美術館春の定期上映会“モンゴル映画祭”


『伴侶』('75)             未見 監督 B.ソムフー
『モーターの音』('73) 監督 B.ソムフー
『フフーの結婚』('62) 監督 B.ジャムスラン
『永すぎた夏』('87) 監督 J.セレングスレン
『ツォクト・タイジ(前編)』('45) 監督 Y.タリチ
『ツォクト・タイジ(後編)』('45)   未見 監督 M.ボルド
 一年ほど前に東京で、1930年代から1990年代までの21作品を集めて一大レトロスペクティヴをおこなった企画上映プログラムからのセレクションである。映画は、同時代性ということが特に大きな意味を持つものなので、90年代の作品が一つもないのは少し淋しいけれども、1989年の民主化運動が始まるまでのモンゴル社会主義体制時代に製作された映画という焦点の絞り方をしたのなら仕方がないのかもしれない。美術館の上映会では、90年代の作品としては『絆』(J.ビンデル監督)を既に三年前に上映しているということなのだろうか。
 けれども、限られた上映作品数のなかで、70年代の作品が二作品ありながら、50年代の作品が一本もないのは、いかにも残念であった。というのも、各年代の映画がそれぞれに時代的なものを色濃く感じさせてくれたことが今回、映画を観てみて最も印象深い点の一つだったからだ。 40年代の映画だけがクレジットが縦書きの文字だったのは、もともとモンゴルの文字は日本と同じく中国の文化の流れによるものだったことを偲ばせると同時に、その後の映画の文字が総てロシア語であることでモンゴルに対するソ連の影響力がいかに強かったのかを際立たせていたし、60年代の映画は、社会主義の未来への希望を労働と連帯に対する賛歌として、国営農場を舞台にして歌とユーモアを交えて綴るというソ連映画をそっくりそのまま移転したような作品だった。いかにも戦後世界の東西陣営において、一方の旗頭として君臨したソ連の強大さというものを偲ばせる。ところが、70年代になると、モンゴル固有の土地とそこに住む人間というものを強く感じさせる人間ドラマになってきて、映画の作り手の作家性といったものを感じさせるようになったし、80年代の作品では、理想的だったはずの社会主義体制における現実の矛盾をささやかながらも指摘していて、民主化運動の波が起こることを予感させている。そういうふうに概観できるところが回顧上映の醍醐味なのだが、それを充分に味わうことができたプログラムだっただけに、50年代の作品を欠いたのが惜しい。
 個々の作品では、何と言っても『ツォクト・タイジ(前編)』(Y.タリチ監督) が傑出していた。都合で後編が観られなかったのは何とも残念であったが、広大な風景や群衆シーンのスケール感にしても、美術や衣装の見事さや疾走する狼の撮影などの技術レベルの高さにしても、これが本当に第二次世界大戦終戦の年に、モンゴルで作られた映画なのだろうかと驚かされ、圧倒された。1989年のモンゴル国内のアンケート調査で「良い映画」「好きな映画」「モンゴルらしい映画」の3項目でトップに選ばれたとのことだが、世界の映画史上でみても1940年代を代表する作品の一つに数えられてしかるべき映画だと思った。


参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」
http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/mongolian/mongolian.htm
by ヤマ

'99. 4.18. 県立美術館ホール



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