が雨の夜、亡き叔母の恋人瀧本(香川照之)を一人で訪ね、再び花火師に戻らせようとする場面だった。 思い出深い翔子(竹内結子・二役)の遺品の浴衣を着て現れた香夏子に寝込みを襲われ、強く迫られた瀧本が「やっていい事と悪い事があるだろうが」と憤りを示し、耳が聞こえなくなったのは花火の事故のせいだと責め、花火師を辞めて責任をとれと言ったのが翔子本人だったことを香夏子に告げる。自責の念からの自発的な逃げだけが彼に花火師を辞めさせていたわけではなかったということだ。それを思うと確かに、翔子が化けて出たような脅し方というのは相当にタチが悪い。しかも、そのような事情もわきまえずに乗り込むなどというのは若気の至り的な暴走力がないとむずかしい面がある。だが、結果的にはこの暴走が功を奏するわけだ。翔子と瀧本のすれ違いを香夏子の思い込みによる暴走が図らずも繋いだことになっていた。 香夏子にしてみれば、病床で彼の上がらぬ花火を窓辺に求め、嘆息していた叔母の姿を幼いときに目撃していたのだから、恋火と名付けられた和火を瀧本に打ち上げてもらうのは叔母の心からの願いだとの思いがあり、それが叶えられなかったからこそ、叔母の組曲が完成していないのだと信じていたことだろう。それは確かにそのとおりだったのだが、翔子が瀧本の告げたような言葉でなじったのも、きっと事実なのだ。そして、その撤回を果たす機会を得ることなく天国に来てしまったからこそ、翔子は天国でもピアノが弾けなくなっているのだろう。翔子からピアノを奪ったことで瀧本が花火に触れられなくなっていることと瀧本から花火を奪ったことで翔子がピアノに触れられなくなっていることが膠着状態にコンクリートされていたわけだ。そして、地上側でそれを打破させることになったのが香夏子であり、天国側では健太(玉山鉄二)だった。 幼い頃にピアニストとしての翔子に憧れた健太が、天国側で彼女の未完成の組曲を完成させようとすることで音楽家として育ててもらいつつ、翔子の元に再びピアノを手繰り寄せる。そして、健太との共同作業で完成させた翔子の組曲の10曲目「永遠」が天上でのピアノの響きとなったことが、瀧本に再び花火を手にさせていたような気がする。つまり、健太と香夏子の双方の働き掛けがなければ叶わなかったことで、大いに偶発的なものだったように感じる。だが、それゆえにこそ運命的だというしかないわけだ。このあたりの人の生に偲ばれる感覚というものに確かな手応えが宿っていたような気がする。二人ともが翔子と瀧本の膠着状態を打破するためにというのではなく、それぞれの私的欲求から働きかけたことが結果的にそのように結実している形になっているのがよく、天国と地上とで図らずも連繋プレイを組んだ縁の二人が地上で一緒に、瀧本の打ち上げた十五年ぶりの恋火を仰ぎ見てカップルとなっていくであろう結末が、お定まりとは言え、納得感を与えてくれていたように思う。 *深呼吸の必要 推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2004sicinemaindex.html#anchor001108 *天国の本屋〜恋火 推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2004tecinemaindex.html#anchor001113 | |||||
by ヤマ '04. 6. 7. 松竹ピカデリー3 '04. 6.19. 松竹ピカデリー3 | |||||
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