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『ホテルローヤル』を読んで | |||||
桜木紫乃 著<集英社> | |||||
哀切というような切迫感はない哀感漂うさまに、うらぶれ朽ちているような静けさがあって何とも物哀しい作品集だった。 収められた七篇は、各篇を繋ぐ列車とレールが出てくるわけではないが、イ・チャンドン監督の映画『ペパーミント・キャンディ』を思わせる時間の遡及のなかで廃屋となったホテルローヤルの建設時までを辿る短編集だ。初出誌にて表題作だった作品が『シャッターチャンス』に改題されて収録された七篇をもって『ホテルローヤル』にした構成がなかなか効果的に感じられた。 作中にホテルローヤルの文字が一度も現われない五篇目の『せんせぇ』こそが、釧路湿原を見下ろす高台に建つホテルローヤルの六室にあって、廃屋となったホテルの「ほかの五部屋は清掃されていて、埃さえ拭けばすぐに営業できそうな気配」(P14)のなか「室内はサイコロ型の冷蔵庫のドアが開き、丸いベッドも使われたまま掛け布団はめくれ上がりシーツは皺だらけだった」(P13)と巻頭篇で記された三号室で心中事件を起こし、二十九歳のホテル経営者の田中雅代が「手を繋いでベッドで仲良く転がっていた、セーラー服とスーツ。そこそこ客の入りがあった三連休の最終日に、まさか自分が心中事件の第一発見者になるとは思わなかった」(P73)と半年前のことを思い出す二人連れだったのだろう。 巻頭篇で、廃屋となったホテルに忍び込んでのヌード撮影に応じる地元スーパー事務員の加賀屋美幸(三十三歳?)と宅配運転手の木内貴史(同い年の同窓生)にしても、続く『本日開店』の、二十歳年の離れたEDの二代目住職と結婚した年末に死んだ先代の一周忌から始まった檀家離れのなかで有力檀家を繋ぎ止めるために四人の老人たちの月一度の相手をつとめることに応じて十年になる元看護助手の設楽幹子(四十歳?)と亡父から引き継いだ“檀家の務め”に「まいったなぁ」と乗じる佐野敏夫(五十歳)にしても、また、高校の卒業式の翌日に母が男と家を出てから家業のラブホテルを手伝うことになって十年が過ぎ、高校を卒業する少し前につきあい始めた男と、卒業までに三度したきりの田中雅代(二十九歳)と廃業を決めた彼女から「これ使って遊ぼう」と誘われて「やり方忘れちゃうくらい久しぶりなんだ。悪いけど。」と応じながらも、上司の妻と関係して市役所を辞め一緒になってようやく見つけた仕事のアダルトグッズ販売の営業を始めて十年になるなかで猜疑心の強くなっている妻のことを考えたのか勃起しないままに、体をうねらせた雅代の声と同時に手の動きを止めた『えっち屋』の宮川(三十九歳)にしても、住職のポカで姑の新盆の読経がキャンセルとなって用意してあった御布施でホテルローヤルに入ろうと妻が誘っていた、狭い賃貸アパートでの小中学生の子供たちと舅との同居によって寝室のなくなった『バブルバス』の恵と真一(五十歳)の本間夫妻にしても、道南の始発駅木古内から札幌を経て道東の終着駅釧路に向かった『せんせぇ』の高校二年の佐倉まりあと数学教師の野島広之にしても、更には『星を見ていた』の「中学を卒業してからずっと朝から晩まで働きづめだった三十五歳のミコを、女にした」(P143)十歳年下の漁師の正太郎と所帯を持って三人の子供を産み倍の数の赤子を流して、四十のときに船を下りてからは働きにでなくなった夫と子供を養い、中学を卒業してすぐに家を出た子供たちのいなくなったなか「毎日毎晩下着の中のものを大きくして妻の帰りを待っている」(P148)夫に、日に何度も思い出す母の教え「いいか、ミコ、おとうが股をまさぐったら、なんにも言わずに脚開け。それさえあればなんぼでもうまくいくのが夫婦ってもんだから」をひたすら守っているホテルローヤルの掃除婦の山田ミコ(六十歳)の一家にしても、何とも幸薄く哀感に満ちていたように思う。 なかでも心中に至った「せんせぇは今まで、死にたくなるようなことって一度もなかった?」(P130)と問う、夫に五百万円の借金を負わせた義弟と駆け落ちした妻に残されて通帳も現金も全て持ち出して失踪した父親に置いて行かれ、両親ともから着信拒否をかけられていた十七歳の佐倉まりあと、がっしりした体躯の国語教師で山登りが趣味の、ピアノも達者で来生たかおの『Goodbye Day』の弾き語りを二次会のピアノバーで披露したりする「野島広之が何をもってしても太刀打ちできそうもない」(P110)ような尊敬する校長の推薦する見合い相手の里沙に一目惚れして結婚した五年後に、妻が高三の十八のときから二十年間、結婚後も校長との仲が続いていたことを知らされ、「もう別れるから」と泣いていたのが空涙だったことを一年後に目の当たりにしていた野島広之という二人の行き場のない寄り添いが味わい深かった。 短編の並びとしては、この『せんせぇ』が『バブルバス』の前に来るほうが時間の遡及としては順当な気がしたが、単行本化に当たって書き下ろした『本日開店』を除いては発表順に並べたかったということなのかもしれない。 本書の構成 『シャッターチャンス』(P7~P27):廃屋となって久しいホテル 『本日開店』(P31~P55):ホテルを建てた田中大吉の死んだ年 『えっち屋』(P59~P82):七十半ばの大吉が入院中に娘の雅代が廃業した九月 『バブルバス』(P85~P105):ホテルローヤルがまだ営業中だった夏から年末にかけての日々 『せんせぇ』(P109~P138):三月の三連休の前日から連休初日までの二日間 『星を見ていた』(P141~P166):雅代の母るり子がまだいた時分の十月 『ギフト』(P169~P192):四十二歳の大吉が二十一歳の愛人るり子を妊娠させ、ホテルローヤルを建てることにした八月 | |||||
by ヤマ '16. 7.23. 集英社 単行本 | |||||
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