『スパイ・ゲーム』(Spy Game)
監督 トニー・スコット


 仮にそれまで好物だったにしても、何かの拍子で食あたりになると、それ以来どうも食指が動かなくなることがあるが、ほぼ十年くらい前に観た『幸福の条件』がそのような感じで、ロバート・レッドフォードには心が惹かれない。かなり面白いとの噂を耳にしながら腰が重かったのだが、ひょんなことから観る機会を得、観てみたら面白かった。
 明示された物語の背後に想像させる、綴られていないドラマの感じられる作品というのは、やはり優れた映画なのだと思う。この作品は、腕利きだが一匹狼的で実力に見合う出世をしなかったCIA工作員のネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)が、退官を迎えた最後の一日に、自分が育てた敏腕工作員トム・ビショップ(ブラッド・ピット)の救出をニューヨークのビルのなかから一歩も出ることなく果たす物語だ。ネイサンは、トムが中国での工作活動中にスパイ容疑で投獄され、翌朝は処刑という情報を得て、おのれ一人の知力の限りを尽くし、その救出を試みる。この物語の背後に僕が感じたのは、何年も前にベイルートで二人が訣別してからの話で、映画のなかでは露には描かれなかったものだ。
 あのときトムとエリザベス(キャサリン・マコーミック)を引き裂いたのはネイサンで、きっとネイサンは工作員としてのトムにとっても、上司である自分にとっても、よかれと思っていただろうし、トムの本気を見通せていなかったのだと思う。作戦本部室でネイサンが「私の見込みが浅かった」と語る台詞の直接的に指すものは、あのときのベイルートでの暗殺工作の顛末だろうが、観客にはトムのことを指しているように伝わる。しかもそれは、ベイルートでの訣別以降、十年以上もネイサンが気づかずに来たことだったのではないか。訣別のとき、トムはネイサンのやり方に抗議する。それは自分の工作活動の梯子を外されたことへの忿懣であると同時に、非情にも協力者を切り捨てていくネイサンのやり方に対してでもあろう。
 だが、ネイサンは総てに非情、冷徹、合理的に向かうようでありながら、それは仕事への完全主義がもたらす隙のなさであって、根がそうではないことは秘書との関係からも窺えるし、かつてもトムに対してそうだったことが窺える。その間合いの見切りには、自身でも確信があり、自信もあったに違いない。また、そうでなくてはやれない仕事だと思っていただろう。かつて自分の総てを継承できると見込んだ弟子とも言うべきトムから、自分とは違う道を歩むと宣言されたのは、その部分だ。そういうネイサンが退職後の生活を支えるはずの私財3000万円余の大金を投げうってトム救出作戦を仕掛けたのは、国家外交の都合でかつての部下が切り捨てられそうになっていることへの友情の証などとチラシにいうような単純なものではなかった気がする。
 ベイルートでトムとエリザベスを引き裂いた何年か後、捕虜となったCIA工作員を救うために、エリザベスを捕虜交換の人質として中国に引き渡すことに、ネイサンは積極的に関与したのではなかろうか。あのときベイルートで掴んだ情報により、中国にとって彼女は価値があったことを思い出し、利用したのだろう。目的のためには手段を選ばず、危険な任務に就く工作員を守ることには最善を尽くすネイサンなら、当然の選択だ。それに対し、協力者を切り捨てることを是認しないトムは、ネイサンの関与まではともかく、彼女が中国に囚われていると知るや、指令を無視した単独行動としてエリザベスの救出活動を工作したのではないか。そこには、単純に忘れ得ぬ女性への想いだけではなく、ネイサンを越える工作員として、協力者を切り捨てないスタイルへの自己証明の部分があったのではないか。
 一方ネイサンは、仲間の救出のためには手段を選ばず絶対に諦めないことと引き換えに、協力者に対して非情にもなることを自分の立ち位置としてきたはずなのだ。ベイルートでの訣別以後もトムが自分の立ち位置を変えず、自己証明に命を賭けてきたのであれば、ネイサンもまた自分の立ち位置として、トム救出に全力を尽くさずにはいられない。ある意味でそれは、師弟の間での誇りと自負を掛けた対決ですらあったのではないか。トムが救出に向かったのがエリザベスだと知って、ネイサンは、そこのところに反応し、元々は自分が引き起こしたとも言える事態を前にして、トムを見殺しにはしないという意地を見せたのではないかという気がする。生涯をかけて貫いてきた工作員としての自分の誇りが問われる事態だからこそ、28万ドルもの大金さえつぎこむのだ。
 どちらのパーソナリティにも強烈な美学と誇りが感じられる。そこからふと『インサイダー』でアル・パチーノが演じたローウェル・バーグマンに思いが及んだが、そう言えば、彼も腕利きだが一匹狼的で実力に見合う出世をしなかったTVプロデューサーだった。

推薦テクスト:「多足の思考回路」より
http://www8.ocn.ne.jp/~medaka/ape-10.html
推薦テクスト:「Happy ?」より
http://plaza.rakuten.co.jp/mirai/diary/200301110000/
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_01_07.html
by ヤマ

'02. 1.21. 東宝3



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