『インサイダー』(The Insider)


 ハリウッドの得意とする社会派ドラマのある種の典型をきっちり踏襲した堂々たる作品だった。こういう映画を観るとアメリカが多民族社会としてやっていくうえで、オフィシャルとプライヴェート、個人の責任や契約の遵守といった枠組みを重視していて、なし崩し的なことや曖昧さというものを少なくとも公式な場では厳然と認めない意志を社会として持っているのだという気がする。

 煙草の中毒性なんて法廷ではともかく、一般的には流布していることだし、それを認めれば他の損害賠償の案件に影響が出て、会社として著しい不利益を被るから、嘘の証言をするのもありそうなことで驚くほどのことではないなどというのは、グローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダードからすれば断罪ものの日本的けじめのなさなのだろう。先頃アメリカで公開された文書によって明らかになった故佐藤栄作首相の問題発言が、受賞理由に直接影響する部分で彼がノーベル平和賞に値しないことの証左として出てきても、マスコミで少し話題にしただけで過ぎ去っていくのが、我が国なのだ。天皇の戦争責任を結果責任としてすら問うことのなかった歴史と体制から見れば、この程度の嘘やごまかしで大騒ぎするのは、どこか「大山鳴動して…」という気がしないでもないのだが、その大山の鳴動ぶりと出てきた鼠が一匹ながら結構大きな鼠として巨大産業にダメージを与えることができたことに驚く。そして、これだけ大きな社会になっても、個人の力が捨てたものではないことを知らされる。実名で語る実話だけにそういう意味での迫力には説得力があった。

 こういう作品が制作されるところや州の裁判所が別の州の裁判所での証言禁止命令を出したり、原告だった州知事が提訴取り下げをしたのに、検事が裁判を止めようとしないという理由で今度は検事を訴えることなど、やはりアメリカは面白い国だと思う。そこのところの根底をなしているのが個々の責任と権限の明確さとけじめであり、それを尊重するという社会的コンセンサスだ。そして、そのアイテムとして、言葉と発言というものを非常に重いものとして扱っている。そういったことが象徴的に現れているように感じられた会話があった。CBSの報道番組「60ミニッツ」のプロデューサー、ローウェル・バーグマン(アル・パチーノ)に説得されて内部告発者となった煙草会社の元開発担当重役ジェフリー・ワイガンド(ラッセル・クロウ)が、自分が想像していた以上の圧力とそれによる状況の変化に自殺寸前まで追い込まれ、こんな目にあったのはバーグマンが特ダネ欲しさに自分を誘ったからだと非難する。するとバーグマンは、最終的に証言すると決めたのは、自分自身だったじゃないかと毅然と言い放つ。確かに証言することを承諾させたときには言質をとっていた。そして、そう指摘されても、ワイガン ドは逆上することなく、むしろ責任転嫁をいくぶん恥じつつ、納得するのだ。そして今度は、お前の責任として証言テープを無駄にするなとバーグマンに迫る。

 こういうやり取りを観ると、同情や申し訳なさの表明が安っぽいことだとは判っていても、そういうものを微塵も窺わせずに相手の自己責任への覚醒を促す言葉だけを発することが、前向きの結果に繋がる会話となりうる文化を持っていない日本に住む僕には、いささか羨ましく眩しい気がする。バーグマンもまた、相手に自己責任を覚醒させる言葉を放つことによって自らの責任を痛感するからこそ、彼の証言を放映できる状況を作るために、持てる力の総てをフル稼働させるのだ。強烈な責任感覚を持つ者が自らの誇りを懸けて敢然と振る舞う姿は、やはり感動的だ。そして、ワイガンドの件では、半ば孤軍奮闘のようにして、なりふり構わず仕掛けて、からくも成功した。

 だが、それによって自らの力を過信することなく、今回は何とか切り抜けた、しかし、次の自信は持てないと感じるバーグマンに納得と敬意を覚える。自らの誇りを支えてきたものとして「情報提供者との約束を必ず守ってきたからだ」と言い切る彼が、ジャーナリストとしての誇りを持ち続けるために会社と闘おうとはしなかった現場仲間に「失われた信頼は二度と取り返せるものではない」と告げて報道現場を去り、教職に就いたのは、立派な身の処し方だ。商業ジャーナリズムというものの根本的なところでの危うさを今更ながらに見せつけられる気がする。バーグマンのような者が少数でしかあり得ないのが現実なのだ。むしろ、いたことに感心しているのだから。

 そういう意味で見応えがあったのだが、ただ残念なことに手持ちカメラでありさえすれば臨場感が出せると勘違いしている向きがあって、映像センスが悪くて、大いに損をしていた。役者が光っていただけに、それを捉えきれていなかったり、物語の運びの手際が悪いというか、荒いことが目についた。




推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2000/2000_06_05.html
by ヤマ

'00. 6.20. 東宝1



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