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『テルミン』(THEREMIN An Electronic Odyssey) 竹内正実 テルミン・コンサート~訪れざりし未来~ | |||||
監督 スティーヴン・M・マーティン テルミン演奏 竹内 正実 | |||||
この機会を得るまで、その楽器の存在すら知ることのなかった僕にとっては、ちょうど当夜の二十日ほど前に自主上映で映画の『テルミン』を観ていたこともあって、とにかくこの不思議な楽器の、手足も口も触れずに音楽を奏でる楽器の実際を、生の耳目で確かめたかった思いが叶えられ、嬉しいひとときだった。奏者の竹内氏は、高知を本籍地とするゆかりの方で、僕の観た映画の作られた年、すなわち発明者であり演奏者でもあったレオン・テルミン博士が亡くなった年にロシアに渡り、博士のいとこの孫で映画にも登場していたリディア・カヴィナに師事した経歴を持っているようだ。テルミンの柔らかな音色にふさわしい穏やかなにこやかさを湛えており、音楽家というよりも宗教伝道士のイメージが似合うような雰囲気をもっていた。宗教などと言うと少々突飛な感じがするが、図らずもチラシに「奇跡の音色」という言葉があったように、テルミンという楽器には不思議や神秘、奇跡といった言葉が似合っている。八十年余も前に発明された電子楽器で、一世を風靡したらしいのに、長らく忘れられていた経過のありようにしても、その音色にしても、その演奏スタイルにしても、どこか人知を越えた部分がありそうな雰囲気に包まれている。 そのまさしく雲を掴むような奏法からして、音を出すのは簡単だけど、音楽を奏でるのはいかにも難しそうだ。そのわりに単音しか出せず、独特の響きではあっても単調と言えば単調な音色に、視覚的なインパクトのわりに、楽器としては普及しにくかったろうと映画で観たときに感じていた。だから、どんなステージ編成にするのか不安と期待が相半ばしていたのだが、その点では、よく工夫されたプログラムだった。“星に願いを”や“別れの曲”“家路”といった、耳に馴染みがあって楽器の音色に合った楽曲を鏤めながら、自身のCDに納めた今風の「癒し系」の楽曲を連ねていく。藤満健のピアノ伴奏だけに留まらず、ペートル・ドピタのミュージカル・ソウや岡田佳子のソプラノ、濱口晶生とのテルミン合奏など、さまざまなコラボレーションで楽しませてくれもした。テルミンの合奏は、やや不協気味で、この楽器の演奏の難しさを偲ばせたが、ミュージカル・ソウとの合奏は、なかなか素敵だった。 僕がミュージカル・ソウの演奏をNHKの音楽番組で観たのは、十年やそこら前のことではない。ほとんど忘れていたものを思い出させてくれただけでなく、初めて生の音として耳にし、改めてその不思議な音色に感銘を受けた。テルミンと同質の柔らかで神秘的な響きで、篭もる感じの柔らかさのテルミンの響きと違って、遥かに透明感のある美しい音色を奏でていた。この楽器もテルミンと同様に、いかにも演奏が難しそうな楽器だ。長尺の片刃西洋鋸の背を弓でこすり、鋼がたわむ振動で音が出るようだ。刃先を指で押さえ、しなり具合を調整することで鋼の振動加減を変えて音の高低を変える技術以上に、鋸の背をこする際の弓の当て具合が非常にデリケートで難しそうだ。どうしても時折強く当たり過ぎて、金属音のノイズが出る。ドピタの演奏は、そんななかにあって実に見事で、遠い昔に聴いた音の記憶の何倍も美しかった。 楽曲としては、コンサート・タイトルにもなっている“訪れざりし未来”が最も優れていたように思うのは、テルミンという楽器の運命に寄せたタイトルへの想いを聞いたせいもあるかもしれない。演奏の合間の語りで竹内氏も言っていたが、今程度の認知を取り戻すことにおいて、映画の果たした役割は非常に大きいようだ。テルミンという楽器の存在自体を全く知らなかった僕などは、この映画を観て、時代の寵児としてもてはやされ、ストコフスキーの指揮で演奏されたことがあったり、バーナード・ハーマンが映画音楽に使っていたり、ビーチ・ボーイズが演奏に使っていたなどということのほうにむしろ驚いた。一度観たら忘れられない神秘さを体現した楽器で、それだけの認知を得ていたものが、どうして忘れ去られてしまったのか。映画は、僕の関心を一番惹いたその部分には充分応えてくれてはいなかったが、伝説にふさわしい物語を紡ぎ出すことには成功していたように思う。 ふと思い出したのがブニュエルの『自由の幻想』の行方不明の少女のエピソードだった。存在していても、認知されなければ存在していないと同様である、存在の不確かさというものを浮彫りにすると同時に、人間の認知の不確かさやいい加減さをも嗤っていた。テルミン博士はKGBに拉致された後、西側世界では公然と死亡説が罷り通っていたらしい。クララ・ロックモアがソ連で偶然にも再会を果たして生存を確認していても、その遥か後のソビエト崩壊後に、ニューヨークタイムズの記者が発見し生存を報じるまで、やはり彼は存在していないも同然だったわけだ。それが一躍、再度の渡米永住やアメリカの大学の名誉教授の称号を贈られたり、齢九十を越えてのクララとの再度の再会を果たすに至るのだ。そして、スティーヴン・M・マーティン監督によれば、遂に功績が認められて百科事典に名前が載ったのだそうだ。認知され、記憶されて、初めて「存在」となるのだなとつくづく感じ入った。 それにしても、県立美術館は何故もっと積極的に映画会との提携をしなかったのだろう。この日のコンサートは、半分程度の入りだった。非常にもったいないと思う。映画会の人数よりは多かったのだが、僕自身がそうだったように、映画を観ていると、ほぼ確実に“生”で確認したくなる代物だ。映画会を支援することでコンサートの集客も伸ばせたのではなかろうか。テルミンの仕組みや内部の様子を知りたがっている声をコンサート会場のホワイエで耳にしたが、それらは映画では観ることのできるものだった。主催者が異なる催しでも、地域の活動に目くばせをしてうまくコーディネイトしていくような事業展開が望まれるところだ。持ち掛けられるのを待つのでなく、そういう働き掛けを地域の活動に対して積極的にしていくことこそ県立施設のアーツセンターとしての役割でもあるように思った。 | |||||
by ヤマ '02. 2. 8. 県民文化ホール・グリーン '02. 2.27. 県 立 美 術 館 ホ ー ル | |||||
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