美術館春の定期上映会“世界を旅する”より、Cプログラム

①『WATARIDORI』
 (Le Peuple Migrateur) ['01]
監督 ジャック・ペラン
②『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』
 (Impressionen Unter Wasser) ['02]
監督 レニ・リーフェンシュタール
③『アフリカへの想い』
 (Leni Riefenstahl-Ihr Traum Von Afrika) ['00]
監督 レイ・ミュラー
 全部で十作品上映されたなかで三作品しか観るに至らなかったが、『WATARIDORI』はかねてより観たかった作品だったので、機会が得られて嬉しかった。“飛翔”という言葉のイメージを豊かに見事に映像化した作品で、世界の各地を飛び渡る鳥の姿の美しさと豊富さに感心しつつ堪能した。加えて、地球にはさまざまな自然環境が雄大に息づいていることも改めて眼前にしてくれる。それとともに、じわっと泌み出てくるような形で印象づけられる生命の力強さというものが、ある種の勇気とリフレッシュを心に与えてもくれる。合成などの特撮技法は使っているようだったが、今や大きな自然環境を背景として画面に取り入れる際の常套手段になっているかのようなCGを一切使っていない映像の力が作用してこそ得られたものだという気がする。

 しかし、映写が呆れるほどにお粗末で、映像美が全てという作品なのに、映写機が切り替わった際にピンぼけになったまま、次の切り替えまで20分くらい放置されるという大失態の上映だったのが腹立たしい。再びその映写機にチェンジした際には更にピンぼけがひどくなっていて、このまま再度次の切り替えまで放置されてはたまったものではないとクレームをつけに中座しようかと迷っていたら、さすがに今度は少ししてピント調整がされた。きっと誰かがクレームを付けたのだろう。興趣を削がれた憤懣を追いやって映画に臨もうとする心的作業に難儀した。また、『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』の上映時には、映写中に一瞬ステージライトが点灯してしまうという失態もあった。地方都市に在住していてはなかなかスクリーン鑑賞の機会が得られない貴重な作品上映を果たしてくれている美術館の映画事業なのだが、映写に対してこれほど緊張感を欠いていては、せっかくの好企画も台無しだ。

 『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』('02)は、BSなどで似たような素材を目にしている人たちの目には何の変哲もない平凡な作品だという印象を与えたようだったが、僕には観たこともない珍しい海の生き物が色鮮やかに捉えられていて、目が洗われるような思いをした。現代美術のデザイン造形と見紛うようなものが、生命体として動きと共に存在していることへの驚きは、改めて自然界の造形力の神秘と創造性の豊かさへの畏敬の念を促してくれる。だが、畏敬の念ということでは、自ら海中に潜って捉えた映像を御年100歳で監督作品として世に残して逝ったレニ・リーフェンシュタールという女性監督の存在が、海中の美の世界を作り上げた自然界に対する想いを上回る形で強い印象を残してくれる。そういう人間を生み出したのもまた自然界であることを含め、生命の神秘に対する驚異には深いものが残る。95年に、この県立美術館でレイ・ミュラー監督による『レニ』('93)を観たとき、彼女の怪物ぶりには瞠目させられたのだったが、そんな彼女が何と48年ぶりの新作として“100歳での監督作品”を残すことができたということに最も大きな意義があるのが、この作品ではないかという気がする。

 『アフリカへの想い』('00)を観て感慨深かったのは、27年ぶりにスーダンのヌバ族を訪ねて、西洋文明化と激しい内戦状況(これも西洋文明化と一体のような気がする)によってレニの脳裏にあったヌバが消失しているということ以上に、僕にとっては、70年代当時でもまだ裸族として自然と一体となった生活様式を保っていたことのほうだった。また、98歳にして小型飛行機の墜落事故に遭って入院しながら、その後に48年ぶりの新作監督作品を仕上げてしまうというレニの怪物ぶりも強烈だった。非常に興味深く思えたのは、ナチスとの関わりについての彼女の言葉だった。この作品の7年前に当たる同じレイ・ミュラー監督による『レニ』では、監督からナチスとの関わりについて問われたとき、当時のことは話したくないとしながら、気丈にも「政治的野心も関与もなかった。純粋に芸術的意欲から関わっただけで疚しくはない。自分は不幸に見舞われたに過ぎない。」という非常に強気の発言をしていたような記憶が僕にはあって、90歳を超えて尚この自負心の強さという部分にも彼女の怪物ぶりを印象づけられた覚えがある。だが、今回またしてもミュラー監督から当時のことをどう思っているかと訊かれ、一言「後悔している」と答えていたのが印象深い。もし、僕の記憶が誤りでないとしたら、この変化の背景には何があったのだろう。旧知の人との27年ぶりの再会を喜ぶなかで、思いがけない訃報を知らされたときの自身の衝撃の表情をカメラが撮り逃したことを激しく叱責するレニの気の強さは相も変わらずと見えていただけに、より印象深い言葉だった。




『アフリカへの想い』
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0405-5watari.html#afurika
by ヤマ

'04. 5.16. 県立美術館ホール



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