『LOVERS』(十面埋伏)
監督 チャン・イーモウ


 十面埋伏という原題が何に由来するのかわからないが、映画を観終えて字面を眺めると、素性や本心を埋め伏してさまざまな仮面を装わざるを得ないことを指し示しているような気がした。この映画の主人公の三人が三人ともそれを負っていたわけだが、とりわけ苦しい胸中に追い込まれた果てに死に至った小妹(チャン・ツィイー)の、強靭で可憐な悲劇のヒロインぶりが際立って鮮やかだった。

 小妹の胸に飛刀が打ち込まれるに至った顛末を巡って、気ままな随風こと金(金城 武)と劉(アンディ・ラウ)が剣の刃がボロボロになるまでの死闘を延々と続けた挙句、金のほうに先に小妹の絶命を留めるために剣を棄て命を投げ出す行動に出られてしまった劉としては、小妹の繰り出す飛刀によって絶命し、結果的に彼女との心中に至る最期を選択したつもりだったのだろう。ところが小妹は、劉を飛刀で殺すことよりも、金の命を救うために自らの命を投げ出して飛刀を投じる。飛来する血球を遮ったショットの鮮やかさとともに、劉の完敗ぶりが容赦なく描き出されたシーンだった。考えてみれば小妹には、図らずも自分が裏切ったことになる劉に対して詫びる気持ちはあっても殺意はないわけだ。愛する者の命を奪おうとする者への殺意よりも、愛する者の命を救いたいとの思いが優先されるのは当然のことであって、劉のフェイク・モーションが誘うのは、単に小妹の絶命でしかない。愛する女を奪われた落胆と怒りの激情にかられて、そんなことさえ見えなくなって、愛する小妹を救うどころか、二度に渡って彼女の命を奪う振る舞いに出た自分の情けなさを思い知らされた劉が打ちひしがれるのは当然だ。

 そんな結末を迎える羽目になった三人の若者なのだが、劉と金が明かせなかったのが素性だったり、事情だったことに比べ、小妹は表に出せない複雑なものを遥かに多く背負っていた。自身が飛刀門であることを隠すのみならず、一門の頭目であった柳飛雲の盲目の娘を装わねばならなかった素性の複雑さに加え、金が見せてくる愛に対する疑念と応える想いが交錯し、更には劉への想いも葛藤となっていたはずの胸の内を誰にも露わにできなかったからだ。その“埋伏”の苦しさが、金に抱きしめられても劉に抱きしめられても、どちらの相手の唇も掌で遮り、顔を逸らせて涙を伝わせたときの表情の奥に秘められていたわけだ。そして、全ての謀が露わになって三角関係のいずれもが本気であることが併せて全て明白になったとき、丘陵の蒼天の下での一糸まとわぬ交わりを金と果たした小妹が、「二人で風のように生きよう」という彼の誘いを拒んで駆け落ちをしようとしなかったのは、飛刀門としての自覚以上に、劉に対してのケジメでもあったのだろうと思う。そんな小妹が、それでも金への想いを“埋伏”しきれずに彼の後を追うに至った果てのことだったから、劉に飛刀を投じるわけがないのだが、激情に駆られた劉には彼女の胸の内が見えないまま、結果的に彼がとどめを刺してしまうことになる。

 小妹の印象深かった涙の意味に得心のいく、実に観応えのあるクライマックス・シーンであったが、観終えて思い返すと一つ大きな疑問が生じる。劉が飛刀門下であり、小妹と恋人同士だったということは、この最後の場面の悲劇を際立たせるうえで重大な意味を持つのだが、もし彼が飛刀門であったのなら、最初に小妹を捕らえたうえで金と逃がせて、飛刀門の新しい頭目を誘い出そうとした“謀”の意図は何だったのかという、物語の根本が破綻してしまうのではないか。しかし、それほど重大な破綻を大した問題だとも思わせない画面の充実が演技者にも映像にも横溢していて、およそ不満に繋がらないから不思議なものだ。

 チャン・ツィイーは、近頃ちょっと気になり始めた険のある表情をほとんど見せずに、ほんの少し下顎を突き出す感じのときに僅かに偲ばせただけで、絶品とも言うべき笑顔ときりっと引き締まった凛々しさで魅了してくれるばかりか、アクションや踊りでも圧倒してくれる。また、チャン・イーモウの映像としての造形力や色彩の魔術は、更に洗練の度合いを増して、もはや芸術以外の何ものでもない域にある。アン・リーのグリーン・デスティニーの竹林の決闘も見事だったが、『LOVERS』の竹林での戦いのアクション設計とアイデアは、それをも凌駕していたように思う。息をもつかせぬスピード感と静止の緩急が絶妙で、縦横無尽のカメラポジションから繰り出される映像には、観ていて震えが来そうなほどだった。そして、牡丹坊での小妹が金の前で青い衣に露わになった肩肌を覗かせて舞う姿や、劉の求めに応じた“仙人~(失念)”の舞いの天女と見紛うばかりの華麗で強靱でしなやかな艶やかさには溜息が漏れるほどで、ピンクの袖布の描く波打つ曲線の激しさと盲人らしい視線の揺るぎのなさに目を奪われた。これだけの眼福を与えてくれ、観応えのあるクライマックスに感じ入らせてくれれば、たとえ物語の根本が破綻していたとしても不満に繋がらないのは、むしろ不思議でも何でもないのかもしれない。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20040906
by ヤマ

'04. 9. 5. 松竹ピカデリー2



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