『エデンより彼方に』(Far From Heaven)
監督 トッド・ヘインズ


 紅葉をまとった木々の枝のショットから降りて行って始まり、桜の花を付けた枝に昇り来てキャメラに収めて終える、1958年の新年を挟んだ三つの季節の間の物語だったから、ちょうどキャシー(ジュリアン・ムーア)がレイモンド(デニス・ヘイスバート)を駅で見送った頃に僕が生まれたことになる。無論、僕には当時のアメリカのハートフォードという町のブルジョア家庭を取り巻く空気など知る由もないけれど、タイトル・ロゴやエンドロールの字体にまで当時の映画のスタイルを髣髴させるような入念さによって、50年代のアメリカやかくあらんといった様子が単に美術や衣装などの考証的なものだけでなく、空気として宿っていたように思われ、大いに感心した。

 それには、この古式ゆかしいメロドラマの筋立てやそこで称揚される“誇り高き人生”といった言葉などによって窺える格調や気品が、視覚的なもの以上に時代を表すものとして備わっていたのと同時に、今ならお話にもならないような種々のあからさまな差別の視線やジェンダー意識が当時のものとして自然な形で備わっていたことが、大きく作用していたように思う。失ったことも多いが、克服したこともまた多いという要は“時代の変遷”を、今に対して公平な形で感じさせてくれるということだ。

 トッド・ヘインズの監督作品は、四年前に『ベルベット・ゴールドマイン』を観たが、見せることの技術の卓抜さと映像の凝りようが目を引くのだが、そのことが、劇映画としてのドラマや人物描写よりも重視された“見せつけ”になっているように感じられ、僕には妙にあざとくて嫌気を誘った記憶がある。今回の作品も凝った色づくりに凝った画面づくりで、50年代メロドラマを再現しつつ、同時代の当時では絶対に映画化し得なかったであろうドラマを現出しているわけだが、卓抜した技術と凝りようが、いささかも本末転倒していないところが気持ちよく感じられた。

 白人女性と黒人男性の恋愛がタブー中のタブーであったというのは、スパイク・リー監督が十二年前に、カンヌ映画祭にも出品された『ジャングル・フィーバー』を撮ったときの大きな話題として僕の聞き及んだことだったが、この『エデンより彼方に』でも、キャシーの親友エレノア(パトリシア・クラークソン)が、これも当時は強いタブーだった同性愛の話には大きな動揺を見せなかったのに、キャシーの黒人庭師レイモンドに寄せる想いを耳にした途端、激昂して絶交を宣言する場面に顕著に現れていたように思う。悪意に満ちた噂にすぎないと信じていたことが裏切られたように感じたのか、或は唯一の心許せる相手というのが自分ではなく、黒人庭師だったことに逆撫でされた気になったのか、あからさまな悪態をつく。そして、そんなタブー中のタブーを犯した二人については、その交情を激しい恋愛感情ではなく、魂の触れ合いとして描いているところが、古風な作品に見合っていて気持ちがいい。

 レイモンドは、タブーに囚われない公正で無垢なキャシーの魂に敬意を覚えるとともに惹かれ、キャシーは、人種差別を受けるという恵まれない境遇に育ちながらも並外れた知性と感性を備え体現しているレイモンドに敬意を抱きつつ癒される。取り澄ました美術展にうわべの華やかさで集うブルジョワ仲間の輪にあって違和感を覚えつつ、ふと惹かれた絵の前に佇むキャシーに、ミロの絵に宿る神性について「見掛けの色や形に囚われずに物事の本質を観ることのできる力が描かせたものだ」と語るレイモンドの台詞は象徴的で、彼らの関係自体を示してもいるのだろう。「住む世界の違う人間だから心許せるということがあるんでしょう、奥様」と言うレイモンドに、無邪気にも「心を許したら、もう違う世界に住む人間じゃないわ」とその意味するところに頓着しない風情で語るキャシーは、ある意味、罪深かったのかもしれない。

 結果は、レイモンドが「住む世界の違う人間と関わった代償」と零さずにいられない顛末を迎えることになる。しかし、キャシーが立派なのは、無自覚とも言える自身の無頓着さが招いた事態に対して、けっして逃げ腰になったり、怯んだりしないところだ。「つもり」を以て言い訳がましいことは一度も口にしないし、決別に際しては自身で会って告げようとし、周囲が非難の目で見ることを自覚するに至っても、駅に彼を見送りに行く。分別は欠いているが、背筋が通っていて美しい。

 キャシーを演じたジュリアン・ムーアが素敵だった。近年やたらと出演作が多いながら確かな存在感を残している女優だと思うけれど、今回初めて松坂慶子と見紛うような表情を数多く観たように僕は思った。と同時に、今の松坂慶子が発揮している魅力に通じる、熟し年輪を重ねた女の艶やかさを漂わせながらも保ち続けている無垢さというものを体現していたような気がする。





参照テクスト:掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログ編集採録



推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0311-1eden.html#eden
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2003ecinemaindex.html#anchor000981

by ヤマ

'03.11.12. 県民文化ホール・グリーン



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