美術館モンゴル近代絵画展関連企画“Mongolian Film Festival”

@『ツォクト・タイジ(前・後編)』'45 監督 Y.タリチ/M.ボルド
A『また馬に乗りたい』'59 監督 R.ドルジパラム
 三年前に県立美術館が実施した“モンゴル映画祭”で強い衝撃を受けながら、後編を観逃していた『ツォクト・タイジ』を再見する機会を得て、大いに楽しみにしていた。前編を観るのは二度目になるのだが、やはり驚異の傑作だ。スタンダード画面なのに、堂々たるスケール感で、人間にしても馬や駱駝などの動物にしても、とにかく群衆を撮るのが巧い。起伏のある広大な大地で、キャメラを追い越して移動していく群れを視界に追って起伏のなかに粘って捉えたショットの牽引力など、六十年前の大戦終戦の年にモンゴルで撮られた映像だとはとても思えない。武人であり、文人でもあったツォクト・タイジ将軍が、留守の間に襲撃を受けたことを狼になぞらえて語り嘆息する文学的な台詞に続いて、疾走する狼を追う映像に展開していく洗練されたイメージの構成力と撮影技術の高さは、何度観ても感心するばかりだ。
 今回初めて観た後編は、映像の力やダイナミズムという点では、前編には及ばないながらも、この時代のモンゴル映画において、既に腰から上が半裸の女性が登場していることに驚かされたり、17世紀の話とはいえ、今の僕らのイメージからすると至って平和的な宗教の印象があるチベットのラマ教の覇権主義的な政治志向や幼いダライ・ラマを傀儡のように操りつつ権謀術数を巡らせる姿を描いていて、貴重な新鮮さを与えてくれる。それが史実としてどうなのかについての知見は、僕になく、当時社会主義国として黎明期にあった新生モンゴルの建国のリーダーを讃えるためになぞらえたツォクト・タイジの物語であるがゆえに、必然的にチベットのラマ教がそのように描かれたのかもしれないが、そうであったにしても、ある種の鮮烈さをもたらしてくれ、興味深く映ってはくるものだ。また、女性の描き方や扱いに、あまり添え物的な役割が課せられずに、かなり主体的な造形がされているところにも、少なからぬ驚きを覚えた。
 『また馬に乗りたい』は、前回のモンゴル映画祭で、何故かすっぽり抜け落ちていた50年代の穴を補う形になる作品だ。とは言っても、59年の作品だから、前回上映された『フフーの結婚』('62) とは三年しか違わず、同作に対して感じた「社会主義の未来への希望を労働と連帯に対する賛歌として、国営農場を舞台にして歌とユーモアを交えて綴るというソ連映画をそっくりそのまま移転したような作品」との印象と大差ない、組合賛歌のような映画だった。ただ、映像的にはソ連どころか、むしろアメリカ西部劇を偲ばせるような牧童と馬の姿の映像があり、思わぬ新鮮さがあったが、特に深い何かを残すような作品ではない。
 この上映会は、折りよく近ごろ地元高校出身の朝青龍が角界で活躍しているからか、あるいは展覧会の関連企画として、モンゴル展観覧券の半券があれば入場無料となるからか、思った以上の観客がいて、少々驚いた。

参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」
http://www2.net-kochi.gr.jp/~kenbunka/museum/mongol_show/mongol_cinema.htm
by ヤマ

'03. 1.13. 県立美術館ホール



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