『007/ダイ・アナザー・デイ』(Die Another Day)
監督 リー・タマホリ


 40周年20作目の記念作となれば、僕より四つ歳下ということだ。派手でセクシー、おしゃれでスカしたアクション娯楽という実にシンプルなシリーズものが代替わりを重ねて40年も続くのは、まさにそれ以外のものは全く及びでないという腰の据わりにブレがないからだろう。僕が幼い時分、スパイものとしては007と0011に人気があって、映画好きのくせに生真面目だった僕の親父などは、おふざけボンドは性に合わないから、ソロがいいとこぼしていたものだった。そのせいか、きちんとスクリーンで観た作品は、そう多くない。そんな僕でも、名物化しているオープニングのタイトルバックから続くクレジットの間の映像と音楽への期待というのは、いつの間にか身についていて、今回も楽しみにしていたら、すっかり意表を突かれた。タイトルバックからいきなり本篇が始まってしまう。14か月も経って、もう忘れた頃になってからマドンナの歌う主題歌が登場したのではなかったろうか。しかも、いつものお洒落でセクシーな映像を踏襲しているようでいながら、サーモグラフィか溶解マグマのような気色の悪さを湛えたシルエット画像の背景が囚われたボンド(ピアーズ・ブロスナン)の拷問シーンだったりする。007さえもこういうふうな、笑い抜きの悪趣味系に走るようになったのかと思わず小さな驚きと共に少々落胆を覚えた。
 しかし、変わらぬ面目を施しているところもあって、ならず者大統領ブッシュにイラクと並ぶ“悪の枢軸”と呼ばれ、ヒール役としては絶頂期にあるとも言える北朝鮮を抜かりなく悪役に仕立てあげながらも、実に無邪気な便乗精神のみを感じさせて、政治的思惑やアジテーションといったものが些かも漂ってこない。こういうところは、流石エンタメ・キングの風格と言うほかない、天晴ぶりだと思う。
 ただ、昔のボンド映画だと、逆スパイの嫌疑を受けて“00”の資格を剥奪され、身の証を立てるためにキューバにまで乗り込んでいく過程が、結局は内部にいるスパイを捜し出すためのM(ジュディ・デンチ)とボンドの示し合わせたことだったという仕掛けになるはずなのだが、今回はそういう、ある種の“揺るぎのなさ”というものを悉くボンドから剥ぎ取っていたように思う。彼にまつわる失態や失意というのは、常に敵を欺いたり油断させるために意図的に装われるものだというのが相場だとしたものだったから、よもやボンドが屈辱的な人質交換によって凶悪戦闘員ザオ(リック・ユーン)を解放することで救出されたり、本当に身の証を立てる必要に迫られたりするのだとは思っていなかった。それによって引き立てられた形になっていたのがジンクス(ハル・ベリー)で、今回は当のボンド以上に本来のボンド的キャラを彼女が体現していたように思う。颯爽ぶりでも、恬淡とした風情においても、まことに堂々たるものだった。

by ヤマ

'03. 3.16. 松竹ピカデリー1



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