『この素晴らしき世界』(Musime Si Pomahat)
監督 ヤン・フジェベイク


 第二次大戦下のチェコで1943年から終戦までの二年間、よくしてくれた嘗ての雇い主たる事業家の息子で、ポーランドにある収容所から、からくも脱走してきたユダヤ人青年ダヴィド(チョンゴル・カッシャイ)を匿い通したヨゼフ(ボレスラフ・ポリーフカ)とマリエ(アンナ・シィシェコヴァー)夫婦の物語だ。彼らの奇特な偉業を積極的な正義感の発露による英雄的行為として描かずに、半ば災難的に見舞われた行きがかりに対する止むなき選択として、疚しく身を汚すことに堕するわけにはいかない勇気を彼らが貫いた形に描いているところがいい。
 こういう勇気は、器用な如才のなさを身につけている人間には真似のできない性質のものだと思うのだが、ヨゼフのキャラクターもまさしくそのような部分を欠いた、いささか鈍臭くて、状況の如何にかかわらず義理やしがらみを意志的に断ち切ることのできない人物像として造形されていた。そして、ヨゼフの家に飾られていた聖母子画のマリアの顔にマリエが重ねられる映像さえも映し出されるように、マリエは聖母マリアのイメージが投影されているのだが、アンナ・シィシェコヴァーは、それに見合うだけのものとして、マリエの無垢なる魂と人々を魅了してやまない穏やかな気品を現実的で人間的な所作や言動とともに体現するという難しい役処にもかかわらず、実にうまくこなしている。十六年前に観た『マリアの恋人』でナスターシャ・キンスキーが「偶像化されるにふさわしい神秘さと観念性を持ちながら、同時に偶像だけに終わらない生活臭や生々しさ」を体現していたのとは、また異なった味わいの生身のマリアとして、いい存在感を湛えていた。
 両方のマリアとも夫の子供ではない赤ん坊を身篭るわけだが、この作品におけるそのあたりの顛末には、いささかの苦しさがあるような気がしつつも、ヨゼフとマリアの夫婦にそれが起こるのは、既定の展開なのだから仕方がないと了解するしかない。生まれた赤ん坊を連れて終戦時の荒廃した町並みをヨゼフが歩くとき、戦争中に命を絶たれた人々や犬の姿が幻影とも思えぬ形で甦る奇跡が起こるが、一番の奇跡は、ヨゼフ夫婦がユダヤ人青年を守り遂げたことだということで、その奇跡の証明こそがこの赤ん坊だということなのだろう。
 しかし、僕が感銘を受けたのは、そういう英雄的行為の達成を彼らにとっての行きがかり的顛末として描いたうえで、ある種の奇跡としていること以上に、ヨゼフ夫婦を始めとする種々の人々が大事な場面で思いがけなく発揮する善意こそを奇跡としているように見受けられる作り手の視線であった。ナチスの家捜しから土壇場のところでヨゼフを守ったのは、ヨゼフの元部下で今や立場の逆転しているナチス協力者たるドイツ人ホルスト(ヤロスラフ・ドゥシェク)であり、進駐ソ連軍の嫌疑からヨゼフを守ったのは、彼がナチスの仕事を手伝っていたことを知っていると同時に、二年前に自分に助けを求めたダヴィッドを見捨てて保身のためにナチスを呼んだ記憶があるはずのレジスタンス側の代表者だった。いずれも自分の身をも危うくしかねないところを含みながら、そのとき重要な役割を果たしたのだが、それもまた大いなる奇跡というべきものではないか。そして、そのような奇跡は、案外人間の身の回りにはよく起こっていたりするのではないか。そういう視線を投げ掛けているように感じられたところに大いに共感を覚えたのだった。
 もちろん、ヨゼフのパーソナリティがそういうものを誘発するという面もある。特にホルストにとっては、周囲のチェコ人から白眼視されるなかで、自分に媚も拒否もともに露骨には表さずに付き合ってくれるヨゼフとマリエは、大いなる救いだったろうし、マリエへの暴挙に対してさえも赦しを以て臨んでくれたのだから。それが全てナチスへの通報に対する脅えからだとも言えないことは、最後にホルストを救うのがヨゼフであることからも窺える。あれにしてもホルストが助けてくれたことへのお返しというだけのものではないのだろう。ダヴィッドであれ、ホルストであれ、ヨゼフにとっては、ユダヤ人とかドイツ人に関係なく、また富や力の有無にも関係なく、専ら自分と縁ある人々の難儀を目の前にして見過ごせないということなのだろう。そして、そういう素朴な善意を損なわせない、鈍臭いまでの大らかさというものこそが、この世で一番の美徳なんだろうなと思った。人間の奇跡は、そこから生まれるのだという気がする。

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_09_02_2.html

推薦テクスト:「とめの気ままなお部屋」より
http://www.cat.zaq.jp/tomekichi/impression/kansouk2.html#jump9
by ヤマ

'02.11.13. 県民文化ホール・グリーン



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